あんた誰よ!?
何度も通って覚えた道を、できるだけ複雑に曲がって走る。
しばらくの間、曲がる瞬間に相手の姿が見えていたのだけど、だんだん小さくなっていき、最後には見えなくなった。
そろそろ、目的地に向かっても大丈夫かもしれない。
柑菜はそう考え、慎重に進路をL22地区大学へと向けていく。
これまで通ってきた道はだいたい覚えている。
どの辺りで相手が見えなくなったのかも。
だから、どの道を曲がって、どの道を真っ直ぐ行き、どの道で全力疾走すればいいかも、すべて頭の中にイメージできていた。
「どっち?」
「右」
「次は?」
「まっすぐいって、突き当りを左」
柑菜の手を引いて前を走ってくれるイブに、進む方向の指示を出す。
イブは驚くほどにタフだった。
柑菜は、できればもう座り込んでしまいたいほどに疲れ果てていたが、イブはまだ柑菜を背負って走れるぐらいの余裕があった。
でも、背負って走ってもらうのはさすがに悪いので、柑菜も力を振り絞って走り続ける。
相手は途中で脱落した。
しかし、途中まで付いてこれていたということは、そこそこの体力がある人間ということになるだろう。
それは記憶に残しておかないといけない。
これからだって、柑菜たちは狙われる可能性があるのだ。
この世界の者たちにとって、柑菜やイブは異邦人なのだから。
違なるものは排除される……それはきっと現実もこの世界も変わらないはずだ。
そうでなければ、柑菜たちが追われる意味がわからない。
「まっすぐ!全力疾走!」
「よっしゃ!」
ぐいっと力強い手が、柑菜の萎えそうになる足を引っ張ってくれる。
やがて目の前に、目的地のL22地区大学の姿が見えてきた。
◇
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫?」
「う、うん……」
「けっこうしつこかったもんなぁ……」
「そうだね……」
あれだけ執拗に追ってくるということは、これからだって追われる可能性が高いということだ。
周りを慎重に見回してみて、あの男の姿のないことを確認する。
「もう……大丈夫みたい……」
「でも、あんまり目立つ場所にはおらんほうがええやろなぁ……」
「うん……ちょっとそこの門の影に隠れてようか……」
まだ朝早いということもあって、学生たちの姿もまばらだ。
そこに立っている制服姿の柑菜とイブは、否が応にも目立ってしまう。
イブに手を引かれたまま、校門の影に隠れようとしたときだった。
「君たちはキャンパス見学か何か?」
ふいに声をかけられ、二人は足を止める。
学生だろうか……それとも、大学の関係者なのだろうか。
どちらにしても、あまり良い状況ではない。
柑菜は満面の笑みを浮かべながら振り返り、そして思わずその人物めがけて指を刺していた。
「あああぁっ!!!!」
その声につられて、イブも恐る恐る振り返る。そして、柑菜と同じように相手を指差して声を上げた。
「篠原教授やん!!!」
「え……」
当の篠原のほうは、まるで狐にでもつままれたような顔をしている。
まさかこんなに早く探し人に出会えるなんて思いもしなかった。
「あ、あの……俺たち、その……怪しいものじゃなく……ふごっ!?」
言いかけたイブの口を封じて、代わりに柑菜がにっこりと穏やかな笑みをたたえて語りかける。
「はじめまして、篠原教授。突然、押しかけてしまってごめんなさい。私たち、実は教授を訪ねてきたんです」
「え?ぼくを?」
「はい。実は折り入ってご相談が……おそらく教授の専門分野だと思うんですけど」
「へええ……なんだろうね」
「時に教授、今日のご予定は?」
「今日は朝一の講義を終えたら、あとはゼミに顔を出すぐらいだけど」
「その後は……お時間はあったりするのでしょうか?」
「ああ……話を聞く時間ならあると思うけど……」
やはりお人よしと見込んだだけあって、柑菜たちを門前払いしようという気配は感じられない。
「では、教授のご予定が終わり次第、お時間をいただいてもかまわないでしょうか?」
「ああ……それはかまわないけど。君たちはそれまでどうするの?」
「実は……いろんな事情があって、お金もここまで来るのに底をついてしまったので、大学の中で待たせてもらえるとありがたいのですけど」
「それなら、構内のぼくの部屋で待ってる?」
