第75話 ゆっくり落ちる
ピンポーン。
おや、思ったより時間が経過していたらしい。山田さんが来る前に誰か来て、だったから30分も経過していない、なんてことは俺に限ってないのだ。
「はあい」
「やっほー、松井くん」
訪ねてきたのはもちろん山田さん。どぞどぞ、と彼女を部屋へ迎え入れる。
「松井くんが誘ってくれるなんて、珍しいね」
「あ、いや」
「迷惑とか困ったとかじゃないんだよ。その逆、誘ってくれて嬉しいよ」
「あ、うん」
相変わらずの陽のオーラにおろおろする俺ではないのだ。俺だとて日々コミュ力があがっているのだよ。
え? まともに返していないじゃないかって? 気のせいだろ、うん。
山田さんはもう慣れたもので、一言断ってからポットでお湯を沸かし始める。ところがそこで彼女の髪の毛がピンとなり、口元に手のひらを当て、大きな声を出した。
「高山さん! え、きゃああ。松井くん、このかわいい子は?」
「じゅ、順番に。高山さん……中身グルゲルはちょこっと話があって。そ、そんで、その子はミレイていう妖精だよ」
「ミレイだよー☆」
山田さんが再びきゃーと黄色い声をあげる。
どうやら、ミレイの方がグルゲルがいるより遥かにインパクトがあったようで何より。この様子だとグルゲルをしれっと会話に加えてもいけそうな予感がする。
山田さんとミレイがきゃっきゃしている間にグルゲルとの話を終わらせようぞ。
「グルゲル、ミレイがゆっくり落ちるようになる魔法を使うことができるみたいだからショートカットを使えそうだ」
「お、なら、行くか」
「底に何もなかった場合……先の登って俺を引き上げてもらえるか?」
「構わねえけど、オレに引っ張られてもいいのか?」
ん、何か問題があるのかいな。
あ、ああ、グルゲルの体は高山さんであるからして、華奢な女の子にロープを引かせて引っ張り上げるとかをやらせていいのか? しかも一人で。
絵面は最悪だが、別にいいんじゃね? としか思わんな。だって、中身がグルゲルで超強化されてるんだもの。
男が華奢な女の子に引っ張り上げられて情けないとかいう気持ちなんぞ微塵たりともないのだ。
ふふふ、と不適な笑みを浮かべた時、じーっとこちらを窺うミレイと目が合う。ついでと言っては何だが、彼女の視線につられ山田さんもこちらに注目しているではないか。
「あー、マスター、ミレイの魔法はちょっと違うよー」
「ん? ゆっくり落ちるようになるんだよね?」
「そうだよー☆ とっても軽くなるんだよー」
「あ、そういうことか」
落ちるのが遅くなる魔法ではなく、体を風船のように軽くする魔法だったのか。
それならそうと教えてくれれば……いや、俺の聞き方が悪かっただけ。今知れたので良かったよ。
体が風船のように軽くなるんだったら、自力で登ることも可能かもしれない。空洞へ落ちる前に試しておくのもよいのだが、適切な場所がないんだよなあ。
ミレイと入れ替わるようにして山田さんがキラキラした目で尋ねてくる。
「何かおもしろそうなことやっているんだね?」
「う、うん。あ、あとで……」
山田さんには100階以降にあったことを全て共有しておきたいと思っているんだ。グルゲルはもちろん知っている話だし、彼女の時間が無駄になっちゃうものね。それと山田さんと二人きりなら彼女の「死に戻り」を含めて会話することもできるしさ。いや、山田さんと会話していたら、ポロっと「死に戻り」のことを喋っちゃいそうだから、避けたいってのがグルゲルの前で彼女と会話を避けた方がいいと思った理由だ。
山田さんの「死に戻り」のことってポロっと漏らしていい情報じゃあないものな。
話を聞いていたグルゲルが「んー」と顎を指先で撫でる。多分あれ、自分の髭を触る癖なんだろうなと思うのだが、今は高山さんの体だったので、しっくりいかないと眉をしかめていた。
「ヤマダも一緒に連れてきゃいいんじゃねえの?」
「ショートカットの現場に?」
「んだ。別に外から見てる分には問題ねえだろ」
「ボスがまた復活するじゃ……倒してから山田さんを呼べば危険はないか」
いやいや、と首を横に振るグルゲル。
「後ろで待っててもらえばいいんじゃねえか? わざわざ呼びに行くにはエレベーターが遅えし」
「確かに、それでいけそう」
隠し通路の中にいてもらったら安全は確保でき、万が一のボスの攻撃の巻き込みもないからね。
グルゲルの言う通り、洋館のロビーで待っててもらった場合、143階と50階(洋館のある階)の往復は手間だ。
「私を連れて行ってくれるのはとても嬉しいんだけど、どんなイベントなの?」
「マツイと143階? まで行ってな。そこで、700メートル? だっけか? くらいの空洞を見つけてな。んで、下に降りてみるって話だ」
「もう143階に!? 一緒に連れていってくれるならついて行きたい!」
「だってよ?」
全部グルゲルが説明してくれたから、俺から山田さんの「死に戻り」をポロリすることもない。ナイスだぜ。グルゲル。
山田さんが両手を合わせ顔をほころばせ、言葉を続ける。
「松井くんとグルゲルさんが一番深いところまで行ってるんだね!」
「お、他の奴らがどの辺りまで行ってるのか知ってるのか?」
「今日の情報じゃないけど、榊くんたちと鈴木くんがどこまで進んだのかは聞いたよ。他の生徒はまだ50階まで進んでいないわ」
「ほう、教えてもらっても支障はねえか?」
うんうん、と頷いた山田さんがそれぞれどの辺りまで進んでいるのか教えてくれた。
榊君ら「攻略組」は125階まで進み、戻ってきたのだそうだ。一度ダイブしてエレベーターが無かったから今度は食料を持って進んだのだそうだけど、物資が尽きて戻ったとのこと。120階の休憩所を発見していなかったんだろうか。山田さんに後で伝えておこう。
もう一方の鈴木君は変わらずソロで進んでいる。彼は一度エレベーターを発見できず進んで戻っているから、榊君たちと同じく物資を持ってダイブした。
彼と一緒にいる女子生徒から山田さんが聞いた話だと、130階まで進んで戻ってきたのだと。
どちらも徒歩と思えないくらい速いが、グルゲルと似たような速度と思えばそんなものか。「攻略組」の神崎君以外は皆グルゲルと同じ「降臨」持ちだものね。