第217話 森で告げられた静かな怒り
北部山岳地帯の森は、相変わらず異様なほど穏やかだった。
精霊の気配が満ち、木々は風もないのにざわめいている。
リオンは、森の奥の小さな空き地で立ち止まった。
そこにいたのはリゼだった。
白い外套を羽織り、木漏れ日の中に静かに立っている。
逃げ場のない場所だと、リオンは本能で悟った。
「……リゼ」
名を呼ぶと、彼女はゆっくりと振り返る。
表情は穏やか。
だが、目だけが冷えていた。
「ここに呼んだのは、理由があります」
「……ああ」
森は静かだ。
だからこそ、声がよく響く。
リゼは一歩近づき、淡々と言った。
「狼族のルナが、身ごもりました」
「……聞いている」
「“実践”の結果、だそうですね」
その言葉に、リオンの喉が詰まる。
「止められなかった」
「止めなかった、の間違いでは?」
声は低い。
だが、鋭い。
「……否定はできない」
リゼは小さく息を吐いた。
怒鳴らない。
感情をぶつけない。
それが逆に、重かった。
「あなたは、私の時に言いましたね」
「“守る”と」
「不安も、差別も、信仰も一緒に背負うと」
リオンは黙って頷く。
「それなのに」
リゼは、森を見回した。
精霊の光。
聖獣の気配。
神話の中心に置かれた場所。
「同じ立場に立たされる女性を、また一人増やした」
「“講義”という言葉で」
一歩、距離を詰める。
「リオン」
「あなたは王です。ですが王である前に、人です」
その言葉は、森の静けさを切り裂いた。
「ルナは、忠誠心で選びました。拒否できる立場ではなかった。それを分かっていて、許したのはあなたです」
リオンは視線を落とす。
「……俺が悪い」
「ええ」
即答だった。
「だから、私は怒っています」
声は静か。
だが、揺るぎがない。
「ルナを責めるつもりはありません。彼女は、自分の役目を果たそうとしただけ……責任は、“選ばせた側”にあります」
沈黙。
精霊が、ざわりと空気を揺らした。
しばらくして、リオンが絞り出すように言う。
「……どうすればいい」
リゼは少しだけ考え、答えた。
「これ以上、“実践”を制度にしないこと」
「誰かの人生を、信仰や政治の都合で動かさないこと」
そして、リオンを真っ直ぐに見る。
「次に誰かが、あなたを“神”として扱おうとしたら……はっきり、拒んでくださいあなたは、神様を生む存在ではない。生きて、王様として歩む存在です」
リオンは、深く頷いた。
「……分かった」
リゼはそれ以上言わず、背を向ける。
去り際、振り返らずに言った。
「怒っています。ですが……まだ、信じています」
森に残されたリオンは、大きく息を吐いた。
胃が痛い。
だがそれ以上に胸の奥が、重かった。
北部の森は、今日も静かだった。
だがその静けさは、王が逃げられなくなった証でもあった。




