悪魔の所行
作戦の指揮は俺が執ることになった。
本当はサクラが執る予定だったが、直前になって俺が自ら立候補した。以前からの事もあり、仲間達は何の疑いもなく受け入れてくれた。だが俺は決して義務や責任感から指揮を執る事を決意したわけではない。クドウが向いていると言ったことも関係なかった。俺は仲間に隠したまま、ある計画を立てていた。倫理的に受け入れられることの無い計画である。それを実行するには自ら指揮を執るしかなかったのだ。そして俺は集団を壊滅に追い込む事になった。
大きなリュックを抱えて現れた俺を皆は不審がったが、作戦の説明をして開始の合図をするとしっかりと従ってくれる。任務は俺が一人で選んだ。その計画にとって一番重要な部分はそこだった。窓口では敵の正確な正体までは分からないが、これまでの経験と周辺情報を照らし合わせて、目的の敵を選んだ。
戦場で実際に敵を見た時、俺の口元には笑みが浮かぶ。視線の先に居たのは間違いなく悪魔である。今まで戦ってきた魔物とは違う。それを使役する側にいる敵だった。もちろんそれは魔物とは比べものにならないほど強いという事だったが、所詮は一人である。戦術にさえ嵌めてしまえば、こちらのものだった。
進行方向に待ち伏せていた俺たちは、悪魔が姿を見せると同時にヒヒイロカネを撃ち込んだ。ヒヒイロカネは魔具と呼ばれる対天魔用の武器を格納しておく道具であり、取り出す際はヒヒイロカネ自体が変化して武器を発現させる。この発現には少しばかり時間が掛かるのだが、この時間を利用して、ヒヒイロカネが悪魔に撃ち込まれた後で変化するように仕向けた。不意打ちを受けた悪魔は包囲からの一斉射撃を避けきれず、これをその身で受け止める。体内に撃ち込まれたヒヒイロカネは質量を膨張させ、悪魔の肉や骨を圧迫しながら武器を発現させていく。元より対天魔用武器であるそれの攻撃を体内から受けたとあって、悪魔はまともな反撃が出来ないほどにまで弱っていった。
だがここからが問題だった。弱ったとは言え、うかつに手出しをすれば簡単にやられてしまう。俺は悪魔をある場所へ誘導しなくてはならなかった。味方に包囲を解かせ、わざと逃げるように仕向ける。そして、かつてアイリがそうした様に障害物の死角からの攻撃で悪魔に傷を負わせながら徐々に誘導していった。アイリの戦法を真似たのである。
しかし結局、俺にはクドウほどの人望が無かったらしい。明らかに弱っている悪魔に対して独自の判断で攻撃を敢行する者が現れた。制止も聞かず返り討ちに遭い、それを救援する為にさらに命令無視する者が出る。俺の命令の出し方が悪かったのも確かだった。延々と当てては逃げるだけの戦法では逃げ腰になっている様な印象を与えてしまい、埒が明かないと思われるのも仕方が無い。多少は自分の指揮力不足も考慮した作戦のつもりだったが、時間が経つにつれて死傷者の数は増え、ついには瀕死の悪魔を見失ってしまった。時折、敵発見の報告が入るが、駆けつけてみると既に悪魔が猛威を振るった後で、そこにあるのは仲間の死体だけだった。
集団は完全に統制を失い、まともな指揮が出来る状態では無くなってしまった。副官としてついていたサクラすら見失ってしまう。そして次に見つけたときには、彼女は既に虫の息だった。駆け寄って声をかけるが、彼女は失血のせいで目が見えないらしく、俺の名前を呼びながら見当違いの方へと瞳を動かす。おそらく耳も片方やられているのだろう。サクラは息も絶え絶えに喋った。
「リュックの中身、見させてもらったわ。私には貴方が何をするつもりなのか分からない」
彼女の苦悶の表情は痛みによるものか、それとも俺に対する軽蔑の表れだろうか。息をするたび、腹腔の血溜まりが泡を立てるのが見えた。
「お願い。私の時も、水は飲まないで」
サクラはその言葉を最後に事切れる。俺はサクラの開いたままの瞼をそっと閉じ、戦場へと戻っていった。
インカム越しに行われる通信は混乱を来していた。俺は指揮を放棄して、自分の計画の遂行に集中した。一人で悪魔を追い詰めていく。それは魔物を相手にするのとは比べものにならないほど危険な行為ではあったが、そんな危険を冒してでも俺は計画を成功させなければならなかったのだ。
長期戦の末、俺は悪魔を放棄された教会へと追い込む事に成功した。その間、さらに仲間がやられてしまったが、そんな事はもはや意識の外にあった。先回りして屋根裏に潜んでいると、悪魔が転げるようにして建物の中に入ってくる。そして祭壇に載せられた死体に気がついた。
悪魔は死体から直接、ヴァニタスという魔物を作り出す事がある。それは通常の魔物と違って自らの意思を持っていた。それは悪魔の次に強い存在である。この追い詰められた状況にあって、悪魔は必ずそのヴァニタスを作り出すだろう。俺はその習性を利用するために、この作戦を決行したのである。
予想通り、悪魔は死体に……アイリの死体に力を分け与えはじめた。時折、背後を気にしながらもヴァニタスを生む作業を進めていく。俺は完了する時を息を殺して待ち、頃合いを見て静かに飛び降りた。高所からの落下を利用した攻撃は悪魔の首を容易く斬り落とした。
祭壇を見ると、死んでいたアイリに血の気が戻っている。彼女の瞼が細かく動き、上体をゆっくりと起こし始めた時、俺は理由もなく笑った。教会の中に笑い声がこだまする。ヴァニタスは時折、生前の記憶を持つという。アイリも生前の記憶を持つのだろうか。今はただ彼女の再誕を見守るしかない。
天魔と呼ばれる奴らが本当に天使や悪魔なのか、それは分からない。だが少なくとも俺が実行に移したこの作戦は、間違いなく悪魔の所行だった。