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第86話 零式への道標

夜が村を覆い、リクたちは祠の近くにある古びた山小屋に集まっていた。灯りは最低限に抑えられ、周囲には影が張り巡らされている。すべての音がひそやかに沈み込む中、緊張が空気を支配していた。


クローネが持ち帰った魔導部隊の紋章。そこに記された地図と文言は、王国が“第零式因子”と呼ばれる存在を回収しようとしている確かな証拠だった。


「……場所は、村から東に三里。黒月の谷と呼ばれる峡谷地帯」


リクが地図を指さしながら説明する。その指先が触れると、影がうねるように地形を立体化して浮かび上がる。


「俺の父がこの地で行った初期の影融合実験は、すべてこの谷を中心に行われていた。理由は、地脈だ」


「魔力が……濃いのか?」カイルが問いかける。


「いや、乱れている。あそこは自然界の魔素が暴走しやすく、影因子が不安定化する」


「つまり、制御しきれなかった“失敗作”が……そのまま残ってる可能性があるってことか」クローネが呟くように言った。


「そう。そして王国はそれを“試す”。セインたちはその前座にすぎなかった」


エリナが不安げに顔を曇らせる。「その因子……どれだけ危険なの?」


「わからない。記録では、実験体が人の意識を保てず、影の暴走とともに全身を喰われたとある。でも父はその直前まで、なぜか“希望”という言葉を使っていた」


「希望……?」


リクはうなずいた。「父は、人と影が完全に融合し、共に生きる未来を信じていた。だけどそれを“使う者”が変われば、同じ技術が災厄になる」


カイルが拳を握る。「そんなの……許せるかよ」


「だから行く。黒月の谷へ。先に“零式”を見つけ出し、封じるか──あるいは、俺の力で向き合う」


エリナがリクを見つめる。「……一人で背負わないって、言ったよね?」


「もちろんだ。今回は俺たち全員で行く。これは“戦い”じゃない。“決断”だ」


そのとき、影が微かにざわついた。リクが立ち上がり、気配を読む。


「誰か、来る」


扉がノックもなく軋み、開かれた。


入ってきたのは、一人の若者。軍服の下に黒衣をまとい、眼差しは鋭い。だが、どこか虚ろな気配を漂わせていた。


「……リク・ハルトか」


「誰だ、お前」カイルが身構える。


男は胸元から一枚の文書を差し出した。


「王国軍第三魔導分隊──影抑制部隊所属、リアン・ドレイガ。命を受け、君たちに通告に来た」


リクは目を細める。「通告?」


リアンはわずかに表情を歪めた。


「黒月の谷は、王国の封印指定区域だ。これ以上の干渉は……“国家反逆”と見なす」


エリナが息を呑み、カイルが舌打ちする。「来やがったな、正式な犬が」


だが、リクはその瞳を静かに見据えたまま問うた。


「君は……本当に“その命令”を正しいと思っているのか?」


リアンは答えなかった。ただ、その視線が一瞬だけ揺れた。


「お前の背後にいるのは誰だ。……セインたちか? それとも、もっと上か?」


「それ以上は……俺の口からは言えない」


「なら、止められないな」


リクの声は静かだったが、はっきりと響いた。


「俺たちは行く。“影が希望だった”という証明のために。誰かの命令でねじ曲げられる道じゃない」


リアンは文書を投げ捨てるように置くと、踵を返して小屋を後にした。


その背中に、リクは囁くように言葉を送った。


「もし迷ってるなら、俺たちの目で真実を見てからでも遅くはない」


リアンの足が、一瞬だけ止まった。


だが何も言わず、闇に紛れて消えていった。


沈黙が落ちた山小屋。


リクは深く息を吐き、地図を見下ろす。


「……準備は、今日のうちに終わらせよう。夜明けと同時に出発する」


“零式”の真実を暴き、王国の影を斬り裂くために。


その旅は、もはや後戻りのできない道だった。



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