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日常の終わり

 アイリは戦闘集団に加わった直後から、副長であるサクラを差し置いて参謀のような立ち位置を得ていた。常にクドウの傍らにいて親しげに話している。これを見ていた仲間達の間では、クドウにはあの孤立主義の魔女を仲間に引き込むだけの人望があるのだと賛美する声もあれば、その逆にクドウは魔女に籠絡されてしまったのだと蔑む声もあった。だがどちらにせよ俺にとっては二人の仲を示唆する不吉な言葉であることに違いはない。

 アイリが得意とする誘導技術のおかげで、作戦は格段にやりやすくなった。俺も似たような事は出来るが彼女とは比べものにならない。他の仲間に至っては集団戦法ばかり磨いてきたせいで彼女が何をしているのか分からない有様だった。予定された地点で待っている兵士達からすると、敵が勝手に飛び込んできたようにしか見えないのである。まさか兵士一人で魔物を追い立てられるとは夢にも思っていなかったのだ。

 ただ任務が遂行しやすくなった代わりに、魔物を取り逃がすことも増えた。もちろんそこにはアイリが関与している事は疑いようもない。また魔物を仕留める場合でも、アイリがその役を務める事がないよう考慮されていた。クドウが彼女の主義を尊重しているのは明らかだった。彼女の主義が守られている事に安堵する一方で、不安を覚える。クドウは決して不殺を標榜していたわけではないし、集団の戦法も獲物を効率よく倒すために最適化されていた。するとアイリを戦闘集団に加えた意味はなんなのだろうか。

 確かにアイリは熟練した兵士だった。しかし集団戦闘に向いているわけではない。彼女よりも集団に馴染む熟練者はいるだろう。そういった人間を引き込めなくても、これまでそうだったように素人を訓練しても何ら支障は無かったはずである。もちろん理由には薄々察しがついていた。しかしながらそれは俺にとって最も考えたくない可能性だった。その為、俺はその事について深く考えないようにしたが、現実は残酷だった。

 アイリが戦闘集団に加わってしばらくした頃、大規模戦闘に駆り出される事になった。こういった戦場にあっても兵士達は個々に形成された戦闘集団単位で戦闘に参加することが出来る。しかし当初の想定以上に戦線が広がってしまい、これに対処する過程で戦闘集団を維持できなくなった者が続発した。増援として送り込まれた俺たちの集団は、薄くなった部分を補い戦線を維持するために各方面に散らばっていた。俺とサクラ、そしてアイリは護衛という名目で、後方で指揮に専念しているクドウと行動を共にしていた。アイリはもちろん、俺もその班分けの意味を分かっていただろう。

 ただそれを理解していなかったサクラだけは自分たちも前線へ出るべきだと主張した。無論、戦況を見る限りはそれが一番正しいはずなのだが、クドウは了承しない。その時、サクラは日頃、蔑ろにされていた事に対する憤りもあったのだろう。彼女らしくない冷静さを欠いた強い口調でクドウを問い詰めた。

 クドウは狼狽し、アイリを一瞬だけ見た。その様子を見たとき、俺は確信せざるを得なかった。驚きはない。今までその片鱗はいくらでも見てきたのだ。彼はアイリを守るためにこの場に俺とサクラを残している。だが集団の長である彼が一人の人間を贔屓しているなどと公言は出来ないだろう。仮にそれが気心の知れた人間の前だけでだとしても。すると彼は一体、どのような言い訳をサクラにするのだろうか。進退の窮まったクドウを俺は醒めた目で見つめていた。

 その時、俺の頭上を何かが飛び越えていった。魔物である。完全な奇襲だった。戦線が崩壊したという知らせはない。おそらく何処かを潜り抜けて来たのだろう。俺達は内輪もめに夢中で接近していた事に気がつけなかった。魔物はクドウへと向かっていく。俺が無視されたのは、おそらく壁を背にしていて姿が見えなかったからだ。

 横合いからの攻撃にクドウは対処しきれず、武器を取り出すと同時に地面に押し倒されてしまう。それを助けようと前に出ると、視界の端に何かが映る。振り向いた瞬間、直感的に刃を振るうと、眼前まで迫っていた攻撃をはじいた。クドウへと襲いかかった魔物以外に、数体の魔物が俺達を取り囲んでいた。

