ぜんぜん違う!
柑菜とイブがリビングで座ってぼんやりとしていると、篠原教授が両手いっぱいにスーパーの袋を抱えて帰ってきた。
「うわ、すごい」
「こんなにようさん、誰が食うん?」
「ぼくは料理が出来ないから、とりあえず出来合いのものと、よくわからないけど野菜や肉や魚も買ってきたよ」
「料理できないの?」
柑菜が驚いて声を上げると、篠原は気まずそうに頭をかいた。
「だからこの一ヶ月は、ほとんど外食か出来合いのものを買って食べてたんだ」
「それは大変ね……」
おそらく、家事のいっさいは出て行ったという奥さんがやっていたのだろう。
「イブ、手伝って。一ヶ月ぶりの手料理を先生に食べさせてあげるわ」
「お、おう。でも、俺も料理できひんで」
「まったくもう……本当に男の人って……」
言いかけた言葉を飲み込んで、柑菜は腕まくりする。
「こういうのは役割分担が大事なのよ。先生は買い物をしてきてくれたんだから、少し休んでて。イブはこの野菜を洗って」
「わ、わかった」
篠原はとりあえずキッチンに置いてある椅子に腰掛け、イブは言われたとおりに野菜を洗い始める。
「いいのかな……お客さんに料理なんてしてもらって……」
篠原はすっかり恐縮してしまっている。
「私たちは居候みたいなものだから、お料理だけじゃなくて、お掃除や洗濯もちゃんと分担してやります。宿代がわりに」
「はは……それは助かるなぁ。でも、本当にいいのかい?」
「そうでないと、私たちだって居心地悪いもん。イブ、次はこのジャガイモの皮むいて」
「あいよ」
◇
「とりあえず、買ってきてもらった材料で作ってみたけど。日持ちがしそうな材料はとってあるから」
テーブルには色とりどりの料理が並んでいる。季節野菜のカレーと、肉と野菜の炒め物、プチトマトとレタスをさっとドレッシングと混ぜただけのサラダ。
柑菜自身もお腹がすいていたので、手っ取り早く作れるものを作ったつもりだった。
「すごいご馳走だな……」
「うわー、すごいやん。カンナって料理上手やってんな」
「このぐらい、出来て当然でしょ。男の人だって料理ぐらい出来ないと駄目だと思うよ」
「ご、ごめん……」
「すみません……」
大の男が二人、しゅんとうなだれてしまう。
「早く食べよ。昨日、ネカフェのまずいカレーを食べて以来だよ。ちゃんとご飯食べるの」
「ああ、そういやそやな。でも、俺は特にまずいとも思わんかったけどなぁ」
「味音痴」
「すみません」
いったんスプーンや箸を動かし始めると、みんな無口になった。
それぞれ腹が減っていたのだろう。黙々と食事を続けている。
その様子を眺めながら、柑菜は内心ほっとする。この食べっぷりを見れば、どうやら自分の料理の味はそれほど悪いものではなさそうだ。
イブなんかは昨日のまずいカレーをおかわりしてたぐらいだから、まったくアテにはならないけれど。
◇
「ごちそうさま」
「うまかったー!ごちそうさん!!」
「すごい……完売だわ……」
余ったら夜食にでもしてもらおうと思っていたのに、大量に作った料理はすべて売切れてしまった。
とりあえずテーブルの食器を片付け、食後のお茶を入れる。
「こんなに贅沢な食事は本当に久しぶりだな……」
「俺もや……」
「二人とも……どんな食事してたのよ……」
柑菜は呆れて言葉が出なかった。
のんびりとお茶を飲んでいると、ふとイブが思い出したように声を上げた。
「そういや……不思議に思ったことがあってんけど、聞いていい?」
「うん?」
声をかけられた篠原が首をかしげる。
「ここって住宅街やのに、何で車がほとんどないん?」
「え?車?」
「うん。住宅街ゆうたら、普通はマイカーの1台や2台、どの家にもあるやろ?でも、この周辺の家にはほとんどなかったから、ちょっと気になったんや」
「そういえば……そうよね。でも、よく気づいたね」
「なんか家の形も変やなって思って。駐車場がないねん。駐輪場はあるけど」
「へええ……」
そんな話をしていると、驚いたような戸惑ったような顔をした篠原が口を開いた。
「車なんて……公安の許可がなかったら家に置いておけないよ」
「ええ?公安の許可?」
イブと柑菜はほぼ同時に声を上げた。
「ああ、そういうところも、君たちの世界とはまったく違うんだね」
そう笑って、篠原はテーブルに紙とペンを持ってきた。
◇
