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噂の女

本文中、「的を得た」という表現が出てきますが意図的なものですので予めご了承ください。

「倒せなかったわけではないの」

 女は窓口への帰りしなに、そう呟いた。

 倒せなかったわけではない。つまり元々逃がす計画だったという女の発言は、俺が確信したそれと矛盾しない。だが、あれだけの大変な思いをしてまで何故、魔物を逃がしたのか。その事について尋ねると、これまで全てを謎めかし続けていた女は薄く笑みを浮かべながら、あっさりと答えた。

「私達は撃退士であって、殲滅士ではないから」

 撃退士という称号は兵士になったアウル保有者を指す。これは学園が解体の危機に陥った際、志願兵を募る目的で採用された呼び方だった。つまり学園に所属する兵士は全て撃退士なのだが、これを自称する人間はあまり居ない。呼び方をどう変えようとも戦況の悲惨さが変わるわけではないからだ。

 しかし女は、この撃退士という称号を特別に気に入っているらしかった。敵を殺すのではなく退かせる。兵士に求められているのは、それだけであり、それがこの撃退士なる称号の呼び方に現れているというのが女の主張だった。

 残念ながら、それは間違っていると言わざるを得ない。撃退士という称号が作られた当時はまだ武器が貧弱で、天魔を倒したという経験自体が無かったことに基づいている。現実に即した呼び方として撃退という言葉が選ばれた事は、他ならぬ撃退士である俺たち自身がよく知るところだった。

 つまり女はそういった経緯を知っていながら、独自の理論を展開しているのだ。そしてそれを主張し続けるために、魔物を逃がす作戦を実行していた。倒せるから倒すという惰性的な選択をしている一般的な兵士とは行動原理が違っている。それがこの女の謎めいた部分の答えだった。

 俺は結局、女の名前を聞くこともなく別れたが、名前がアイリである事はその日のうちに知ることとなる。アイリは学園内の有名人物らしく、俺が彼女と一緒に任務へ出かけた事は夜を待たずに仲間達の噂になっていた。そしてアイリという女がいかなる渾名で呼称されているかを「魔女と会ったんだって?」というヨシアキの言葉で知る。

「魔女?」

 最初は誰の事を言っているのか分からず、俺は片眉を上げた。アウル保有者の中には、天魔の力に呼応して魔法を使えるようになった者が、男女を問わず存在する。魔法を使う女性を魔女と呼ぶのであれば、久遠ヶ原学園には何百人という単位で魔女がいた。この学園において、魔女という呼称は特定個人を指すにはあまりにも不適当である。にも関わらずヨシアキは「そう、東洋の魔女!」と至極真面目な顔で言うのだから堪ったものではない。

 俺は失笑を漏らしながら、他の連中に説明を求める。俺が夕食をとっている隙に包囲陣を作り上げた彼らは、興味津々といった様子で俺が語るのを待っていた。問題なのは、何について語ればいいのかである。そこでようやく俺の行動が周囲に筒抜けだったと知った。

 アイリの戦い方は独特で、それゆえ学園内でも有名らしい。孤立主義者で戦闘集団に所属せず、それでいて様々な任務をこなしている。彼女がいつからそうしているのかは判然としないが、任務を受ける時、まれに不特定の人間を伴っていくのだという。そして帰ってきたとき、随伴者は彼女を褒め称えるようになる。俺もまたその例に倣うことになった。

「俺達は撃退士であって、殲滅士ではないそうだ」

 魔女に関する一連の話を、俺は彼女の言葉を借りて締めくくり、人垣達を解散させた。中には真偽を疑う者もいたが、こればかりは実際に体験させる以外に証明する方法はない。体験した俺自身が未だ自分の体験を疑っているのだから、彼らを完全に納得させられるとは思わなかった。

 不思議な女だとは思っていたが、これほどとは。俺は夕食の残りを片づけながら独り言ちる。魔女という渾名はなかなかに的を得たものだった。あの謎めいた独特の雰囲気は、まさしく魔女のそれだろう。それに彼女の戦い方はまるで魔法の様だったと言っても過言ではない。そして俺は、その魔法によって魔女に魅了されていたのだ。

 確かにアイリはこの学園では異端だった。それは撃退士に対して独自の見解を持っている事それ自体に言える。普通の兵士は戦闘に関する限り、あまり主義・主張を持ちたがらないからだ。

 学園に所属している兵士は戦闘を行う事が務めではあるが、それは押しつけられたものであって、本来は一般市民であるという認識が根強い。生き残る為に戦術や戦法を覚え、僚友たちと共闘し、いくつもの死線を乗り越えてきたとしても、回帰すべきは戦場ではなく平穏な生活なのだ。そのため戦闘を通して自分を見出そうとする人間は少ない。あくまで教本に倣った戦い方をして、自己を反映させようとはしなかった。

 奇抜な服装をした兵士には戦闘に自己を見いだし、独自の主義・主張を持つ兵士が多い。だが彼らの関心事は、自分が後世にどのような形で伝えられるのか、自分の戦いぶりは味方にどの様に映るのか、といった事だった。天魔に対する向き合い方にそれほど大きな違いはない。彼女の様に不殺を掲げている人間はいないのだ。

 撃退士であって殲滅士ではない。俺は口の中で繰り返す内、これは一つの真理だと思えるようになっていった。実際、魔物を倒さなくても報奨金を受け取ることは出来る。俺達に求められているのは指定地域から脅威を取り除く事であって、その脅威の原因になっているものの生死は問われない。そもそも撃退士という名称自体が、対象を殺す事が出来なかった時代の名残なのだ。それに魔物の類は本来、天魔同士の戦争で使われる兵器である。その戦争を早く集結させたいと願うのならば、むしろ魔物を温存する方が人間にとっては有益だろう。

 その事に気がつくと、途端にこれまでの戦い方が効率の悪いものとして映るようになった。人類は知らず知らずの内に天魔の戦争を長引かせているのではないか。無論それは戦争の現状を覗くことの出来ない俺達には確かめようのない事だった。しかし考えれば考えるほど現在の姑息的な戦い方が、日常への回帰を遠のかせているように思えてならなくなったのである。

 それ以来、俺はクドウに率いられて戦うのとは別に、独りで行動することが多くなった。仲間と共に魔物を殺す一方で、独りの時は如何に殺さずに追い返すかを追求する。そんな事をしばらく続けた。魔物の動きを予測できるようになり、効率的に追い返せるようになっても、それが意味のある行為なのかは確信が持てなかった。俺は一人きりの戦場で常に、アイリが何を思ってこんな事を始めたのだろうかと考えていた。大規模な戦闘に駆り出されれば、必ずと言っていいほど誰かが死ぬ。それは明日、自分に襲いかかるものかもしれない。そんな閉塞感に満ちた学園の兵士という立場の中で、彼女自身は如何にして不殺という考えを見出し、それを実行に移そうと思ったのか。それは取っ掛かりすら掴めなかったが、あまり気にはならなかった。

 アイリという女の顔が常に脳裡に浮かんでいる。彼女に対するある種の尊敬は、いつしか恋情を含むものに変わっていた。

 魔物を追い返す事を始めて月日が経ち、クドウの卒業も近づいたある日の事だった。集団の員数が一人、また一人と減っていき、新しい仲間を迎え入れようという話になった。クドウに連れられて新しい構成員が現れた時、俺は目を疑った。

 そこにはあの魔女が居たのである。

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