ランツクネヒト
久遠ヶ原学園を特徴づける最大の要素は、その自由な校風である。たとえば学園が指定する制服こそあるものの、それを着なくてはならないという規則はない。私服でも他校の制服でも自由に着ることが出来た。
これは偏に俺達の死亡率が高いことに理由があった。久遠ヶ原学園で無事に卒業を迎えられる生徒は極少数である。たいていは任務中に死んでしまう。敵である天魔は、いわば未来技術を携えた異世界人である。その敵を相手にして、見よう見まねの武器を振り回して戦うのだから不利な戦いを強いられるのは想像に難くない。久遠ヶ原学園に所属するという事は余命幾ばくもないと宣告されるのと同じ事だった。
俺達は決して志願して学園の生徒になったわけではない。天魔に対抗するにはアウルと呼ばれる体質が必要になる。そのアウルが無ければ、どんなに熱望しても兵士になる事は出来ないし、またその逆に、どんなに拒絶しようともアウルがあると判明すれば、即座に学園へ転入させられてしまう。
つまるところ強制連行なのだが、それが社会的にまかり通るところに人類の置かれた状況が顕れている。天魔は一度襲ってくると甚大な被害を地上にもたらした。それに対抗するにはアウルを備えた人材を集めて消耗戦を行う他ないのである。それが久遠ヶ原学園に兵士として集められた俺達の死亡率の高さの理由だった。
そして酷いことに戦争の主導権は人類には無かった。そもそも天魔からすれば人類は戦争相手ですらない。天魔は天魔同士の戦争をしており、その戦争に使う兵器の素材として、あるいは魔法の燃料として人間を欲している。天魔にとって人間はネジ一本、歯車一つという認識に過ぎない。
もし人類が平和を取り戻す事があるとするならば、それは天魔が戦争を終結させるか、あるいは人類が滅亡しないギリギリの数まで減らされるかのどちらかしかない。人類に出来るのは、いつか天魔の戦争が終わるのを祈りながら、可能な限り同胞を減らさないことだけである。
俺達が命を賭して行っている戦闘というのはつまり、時間稼ぎだった。しかもそれはいつ終わるのか見当がつかない。それでも学園に集められた兵士たちは家族のため、国のため、人類全体のためと説かれて戦場に駆り出された。実際のところ、自分たちが戦わなければ親兄弟や恋人、妻子が死んでいくのである。自殺や逃亡を図る人間はいるものの、ほとんどの兵士は粛々と戦いに身を投じていた。
とはいえ兵士たちから不満が出ないわけではない。人類全体を残すために、アウルを持った一部の人間が負担を強いられるのである。元より兵士という身分は望んでなったわけではない。加えて自分たちが犬死にをしていないとも知れないのだ。そんな環境は兵士たちに閉塞感を抱かせ、反抗的にさせる。それを軽減しているのが学園の方針である自由な校風だった。
この方針にどれだけ効果があるかは、学園の歴史を紐解いてみるとすぐに分かる。士官学校を前身に持つこの学園は開校当時、既存の軍隊を参考に厳しい規則と訓練で兵士たちを縛っていた。しかし先天的体質であるアウルの性質上、兵士のほとんどは強制徴募で集めなければならない。望んだわけでもないのに、そんな施設に入れられるとあって連行時に激しく抵抗する者が相次いだ。結果、軍隊全体の士気は非常に低いものとなり、これを訓練して統制し、戦場へ送り出すというのはなかなかの難題だったようだ。
また初戦死亡率七割、損耗率五割という戦闘効率の悪さが、ただでさえ低い兵士達の士気をますます低める。当時は効果的な戦術も無く、支援体制も不十分で、専用の装備も開発されていないため武器の性能も低かった。こんな状態で戦場に送り込まれるのは処刑台に立たされるのに等しい。兵士達は自分たちに戦闘を強要する体制派への不満を募らせ、暴動を頻発させる。
それによって状況が改善したかというと、結果は全くの逆だった。上官達は部下の暴動を恐れるあまり、少しでも反抗的な態度を見せるとすぐに営倉入りさせた。その理由の中には言いがかりのようなものも多数あったという。さらに悪い事に学園自体がそういった行動を後押しした。時代を下るにつれて規則はさらに厳しくなり、上官の権限は強化されていく。対して兵士達の自由はどんどん奪われ、末期には上官が個人の判断で自由に殺傷出来るようにまでなっていった。
