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第87話 暁に影は集う

夜が明けきる直前、リクたちは村を後にした。


黒月の谷へ向かうための準備は万全とは言い難かったが、それ以上の時間をかける余裕はなかった。王国軍の動きは早く、セインたちの背後に潜む組織もまた、因子の回収に本腰を入れ始めている。


「谷の入口までは森を抜けて半日……だが、問題は途中の地形だ。瘴気と魔力の乱流で、普通の人間は気を失う」


リクは先頭を歩きながら地図を確認し、影で風向きと魔素の流れを探っていた。


「そのために俺たちがいるんだろ?」カイルが肩の剣を担ぎながら笑った。「昔と違って、もう“無価値”なんて言わせねぇよ」


「頼もしい限りだね」エリナが微笑み、彼の背を押した。


影が地を這い、先行する危険を探る。リクの影術はすでに単なる索敵や戦闘の域を超え、土地そのものと対話するような感覚すら持っていた。


その途中、木々の合間から一羽の黒い鴉が降り立つ。リクの肩に止まり、低い声で囁いた。


『追跡者、三。距離、四百』


「セインたちの残党か……」


「どうする? 撃退するか?」カイルが剣を抜こうとしたが、リクは首を横に振った。


「放っておいていい。奴らの目的は因子ではない。俺たちの動向を監視して、上に報告するのが役目だ」


「つまり、監視網の一部ってことだな」クローネがうなりながら加わった。「下手に刺激すると、王国本隊が即座に動くぞ」


「だからこそ、奴らより先に到達する必要がある」


一行はさらに足を早めた。


黒月の谷は近づくにつれ、空が濁った硝煙のように霞み、木々が変色していた。根元が黒く、枝はまるで影に飲まれたように曲がっている。


「魔素の濃度……こんなにも高いなんて」


「いや、これは異常だ」リクが膝をついて地に手を当てる。「魔力の流れが変わっている。まるで誰かが“吸い上げている”ような……」


その時だった。地面が一瞬、脈動するように震えた。


「! 来るぞ!」


地中から突如、黒い腕のような影が数本飛び出し、彼らに襲いかかる。リクが影を操って応戦し、クローネが防御魔法で包囲する。


「自律影体!? まだ因子の主が近くにいないのに、これほど活性化してるとは……!」


エリナが後退しつつ叫ぶ。「リク、これ……“零式”が目を覚ましかけてるんじゃないの!?」


「かもしれない……」


影の攻撃をすり抜けながら、リクは核心を感じていた。まるで谷そのものが“意志”を持ち、彼らの接近を拒むように蠢いていた。


「……行くしかない。止まったら、あっちの思う壺だ」


一行は影の束をかいくぐり、強引に突破を図る。


谷の入口が見えてきたとき、リクは足を止めた。


その前方に、一人の人影が立っていた。


「……お前は──リアン」


王国軍の影抑制部隊、リアン・ドレイガ。


彼は剣を抜くことなく、道を塞ぐように立っていた。


「俺は……命令を果たしに来た。君たちの進行を止めるよう、正式に」


「だったら、剣を抜けよ」カイルが剣を抜いて前に出る。


だが、リアンは首を振る。


「違う。俺が来たのは……君たちの“選択”を見るためだ」


リクが睨むように見つめ返す。「まだ迷ってるのか、リアン」


「俺の父は、影融合実験の初期被験者だった。第零式……彼は、その実験で“崩壊”したんだ」


空気が凍る。


「……お前は、被害者だったのか」


「いや、俺は……その技術が完成することを望んでた。正直、今でも迷ってる」


リアンは剣を腰に戻し、道を開ける。


「真実を見て、それでも“止める”と思ったとき……俺に、もう一度問わせてくれ。君の正義を」


リクは静かにうなずき、彼の横を通り過ぎた。


「必ず証明してみせる。影が、人を救える力だということを」


仲間たちも続き、彼の背に言葉を投げた。


「……リアン、あんたも来いよ。まだ遅くねぇ」


リアンは黙ったまま空を見上げた。


暁の光の中で、彼の瞳がかすかに揺れていた。


その先に待つのは、かつて父を失い、影に呑まれた者たちの記憶。


そして“第零式”の真実だった。



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