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『真理子という名前』  作者: 蔭翁


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第12話 全国大会初日 ――運命の序章




朝の光が鳳雅シンフォニア・ドームの曲線を柔らかく照らす。

昨日のリハーサルの余韻が残るホールは、今日という舞台のために静かに息を潜めていた。


佐久間詩は控室で、手元のメモ帳に昨夜の自分の歌の感触を記していた。

音程の揺れ、呼吸のリズム、心の余白――

すべてが昨日のリハーサルで確かに届いた“生きた声”の証だった。


(よし……今日も、自分の声で生きよう)

胸に小さな決意を灯し、詩は深呼吸を繰り返した。

控室のドアが開き、神奈川代表の田村紗江が元気に顔を出す。

「おはよう、詩ちゃん! 今日が本番だよ!」

「うん、昨日よりももっと、自分らしく歌いたい」

二人は軽く握手を交わし、心の中で互いに勇気を確かめ合った。



---


午前九時――ホール内ではスタッフたちが最終確認を行っていた。

音響、照明、カメラ位置、舞台袖の動線――すべてが昨日よりも厳密に調整されている。

緊張感が空気を震わせ、ホール全体に張り詰めた空気が漂う。


星野玲はステージ中央に立ち、目を閉じて深呼吸する。

昨日のリハーサルを思い出しながら、今朝の静寂を体に取り込む。

(今日が、すべての始まり……)

玲の体からは、圧倒的な自信と冷静さが滲んでいた。


風間隼は審査席からステージ全体を見渡す。

ポケットのUSBには詩の昨日のリハーサル映像が保存されている。

「この二人の声が、時代を動かすかもしれない」

風間は静かに呟き、審査席のメモ帳を開く。



---


午前十時――全国大会初日が正式に幕を開けた。

ステージの幕がゆっくり上がると、観客席には各地区代表、審査員、関係スタッフの顔が見えた。

ホールの空気は一瞬で張り詰め、重厚な期待が観客席と舞台をつなぐ。


最初に登場したのは北海道代表・小林悠。

爽やかで透き通る声が、丸みを帯びたホールの天井に優しく跳ね返る。

次々と各代表が登場し、それぞれの個性を音に乗せて披露していく。

詩は舞台袖で順番を待ちながら、自分の心拍の高まりを感じていた。


「……私も、負けない」

胸の中で小さく誓い、詩はマイクを握りしめる。



---


午後一時――佐久間詩の番が来た。

スタッフの声が舞台袖で響く。

「静岡代表、佐久間詩さん、準備はよろしいですか?」

「はい……!」

ステージに一歩踏み出すと、金色の格子照明が全身を包む。

木の床の感触、反響する空気、観客席に広がる静寂――

これまでの地方大会とは格の違う舞台が、彼女を押し上げる。


ピアノのイントロが流れる。

昨日よりも高いテンポと、丸みを帯びた音色がホール全体に柔らかく響く。


♪――遠くの空に まだ見ぬ光を探してる

 ひとりじゃないと やっと気づけた日から――♪


詩の声は微妙に揺れるが、それは決して弱さではなかった。

心の奥の熱量と、これまでの努力の積み重ねが、声に乗って観客の胸を揺さぶる。


ステージを見守る風間隼はペンを止め、ノートに書き込む。


> 「音程の揺らぎは弱点ではない。心の余白として響く。魂を感じる声だ。」




観客席からは、静かな感動のざわめきが漏れ聞こえる。

田村紗江は小さな拍手を送り、詩は深呼吸して次のフレーズに集中する。



---


午後三時――星野玲の登場。

ステージの空気が一変する。

玲の声は木製の壁に完璧に反響し、透明で力強く、温かくも鋭い光を帯びる。


♪――光を抱いて 闇を切り裂くように

 私の声が 道を照らす――♪


会場全体が息を飲む。完璧な演奏と歌声、迷いも揺らぎも一切ない。

風間は腕を組み、静かに観察する。


「完成された光……だが、光の隣には影が必要だ。佐久間詩の声が意味を持つ」

隣のディレクターは黙り込み、風間の言葉の重みを理解する。


玲が歌い終わると、観客席から自然発生的に拍手が湧き上がる。

ステージ袖の詩は、その拍手に励まされながらも、自分の歩む道を胸に刻む。



---


午後五時――すべてのリハーサルと初日ステージが終了した。

控室に戻る詩は深く息を吐き、窓の外に沈む夕日を見つめる。

隣には田村紗江が笑顔で立っていた。

「詩ちゃん、本当に届いたよ」

「ありがとう……私、もっと強くなる」

その瞳には、昨日よりも確固たる決意が宿っていた。


一方、風間隼はスタンド席からホール全体を見渡す。

ポケットのUSBに詰まった詩の映像を確認しながら、静かに呟く。


「この子が、時代の声になるかもしれない……」


鳳雅シンフォニア・ドームの屋根は、沈む夕日に染まりながらも、

まだ見ぬ明日への光を受け入れる準備をしていた。

全国大会――光と影の競演は、ついに本格的に幕を開けたのだった。



---


(第12話・了 → 第13話「審査員の視線 ――運命の判定」へ続く)




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