当然のことながら、規則が強化されるのに伴って暴動は増加する。統計にも関係性が判然と現れているのだが、当時の常識に照らし合わせると規則を緩めるというのは考えられない事だったようだ。
そうして体制派と兵士達の溝が深まると、戦場にも影響が出る。体制派は武器を渡した瞬間に殺されないよう、兵士と武器を別々に戦場に送った。兵士が戦場に入った後、航空機を使って武器が投下されるのだが、これが上手くいかない。そのせいで戦場で人数分の武器が揃わないなどという事態が多発した。そうなると武器を手に入れた兵士がまず戦い、これが戦死してから別の兵士が武器を取りに行かなければならない。時には武器が一切届かず、ただ殺されるだけという部隊もあった。これでは戦闘効率などもはや論外である。
この状況が現在の様に改められるきっかけになったのは、またもや兵士たちの悲劇だった。学園が直接襲撃され甚大な被害を出した事件がそれである。兵士たちが使用する武器は暴動に使われないよう学園外に保管されていた為、学園内に進入した天魔に対抗する手段が一切無かった。アウル保有者たちは、そのほとんどが死亡してしまう。
全国から集めた貴重なアウル保有者を犬死にさせたとあって非難は激しいものとなった。学園は信用を著しく欠き、これまで黙認されてきた事柄への不満が一気に噴出した。特に非難を浴びたのが兵士たちを人と思わぬ学園の管理体制である。これを理由に、学園を解体して各市町村が独自に組織すべきではないかという学園解体論が台頭し始めた。
これに焦った学園側はようやく体制の見直しを計る事になる。それまでは監視の都合上、大便をする時間すら厳しく決められていた。時間外で催しても我慢する以外に選択肢はなく、漏らせば一日中大便付きのズボンを履いたまま過ごさなければならなかった。そんな環境に置かれていた兵士たちは、自分の意志で便所に行けるというだけで歓喜したという。
ただ一度喪失した信用というものは、なかなか回復できるものではない。学園はしばらくの間、些細な事でもすぐに解体論を持ち出され、その度に規則を緩めていく事になる。その軟化ぶりに「これでは軍隊として成り立たない!」と叫んだ指揮官もいたほどだと記録にはあるが、具体的に個人名が記されているわけではなく、当時の激変していく様子を簡潔に表現する為の作り話だろう。
兵士たちの士気は、学園の規則が緩まると共に急速に改善していった。これは幸か不幸か以前の体制を知る兵士が少なかったというのも影響しているだろう。戦力の中心である熟練した兵士は襲撃事件で全滅し、国防を担うはずの久遠ヶ原学園はその存在意義を失いつつあった。学園の解体を避けるためにも新たなアウル保有者の確保が急務であったが、これまでの経緯から連行時に抵抗されると世論が怖い。早く体制を立て直したいが無理をすれば解体論が飛び出すという状況である。反感を買わないため学園側は徴募に並行して規則の緩和を進めていった。この頃の変遷ぶりは、体制派が軍隊を統御しようという情熱を失った事を示唆している。結果的に戦闘効率は格段に向上した。
こういった学園の変化で対外的に分かりやすかったのが制服の撤廃だった。久遠ヶ原学園に限らず、日本における国立校は士官学校に倣っているため、制服はあって当たり前のものである。これを撤廃した事は学園が兵士たちに対して自由を与えているという印象を、対外的に強める効果があった。今日では公序良俗に反するような服装をしている兵士たちもいて、世間から兵士としての資質を疑われるほどだが、そういった兵士はむしろ戦闘に意欲的で、敵前逃亡をしにくい。
この奇抜な服装に身を包んだ兵士達は、何も久遠ヶ原学園だけに限ったものではなく、世界各国に存在する同様の機関にも多く見られる。また欧州の歴史上にもランツクネヒトなる傭兵集団が存在したが、そこにも同様の傾向があった。俺達は自由を謳歌する特別階級の人間に見えるかもしれないが、その内実は死を目前にして生き様と死に様を飾る事しかできない哀れな歩兵なのである。