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『真理子という名前』  作者: 蔭翁


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第8話 選ばれた理由 ――静かな取引(完全版)




関東地区大会の翌朝。

前日の熱気がまだ残る会場跡地には、撤収作業の音だけが響いていた。

誰もいない客席に差し込む朝日が、舞台袖の埃を金色に照らしている。


運営本部の一室では、数人の関係者が黙々と書類を整理していた。

テーブルの中央には、「関東代表選考会議」と印字された資料の束が置かれている。


「――それでは、最終確認に入ります。」


進行役の女性スタッフの声に、場が静まる。

集まっているのは、制作会社のディレクター、スポンサー企業の広報担当、

そしていくつかの芸能事務所関係者たち。


前夜の華やかな拍手とは違い、ここには“現実”の空気が漂っていた。


「東京都代表・星野玲。文句なしですね。」

「異論ありません。歌唱力も完成度も群を抜いている。」


「では、残り二枠。神奈川と静岡――こちらが問題だ。」


その言葉に、数人の視線が一枚のプロフィール写真に向けられた。

そこには、泣きながらも最後まで歌い切った少女の姿。

――静岡代表、佐久間詩。


「技術的には他の候補に劣る。だが、観客投票では圧倒的に高かった。」

「SNSでも話題だ。“あの子の歌で泣いた”って。」


若手スタッフの声に、ディレクターは眉をひそめる。

「泣けるだけでは番組にならない。必要なのはスター性だ。」


一瞬、空気が凍る。

だが、年配の制作協力スタッフが静かに言葉を挟んだ。


「……しかし、星野玲が“完璧な光”だとすれば、

その隣に“影の原石”がいた方が舞台が映える。

完璧な構成には、対になる存在が必要です。」


「対になる存在、ね。」


ディレクターは顎に手を当てた。

机上の資料に映る詩の写真は、玲とは正反対の輝きを放っている。

不器用で、まっすぐで、どこか壊れそうなほど純粋な笑顔。


「スポンサーサイドの意見は?」


広報担当の男が一枚の紙を差し出す。

「うちの次の観光PRが“伊豆”なんですよ。

この子、伊豆出身です。もし全国大会に進めば、

地方キャンペーンとタイアップができます。」


「……なるほど。話が早い。」


その一言で、決定の流れが変わった。


「――では、静岡代表・佐久間詩を推薦枠として全国大会に。」


進行役が記録用紙に印をつけ、議事録の印字音が静かに響く。

誰も拍手はしなかった。

けれど、その場の全員が“番組としての最良”を選んだという満足を漂わせていた。



---


同じ頃、詩はホテルのロビーにいた。

他の出場者たちはもう荷造りを終え、地元へ帰る準備をしている。

カフェの席に一人残り、冷めたコーヒーを見つめていた。


――やっぱり、落ちたんだろうな。


そう思いながらも、心のどこかで「それでも」と願う自分がいた。


スマートフォンを開くと、SNSには前夜の観客たちの投稿が溢れていた。


> 「静岡の子の歌、泣けた」

「技術より心が届いた」

「また聴きたい」




その文字を見つめながら、詩の目が少し潤む。

「……ありがとう。」

誰にともなく、そう呟いた。



---


午後。

会議を終えた制作チームがロビーを通り過ぎた。

その中の一人が立ち止まり、詩の方を一瞬だけ見る。

彼は年配の制作協力スタッフ――先ほど「対になる存在」と言った人物だった。


「君、佐久間詩さんだね。」

「はい……。」

「おめでとう。全国大会に出場が決まったよ。」


詩は立ち上がったまま、言葉を失った。

その目に驚きと戸惑いと、信じられないほどの光が宿る。


「わ、わたしが……?」

「そう。君の歌は“届いた”。それで十分だ。」


男は穏やかに微笑むと、そのまま去っていった。


詩はその場に立ち尽くす。

ロビーのざわめきが遠のき、時間が止まったように感じた。


「……玲さんと、また会えるんだ。」


口にした瞬間、胸の奥が震えた。

もう一度あの人と同じ舞台に立てる。

それは恐れでもあり、何よりの希望だった。



---


翌日、公式サイトに「全国大会進出者リスト」が掲載された。


【関東代表】

東京都代表:星野 玲

神奈川県代表:田村 紗江

静岡県代表:佐久間 詩


このリストを見た玲は、控室でそっと笑った。

「……やっぱり、来ると思ってた。」


玲のその笑みには、ライバルを待つ喜びと、

かすかな緊張が混ざっていた。


詩の名前を見つめながら、玲は小さく呟く。

「次は――本当の勝負ね。」



---


その頃、東京郊外の音楽スタジオでは、

一人の青年がパソコン越しにニュースを眺めていた。


風間隼かざま しゅん――若手ながら注目される芸能プロデューサー。

全国大会の新しい人材リストに、ふと目が止まる。


「……佐久間詩、か。」


画面に映る少女の写真を見つめ、

彼の指が無意識に止まった。


心の奥に、何かが小さく灯る。


――それは、まだ誰も知らない物語の始まりだった。



---


【導入】第9話へ


全国大会の開幕を前に、東京では出場者たちの事前合宿が始まろうとしていた。

地方代表たちは、各地から続々と上京してくる。


静岡代表・佐久間詩もそのひとり。

手にした切符の文字を何度も確かめながら、

胸の高鳴りと不安を抱え、長いホームを歩き出す。


彼女の視線の先には、

新しい出会いと、再会、そして運命の交錯が待っていた。


(第8話・了 → 第9話「新しい舞台 ――初めての出会い」へ続く)



---


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