第202話 初めての涙
王都ガルリオン、夜。
執務室で地図を広げていたリオンの腰に、短いノイズとともに無線が入った。
『……リオン……聞こえる……?』
微かに震える声。
一瞬で、背筋が凍る。
「リゼ……?」
『精霊たちが……集まり始めた……たぶん……来る……』
その一言で、十分だった。
「すぐ行く」
リオンは椅子を蹴るように立ち上がり、
外套も羽織らず、走り出した。
ヘリのローターが夜空を切り裂く。
王都の灯りが遠ざかり北部山岳地帯、かつての狼族の里が見えてくる。
そこは、もう“山”ではなかった。
深い森。
月光に照らされ、無数の精霊の光が漂っている。
(……間に合え)
祈るという行為を、リオンはこれまで信じたことがなかった。
それでも、この時だけは心の底から、願っていた。
小屋の前にヘリを降ろすと、ラミと、狼族の女性、ドワーフの女性が待っていた。
誰も言葉を発しない。
ただ、静かに道を空ける。
中に入ると、そこは張りつめた静寂に満ちていて、そして、奇妙なほど穏やかだった。
寝台の上に、リゼがいた。
額に汗を浮かべながらも、微笑んでいる。
「……来てくれたのね」
「当たり前だ」
声が、わずかに震えた。
リゼの腕の中には、
小さな、小さな命。
「……この子……」
リゼはそっと赤ん坊を抱き上げ、リオンへ差し出す。
「私たちの……子よ」
その瞬間。
世界の音が、消えた。
リオンは、恐る恐る赤ん坊を受け取った。
軽い。
信じられないほど、軽い。
そして、温かい。
小さな指が、リオンの指をぎゅっと掴んだ。
「……っ」
胸の奥が、ぐしゃりと潰れた。
視界が滲む。
「……あ……?」
気づいた時には、
涙が、ぽたぽたと赤ん坊の毛布に落ちていた。
「……なんで……」
声にならない。
今まで、何度も人を殺してきた。
国を作り、戦争をし、命を奪ってきた。
それなのにこの小さな命ひとつで心のすべてが、ひっくり返る。
「……生まれて……きてくれて……」
言葉が、続かなかった。
リオンは、赤ん坊を胸に抱きしめる。
初めてだった。
嬉しくて、涙が出たのは。
リゼは、弱々しく笑った。
「……泣く王様、初めて見たわ」
「……うるさい」
鼻をすすりながら言うと、周囲の女性たちは、そっと視線を逸らした。
ラミは笑いながら、「私の弟ができた!」とフンス、フンスと興奮している。
精霊たちの光が、まるで祝福のように、天井を舞っていた。
その中でリオンは、静かに誓った。
(……この子だけは)
(……何があっても、守る)
世界がどうなろうと。
国がどうなろうと。
この小さな命を守るためなら、
またすべてを敵に回してもいい。
赤ん坊が、小さく声を上げた。
それを聞いて、リオンは涙を拭い、微笑む。
「……ようこそ……俺たちの世界へ」