「はい。ぜひそうさせていただけると助かります」
「じゃあ、こっちへ。まあ、部屋っていっても、狭いし、散らかってるけどね」
「そんなのいっこうに構いませんわ」
柑菜はそう答えて、お嬢様学校で学んだ完璧な微笑を浮かべた。
◇
「ぶぶぶぶ、ぶはっ!!!!」
篠原教授が背を向け、歩き出すと、イブは堪えきれなくなったかのように、口を塞いでいた柑菜の手を振り解いた。
「あ、ご、ごめん……」
すっかりその存在を忘れていた。
「はーはー……窒息死するかと思ったわー……」
「だって……イブに話をさせたら、絶対怪しまれると思ったから」
「まあ……それは間違ってないと思うけど……」
「ほら、おかげで完璧だったでしょ?」
「まあ……なぁ……」
そう答えるイブは、どことなく複雑そうな顔をしている。
気がつくと、篠原教授が校舎の前で立ち止まって柑菜たちを待ってくれていた。
二人は慌てて駆け出した。
◇
「……二人です。年齢は15歳から18歳。学生です。見失ったのはL22地区駅から北西20メートルの路地。そこからの足取りはわかりません」
「……わかった。引き続き捜索を行え。応援を二人送る。次に見つけたら、問答無用で捕まえろ」
「了解しました」
◇
「へえ……さっすが教授って感じ」
講義のために篠原が部屋を出て行くと、柑菜は傷だらけの木製の机に腰をかけ、足をぷらぷらとさせる。
ここは歴史のある大学らしく、何もかもが古かった。
その中でも、篠原の部屋はひときわ古い……というよりぼろかった。
けれども、どうやら追われているらしい二人にとって、この部屋はありがたい隠れ場所だった。
「まさか、あの男だって、ここまでは来ないでしょ」
「そやな……ここなら安心か」
そう答えたイブは、何となく浮かない顔をしている。
「あの人……本当に大丈夫なんかなぁ……」
「どうして?何か怪しいことでもあった?」
「いや……あんまりにも俺たちを普通に受け入れてくれたから、かえって怪しいんちゃうかなって……」
「私たちは異物なんだもの。そもそも周り中が敵で当然でしょ」
「じゃあ、カンナもあの教授のこと完璧に信じてるわけじゃないんだ?」
「もちろんよ。確かにお人よしそうだけど……もしもお人よしなふりをしてるだけなら、さっき尾行してきた男よりもずっとたちが悪いわよね……」
「せやなぁ……」
「でも、こうして隠れ場所を提供してくれている間は、私たちにとっては味方。その後もとりあえず敵から身を隠すための手助けをしてくれたら、手助けをしてくれている間は味方。それでいいんじゃないの?」
「カンナはちゃっかりしてるなぁ」
「冷めてるって言ってくれてもいいんだよ?」
柑菜がそう言うと、イブは吹きだした。
「別にそんなことは思ってへんよ。すごいなぁって。落ち着いてるなぁって。感心してるんやで」
「感心されるようなことじゃないよ。自分でも自分のこと嫌いになりそうなぐらい、嫌なやつだもん。何でこんなに冷めてるのかなって。いつもそう思う」
「たとえ冷めてるとしても、俺にとっては……いや、今の俺たちにとってはそれが必要やねん。それがなかったらたぶん、さっきかてあの男に捕まってたで」
「それはそうだろうけど……」
「だから、俺は感謝してるんや」
にこにこと、何の疑いもなく笑いかけてくるイブに、柑菜は苛立ちを覚える。
言葉に出しては言わなかったけど。
イブのことでさえ、柑菜は完全に信用はしていなかった。今は一人より二人のほうがいいから一緒にいる。もしも一人のほうが良くなったら、きっと柑菜は迷わずイブから離れるだろう。
そんな自分が嫌だ……解っているけど、変わることなんて出来ない。柑菜はずっとそういうスタイルで来た。変われるなら……もっと前に、自分のことが嫌いになる前に、とっくに変わってる。
「やっぱり私、あんたのこと嫌いだわ」
「え?なんで?俺、なんかした?」
「別に」
そう答えて、柑菜はぷいっとそっぽを向く。
「やっぱりって、どうゆうこと?いつから俺のこと、嫌いやったん?」
「最初から!」
「ええええ、なんでやねん!」
それ以上話しかけるなと訴えるように、柑菜は書棚から本をとって読み始めた。
超心理学の数字や英語が羅列された小難しい本で、柑菜が読んでも内容はちっとも頭に入ってこなかったけど。
とりあえず、イブ避けには役に立ちそうだ。