追悼の杯
久遠ヶ原学園へ帰ってきた俺は、まず最初に仲間達から賛美の言葉を投げかけられた。不慮の事態に陥っても尚、任務を完遂できたという事実が、俺の評価を引き上げる要因になっている。特にクドウには装備の関係上、一番危険な役目を負わせてしまったのだが、どうも彼が一番喜んでいるらしかった。
「やっぱりお前には隊長の才能があるよ」
クドウが俺の肩を叩きながら誉める。クドウは仲間の中で長い間、指揮官としての役目を負っている男だった。今回は作戦を立案したのが俺であり、その作戦の都合上、クドウは指揮に回れないので、代わりに俺が指揮を担当する事になったのだが、もしかしたら填められたのかもしれない。
クドウは仲間内でもっとも年齢が高く、学園から卒業してしまう日も近づいている。その為、前々から俺に指揮を譲ろうとしていた。俺はそれを断り続けていたのだが、今回の作戦は既成事実を作り上げる為に、わざと指揮を譲ったとも考えられる。いずれにせよ、どんなに誉められたところで俺の気分は晴れなかった。
しばらくして数人の仲間が戻ってくる。彼らはヒロを医務室に運んでいた。サーバントに突進をくらったヒロは即死だった。彼らの沈んだ表情を見て、俺の作戦ミスがヒロを殺したのだという実感を強くさせた。
ヒロを運んだ人間はいずれもヒロと同学年で、俺達の仲間になったのも同時期である。任務に出る時はよく一緒に行動していた。俺達の中で誰よりも仲間意識が強いだろう。そんな彼らにクドウは紙コップを配り、ペットボトルの水を注ぐ。
ヒロの友人たちは注がれた水の表面を神妙な顔で見つめていたが、全員に水が行き渡り、クドウが「ヒロの為に」と言って紙コップを呷ると、少し遅れて水を飲み干した。
これは仲間が死んだときに行う追悼の儀式だった。天魔と戦う俺達は、常に死と隣り合わせの生活をしている。仲間が死ぬのは日常茶飯事だった。しかし、だからといって仲間の死に慣れる事などない。少し前まで言葉を交わしていた人間と、二度と会えなくなるのである。悲しまないわけがない。だが、いつまでも悲しんでいては任務に支障を来す。
だからケジメとして、仲間が死んだ時、俺達は杯を交わすことになっていた。あくまでクドウがリーダーを務める仲間たちの間だけの事だったが、それでも故人に対する追悼として機能していた。本来なら酒でやるのだろうが、クドウ以外は未成年のため、ミネラルウォーターがその代わりとなっている。
杯を飲み干した仲間たちは、それぞれ学園生活へと帰っていった。彼らはまるで何事もなかったかのように、平然とした顔で離れていく。対してヒロの友人たちは未だカップを持ったまま不満ありげな顔で立っていた。
こんな呆気ないものが仲間の追悼になるのか、という顔だった。その顔は今まで何度も見たことがある。おそらくは誰もが通る道なのだろう。俺も最初は見よう見まねで行うばかりだったが、今では自分が死んだ時、同じように弔ってほしいと願っている。要するに何かしたという姿勢が重要なのだ。仲間の死というものは、どういう風に向き合っても割り切れる問題ではない。
ただ今回ばかりは、俺も彼らと同じく気分は晴れなかった。どうやら一兵士として参加するのと、指揮をした人間として参加するのでは追悼の儀式は重みが違うようだった。
それは表情にも顕れていたのか、ヒロの友人たちが去った後も、クドウと、その副官であるサクラが残った。
「あまり気に病むな」
クドウが俺の対面に座る。その顔を何を言うでもなく見つめると、クドウは全てを見透かしたように笑った。
「今回の作戦でヒロが死んだのはお前のせいじゃない。お前は俺が課した指揮官という役割を十分にこなした。仲間を死なせる結果になったのは、お前に指揮を押しつけた俺の責任だ。お前がヒロの死に責任を感じる必要はない。原因は全て俺にある。恨むなら俺を恨め」諭すように言い切ると、クドウはため息をついて独り言のように付け加える。「俺も、俺をリーダーにした前任者をずっと恨み続けているよ」
そう言われて、俺は自分の気分の事ばかりで頭がいっぱいになっていた事に気がついた。
クドウが指揮した作戦で、これまで何人の仲間が命を落としただろうか。決してクドウのせいで死んだわけではない。予測できない事態に遭遇した事があった。仲間の個人的なミスが原因だった事もあった。必要な犠牲だった事もあった。いずれにしても彼の作戦下で死んでいった。ただそれだけの事である。
その事をクドウが気にした素振りを見せたことは今まで一度もなかった。俺も仲間もクドウのせいなどとは思ったことは無い。ただそれはクドウが何を感じ、何を思っているかとは無関係である。長年、リーダーとして俺たちを率いてきたクドウの心中が本当はどうだったのか、それを今、俺は知ったのである。
俺はクドウという男への尊敬を深めると共に、その役目を自分が負った時の事を考えて途方に暮れた。リーダーという責務は誰もが負えるものではない。それは今回、指揮を担当した俺自身がよく分かっていた。そしてクドウは、それをよく理解した上で俺にリーダーを譲ろうとしているのである。
俺は一人の仲間の死すら乗り越えられないかもしれない。そして目の前にいるのは幾たびも仲間の死を乗り越えてきた男である。自信など、あろうはずもない。
「クドウさん。出来ることなら俺は、あんたを恨みたくないよ」
俺はそう答えて、コップの底に残っていた数滴の水を飲み干した。
クドウは無言で去っていったどんな顔をしていたのか、テーブルを見つめ続けていた俺には分からない。
傍らにいたサクラは、俺達が会話をしている間ずっと何かを言いたそうにしていたが、けっきょく一言だけ発してクドウの後を追っていった。
「私も、次のリーダーにふさわしいのは貴方だと思うわ」
後日の作戦は、再びクドウの指揮に戻る。
こうして俺の指揮した作戦は、日常へ埋没していった。