「クドウさん!」

「俺は大丈夫だ! そっちを優先しろ!」

 俺の呼びかけにクドウが即座に答える。彼は地面に倒れ込んだまま盾で魔物の攻撃を凌いでいた。しかし防戦一方な状況はどう見ても大丈夫とは言い難い。

 俺とサクラはクドウを早く助ける為、即座に反撃を開始したが、アイリはこんな時ですら主義を通そうとしていた。適度に傷を負わせて戦意を喪失させ、逃亡を促す。致命傷を与えない攻撃は見事だったが状況が悪かった。普段の戦いならそれも有効だったろう。だが俺達に襲いかかってきた魔物には逃げ道がない。もしこの場を凌いでも、進めば後方部隊とぶつかるし、ゲートへ戻れば戦線に引っかかる。

 あるいはアイリのそれは癖のようなものだったのかもしれない。付け焼き刃の俺ですら殺すのを一瞬ためらってしまうほどである。その為、最初に敵を一掃し、追いつめられたアイリの援護に駆けつけたのはサクラだった。アイリが自分を囮にして横合いからサクラが斬りかかる。二人の連携は功を奏し、魔物は瞬く間に一掃された。ただその時は、もう手遅れだったのだ。最後の一匹を倒して振り返ったとき、クドウはすでに死んでいた。形勢が不利な状況で味方の支援が期待できないという状態は、簡単に死を招く。しかしクドウに限ってはそんな事はないと、俺は心の何処かで信じ込んでいたのかもしれない。

 敵を目の前にして呆然としていた俺の耳に、絹を裂くような悲鳴が聞こえた。反射的に武器を構え直す。その後で悲鳴を上げたのが誰なのかに気がついた。アイリである。彼女は事切れたクドウを見ながら叫んでいた。その表情には魔女と呼ばれた妖艶さなど欠片も無い。血走らせた目を見開き、混乱した様子でクドウの方へ歩み寄っていく。だがそれは魔物へと近づいていく事を意味している。

「サクラ!」

 アイリの横にいたサクラに呼びかける。サクラは俺の言わんとしている事に気がついてアイリを止めようとするが、一足遅れた。アイリは足下に落ちていたクドウの剣を手に取ると、魔物へと向かっていったのである。そこには戦法も戦術もない。掲げていた主義すら捨てていた。アイリは叫びながら、ただ真っ直ぐに魔物に向かっていった。

 アイリは死に、魔物は俺とサクラで仕留める事になった。


 追悼の杯は驚愕を持って迎えられた。集団の長であるクドウと、魔女と呼ばれたアイリが死んだという事実は、その現場を見ていない人間にとって受け入れ難いものだった。その場を仕切ったサクラですら、納得のいかない顔をしていた。

 集団が学校内へ散っていった後も、俺とサクラはテーブルから立とうとはしなかった。俺が水の半分ほど残ったコップを弄んでいると、同じようにしていたサクラが呟いた。

「飲まないの?」

 追悼の杯は飲みきるのが定例になっていた。俺は納得がいかず、飲みきれなかったのだ。クドウを見て叫び、魔物に突っ込んでいったアイリは、まるで別人だった。もしかしたら違う人間と入れ替わっていたのでは無いかと疑ってしまうほどである。だから「アイリのために」と掲げられた杯を飲み干せなかったのだ。飲んでしまえば、死を認めたことになる。別人だと思っているから認められないのか、アイリ本人だから認められないのかは俺自身にも分からない事だったが、とにかくコップの中の水は、飲み干すのに相当な努力がいるように見えた。

 俺はふと思いついた事をサクラに訊いた。

「もし恋人が死んだら、お前もあんな風になるのか」

 サクラは俺の顔をじっと見つめ、少しばかりの沈黙の後「知らないわ」と言った。

 俺はしばらく考えてからコップを呷ろうとして、結局飲めずにテーブルに置いた。サクラは席を立ち、日常へと戻っていく。もしかしたら俺はその時、日常への帰還に失敗したのかも知れない。

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