表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『真理子という名前』  作者: 蔭翁


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/13

第7話 「ガラスの舞台裏」




朝から、会場の空気は張りつめていた。

広いガラスホールのステージ裏では、スタッフたちが無言でケーブルを這わせ、照明を点検している。

汗を拭う間もなく、次々と指示が飛ぶ。

「星野玲さんのマイク、特注品をリハで使います。ほかの出場者は共用で」

淡々と告げられる言葉に、誰も異を唱えなかった。

それが、ここでの“普通”だった。


「……今年も、決まりなんだろうな」

音響ブースの若手スタッフがぼそりとつぶやく。

隣にいたベテランが小さく肩をすくめた。

「お前、初めての関東大会か。毎年そんなもんだよ。上から決めてんだ、最優秀。俺たちの仕事は、段取りを整えるだけさ」


「でも、見たんですよ。昨日のリハで出てた“伊豆の子”。詩って名前。あの子、すごかったですよ」

若手の目は真っ直ぐだった。

ベテランはしばし黙り、やがて溜息をつく。

「……そういう子、毎年いる。けどな、ここじゃ“上手い”だけじゃダメなんだ」


外ではリハーサルが進み、スタッフの無線が飛び交う。

機械的な声の合間に、誰かのため息が混じった。

光の向こうに立つ者と、影に埋もれる者。

ステージは、最初から二層に分かれていた。


 


その頃、控室の一番奥。

地方大会から同行してきた年配の審査員・川原は、書類の束を前にして腕を組んでいた。

審査表には、スポンサー企業のロゴがびっしりと並んでいる。

そこに添えられたメモには、赤い字でこう書かれていた。


> 「星野玲――推薦枠」




川原は静かに目を閉じた。

「推薦」という言葉の意味を、嫌というほど知っている。

上層部が推す者。

メディア露出、企業との契約、タイアップ。

どんなに“本物”が現れても、ここでは勝てない。


だが彼の頭には、昨日のリハで聴いた詩の歌声が残っていた。

技術ではない。心を震わせる何かが、あの少女にはあった。

川原は、ボールペンの先を握りしめる。

書きかけの採点表の隅に、ほんのわずかに“+1”と書き足した。

それが何の意味も持たないとわかっていても、せめてもの抵抗だった。


 


昼を過ぎると、会場の外では報道陣が列を作り始めた。

「星野玲、今年も来ますか?」

「関東大会なのに、全国紙の記者まで来てるぞ」

観客の大半は、すでに“玲を見に来た”人たちだった。


広報担当の若い女性が、スポンサー代表に確認する。

「詩さんという子、急遽エントリーされたようですが……」

「構わないよ。どうせ上がらない」

書類の山をめくりながら、代表はあっさりと答えた。

「星野玲を一位に。二位以下は話題づくりで振り分ける。地方色を出せば、あとで“多様性”の宣伝にもなるだろ」


彼の指が、詩の名前の上で止まった。

「……伊豆? いいね。観光局とタイアップ予定がある。

 あの子を“惜しかった子”として紹介しておけ」

誰かの未来が、机の上のメモ一枚で決まっていった。


 


夕方、ホールの中では、照明リハーサルが始まった。

「玲さんのライト、3000ケルビンで統一。ほかは標準設定で」

若手の照明技師が尋ねた。

「統一って……他の子の照明、少し暗く見えますけど」

「いいんだ。主役を際立たせるための“演出”だ」


技師は唇を噛んだ。

光を操る仕事をしているのに、正しい方向へ光を当てられない。

だが、指示に逆らえば自分が消える。

“照らされる者”と“照らすだけの者”――その差は、いつも絶対だった。


 


一方、控室の隅では、詩が自分の歌詞カードを見つめていた。

まだ高校生の面影が残るその手が、少しだけ震えている。

声をかけたのは、同じ出場者の少女だった。

「緊張してるの?」

「うん。でも……ここに来られただけで嬉しい」

詩の笑顔は、まっすぐで、飾り気がなかった。

それがかえって、痛々しく映った。


少女は思わず視線をそらす。

自分はもう、最初から“負け”を知っている。

玲が来る限り、誰にも勝ちはない。

それでも、ステージには立たなきゃならない。


「がんばって」

少女が小さくつぶやくと、詩は嬉しそうに頷いた。

その笑顔が、まるで“希望そのもの”のようで、胸が痛んだ。


 


やがて会場に、ざわめきが走る。

ホールの入り口が開き、白いワンピースの影が差した。

「来たぞ……」

スタッフの一人が呟いた瞬間、場の空気が変わる。

それは歓声ではなく、“息を呑む音”だった。


玲が歩くたび、フラッシュが花のように咲く。

誰もが見惚れ、誰もが敬意を込めて道をあけた。

彼女がそこに立つだけで、すべての演出が完成してしまう。


舞台監督が呟く。

「……やっぱり、特別だな」

隣のスタッフが苦笑した。

「“特別に見せる”よう、俺たちが全部調整してるからな」


 


その夜、控室の隅で川原はメモ帳を閉じた。

「この大会、何かが変わる気がする」

彼の呟きに、若手スタッフが顔を上げる。

「え?」

「光が当たる場所に、もう一つの光が近づいてる。

 星野玲に届かなくても――あの伊豆の子は、確かに何かを持ってる」


窓の外では、夕焼けがガラスの壁を赤く染めていた。

明日、誰が勝つかはもう決まっている。

けれど、誰の心に残るかは、まだ決まっていない。


そして翌日。

二つの太陽が、同じステージに立つ。

それが“偶然”ではなかったことを、この時まだ誰も知らなかった。


――静かに、夜が降りた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