第206話 境界の向こう側
日本、総合病院。
白い天井の下、リゼはベッドに腰掛け、ゼオンは小さな寝息を立てていた。
そこに、リオンの姿はない。
『……聞こえますか、リオンさん』
スピーカー越しに、日本側担当官の声が響く。
リオンは異世界、ガルリオン共和国・王都の一室で無線を握っていた。
「聞こえてる。……診断は?」
数秒の間。
『結論から言います』
医師の声に切り替わる。
『赤ちゃんも、お母さんも、医学的には“人間”です』
リオンは、深く息を吐いた。
「……そうか」
それだけ言うのが精一杯だった。
医師は淡々と説明を続ける。
『骨格、臓器、血液成分、すべて人間の範疇です。耳の形は個人差の範囲内。特異な遺伝情報も確認されていません』
医師は、少し困惑したリゼの様子をリオンに教えてくれた。
診察中、リゼが震える声で疑問を口にしたという。
「……私、エルフじゃないの?」
「少なくとも、日本の医学ではそういう分類はありません。この日本では、“人間”です」
その言葉を聞いた瞬間、リオンは確信した。
(やっぱりだ……精霊が居ない!それに魔力が無いんだ!)
理由は、はっきりしている。
スキル《家移転》。
日本と異世界を繋いでいるのは、家という“物体”だけ。
魔法も、魔力も、精霊も、境界を越えられない。
いや、正確には……。
(越えた瞬間、この世界との“繋がり”が切れる)
リオンは、王であり、この世界に縛られた存在だ。
無線越しに、淡々と告げる。
「リゼとゼオンは、日本に残せ」
リゼに言付けを頼みながら、リオンの心は少しだけ揺れる。
「大丈夫だ。日本は、安全だ。精霊も、神話も、日本には入れない」
(ここなら、ゼオンは“精霊王”にならずに済む)
医師の声が戻る。
『事情は承知しています。こちらで責任を持って、経過観察します』
日本側担当官が付け加える。
『リオンさん、日本側の警備は完璧です。あなたには安心して輸出を頑張ってほしい』
リオンは、苦く笑った。
「……だろうな」
後日。
録画された動画越しに。
リゼが、ゼオンを抱き上げる。
『リオン、この子……普通の赤ちゃんよ』
「それでいい……それが、いい」
しばらく、沈黙。
王都の窓の外では、精霊たちが騒がしく集まり始めている。
だが、日本側の無線には、その気配は一切届かない。
世界が、完全に分断されている。
王都の静かな部屋。
リオンは、初めて椅子に深く腰を下ろし、天井を見上げた。
(会えない、抱けない、それでも……)
「……守れたな」
誰にも聞かれない、独り言。
日本という“向こう側”に、息子はいる。
精霊も、王冠も、宿命もない場所に。
リオンは、王として、父として、その選択を、受け入れた。