「うん。車の所持には公安の許可がいる。だからぼくみたいな一般人が車を持つことなんてありえないんだ」
「へええ……」
「でも、電車って、そんなに遠くまで網羅してないよね?みんなどうやって移動するの?」
「街は駅のそばにしかないから、普段の移動の心配はあまりないかな。いざとなれば、タクシーを使うし」
篠原の言葉は、いちいち柑菜たちを驚かせた。
「街って駅のそばにしかないんだ……」
「街から外れた場所はほら……こうして地図が空白になっているだろう?ここは軍用地なんだ。軍の施設がある」
「軍……自衛隊じゃなくて?」
「自衛隊?自警団のことかな?自警団は軍隊が解散したときに、外敵に対応するために民間から有志が集って結成される」
篠原はわかりやすく図に書いたりしながらその組織を説明してくれる。
「ええ?軍隊が解散したりするの?」
「まあ、滅多にないけど。解散命令が出たら解散するね」
「解散命令って……」
「軍隊を解散させることが出来るのは、天皇陛下のみだ。天皇陛下は政治には関与されない。ただ関与するのは軍に関することのみだ。それも、軍隊の結成と解散」
「そうなんだ……でも、それってすごい権限じゃない?軍隊を思うがままに動かせるってこと?」
「その逆かな。軍は民事に不介入が絶対条件なんだ。その絶対条件が破られたとき、天皇陛下は軍隊に解散命令を下す」
「へえ……」
「解散された軍隊は、そう簡単に再結成は出来ない。何年もかかる。特に首脳陣は総入れ替えが前提だ。その上で、問題となった出来事への対処法をきちんと確立し、それが国会で認証を受け、天皇陛下が裁決を下してようやく再結成の許可が下りる。改善案を国会や天皇陛下が差し戻すことも少なくない」
「軍人さんは解散されたらどうなるの?」
「失業するね。軍が解散されると、ハローワークに長蛇の列が出来る」
「へええ……」
「退職金はもらわれへんの?」
「もらえないね。そういう決まりになってる」
「そら……軍人さんは大変やなぁ……」
「日ごろの待遇はかなり良いみたいだよ。なので、解散のリスクを背負っても、軍に志願する者は多い」
こちらへ来た当初は、それほど自分たちの住む世界と違わないと思っていたけれど。
こうして篠原から説明を聞いていると、ここがやはり異世界なのだということが実感を伴って迫ってくる。
「軍のこうした制度が始まってから、もう2度、解散が実行されている。この制度になってからまだ100年と経っていないから、ぼくたちが生きているうちにもう何度かあってもおかしくないね」
「けっこう厳しいんだ……」
「っていうか、そんなに厳しく決まりがあるのに、軍の民事介入事件が起こったりするん?」
「そこはまぁ……人間っていうのは、つい利を追ってしまう生き物だから」
そう言って、篠原は苦笑する。
「見つからなければ、軍にとって大きな利となる。見つかれば解散だからもちろん慎重にやってるつもりなんだろうけどね」
「あ……ひょっとして……あのスーツの男……」
「スーツの男?」
柑菜の言葉に、篠原は首をかしげる。
「絶対にそうとは言い切れないんだけど。あの人、軍人じゃないかな……もしそうなら、私たちをこっそり尾行してきた理由がわかるもの」
生真面目な顔で柑菜が言うと、今まで黙っていたイブが怪訝そうな声を上げた。
「でも、何で軍人が俺たちを尾行すんねん?」
「理由なんてわからないけど……何となくそう思っただけ。もし私たちを捕まえたいなら、逃げられる前に捕まえる機会なんて何度もあったはず。でも、結局気づいて逃げ出すまで追いかけたりしてこなかった」
そう言ってから、柑菜はまた何かを思いついたかのように口を開く。
「民事不介入ってことは、尾行だって十分に介入よね?だから見つからないように、わざとスーツなんか着ちゃったりしてたのかも?」
「うーん……でも、俺はあんまりにも突拍子がなさすぎて、違う気がするけどなぁ……」
「突拍子もないか……確かにそうね」
そう言って息を吐く柑菜に、篠原もまた頷いた。
「君が言うように、万が一にも軍が介入していたのだとしたらそれこそおおごとだ。今はその可能性もあるぐらいにしておいて、他の可能性も探ってみるのがいいと思うよ」
「うん、そうね」
篠原の言葉に、柑菜は少し笑う。
「決め付けてしまって本当のことが見えなくなったら大変だもの。ちょっと冷静にならなきゃね」
柑菜の言葉に、イブも篠原も頷いた。