第205話 王の決断、避難という名の現実逃避
リオンは、完全に限界だった。
「……無理だ」
夜の執務室。
机に突っ伏したまま、天井を見つめる。
宗教。
神話。
精霊。
参拝者。
どれも一つなら対処できる。
だが全部同時は無理だ。
(ゼオンは、ただの赤ん坊だ)
(それを“神”扱いされる世界で育てる……?)
脳裏に浮かぶのは、列を成す参拝者と、勝手に作られ始めた祈りの言葉。
リオンは、ゆっくりと起き上がり、無線機を手に取った。
「……こちら、リオン」
短い沈黙。
『こちら、日本側連絡官・佐伯です』
落ち着いた声。
それだけで、少し救われた。
「……頼みがある」
『はい』
リオンは、間を置いてから言った。
「リゼと、赤ん坊を日本に避難させたい」
一瞬、無線の向こうが静かになる。
『……理由を伺っても?』
リオンは、正直に答えた。
「宗教問題だ」
「俺の国で、あの子が“神話の中心”になりかけてる」
沈黙。
数秒後。
『……なるほど』
佐伯の声は、驚くほど淡々としていた。
『要するに、”巻き込まれたくない”ということですね』
「……はい」
リオンは、はっきり認めた。
「このままだと、あの子の人生が、最初から歪む」
無線越しに、軽く息を吐く音。
『判断としては、理解できます』
『日本側としても、リオンさんの精神安定確保は優先事項です』
リオンは、思わず目を閉じた。
「……助かる」
『ただし』
一拍。
『日本は、神話も精霊も“公式には存在しない国”です』
「……分かってる」
『エルフであることも、戸籍上は説明が必要になります』
「……そこも、頼む」
再び、短い沈黙。
『政府としては』
『一時的な医療・保護目的の受け入れ
という形なら可能です』
リオンの肩から、力が抜けた。
「本当に……ありがとう」
『ただし、条件があります』
「何でも言ってくれ」
『日本では』
『その子は、ただの“赤ん坊”として扱われます』
『神でも、王でもない』
リオンは、迷わず答えた。
「それでいい。それがいい!!」
数日後。
夜の山岳地帯。
ヘリのローター音が、森を震わせる。
リゼは、毛布に包まれたゼオンを抱き、不安そうにリオンを見上げていた。
「……本当に、大丈夫なの?」
「大丈夫だ」
リオンは、はっきり言った。
「少なくとも、日本では」
「誰も跪かない。誰も祈らない……ただ、子供として扱われる」
リゼは、少し考えてから、静かに微笑んだ。
「……それなら」
「この子にとって、一番ね」
ゼオンが、小さく声を上げる。
精霊たちが、不満そうに遠くでざわめいた。
『王を連れていくの?』
『森の外へ?』
リオンは、ヘリに乗り込みながら、はっきりと言った。
「違う。息子を、守るだけだ……」
ヘリは、夜空へと浮かび上がる。
精霊の光が、追ってくることはなかった。
彼らは理解していた、“これは逃避だ”とそして、“逃さない”と。
こうしてリゼとゼオンは、日本へと渡った。
ガルリオン共和国から、“神話の中心”だけが、一時的に切り離された夜だった。




