表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/231

第75話 影より深き淵 希望の頁

時間の感覚が曖昧になっていた。


影の迷界で、リクは膝を抱えて座り込んでいた。声も出さず、動きもせず。ただ、意識だけが微かに現実をつないでいる。


どれほどの時間が経ったのか、自分がどこにいるのか、それすらもうどうでもよかった。


リナの絶叫。父の背中。兄の最期の眼差し。


すべてが何度も脳内で再生され、そのたびに胸が裂けるような痛みに襲われた。


「……誰も……いない」


ぽつりと呟いた声は、あまりにも細く、すぐに虚空に溶けた。


影の世界は静かだった。嘲笑も、慰めも、怒りもない。ただ、暗くて冷たい沈黙だけが永遠のように漂っていた。


「なんで……俺だけが……」


自分の手を見つめる。震えている。こんな手では、誰一人守れなかった。


何もできなかった。何も変えられなかった。何も、何も――


「うっ……うぅ……」


感情が決壊する。嗚咽が止まらない。涙が尽きることなく流れ落ち、地面に吸い込まれていく。


自分がどれだけ無力か、どれだけ無価値か。リクはそれを嫌というほど味わった。


誰も信じてくれなかった。

信じてくれた者たちは、皆、自分のせいで死んだ。


「ごめん……リナ……父さん……兄さん……」


何度も、何度も謝った。


それでも、誰も応えてはくれない。


闇の中に沈んだリクは、立ち上がる力も、怒る力も、泣き叫ぶ力さえも失っていた。


ただ、そこに座り続けるだけの存在。


彼が、まだ影の王となる前――


世界の底で、一人きりの少年が、静かに壊れていく。


影の迷界の底で、リクは動かず、沈み込んでいた。


父を失い、兄を失い、リナを失い、自分自身さえ信じられなくなったこの深淵の中で――ふと、ある記憶が胸をよぎった。


それは、すべてが始まる遥か前。まだ心の底に希望がかすかに灯っていた頃のことだった。


――エルト村の外れにある遺跡。その静寂な石の廃墟の中で、リクは一冊の書物を見つけた。


魔物使いの記録。


ぼろぼろで、誰の目にもただの古紙の束にしか見えないその書物は、しかしリクにとっては唯一無二の宝だった。あのとき、影ウサギに襲われながらも、彼は命懸けでそれを抱えて遺跡を脱出した。


なぜなら、そこには初めて「自分にもできることがある」と思わせてくれる何かがあったからだ。


――ページをめくるたびに、魔物たちが語りかけてきたような気がした。


『恐れるな。お前の声は、ここに届いている』


『孤独ではない。共に在ろう』


現実では誰にも必要とされなかったリクが、その書物の中では、確かに“求められていた”。


影の迷界の中で、そのときのことを思い出す。


リクは震える指先で幻のページをなぞる。心の奥底に焼き付いて離れなかった、あの魔法陣、あの言葉、あのあたたかい手触り。


「……あの本が……俺を、生かした」


村でも家でも、自分は誰にも理解されなかった。


だけど、あの本だけは違った。


『お前は、選べる』


そんな言葉が、どこかのページに書かれていた気がした。


選ぶ? 何を?


その問いに、今なら答えられる気がした。


「どう生きるかを。何のために、生きるかを」


リクは立ち上がった。


涙は、すでに枯れていた。


代わりに、胸の奥に熱が宿っていた。


あの本が、過去の自分に語りかけてくれたように。


今度は、今の自分が未来の自分へ語りかける番だ。


『もう一度、立ち上がれ』


『失ったものは戻らない。でも、お前はそれでも歩める』


影がリクの足元で静かにうねる。その輪郭が、かつての恐怖の象徴ではなく、意思をもった“友”のように感じられた。


「ありがとう……俺は……もう、逃げない」


それは小さな決意だった。けれど確かに、絶望の闇に差し込む最初の一筋の光だった。


リクは影の中に向かって歩き出す。


かつての自分を背負い、未来の自分へと手を伸ばして。


そして彼は、もう一度思い出す。


あの書物の、最初のページに刻まれていた一文を。


『魔物を従える力とは、心を交わす力である』


それは、彼が今一番欲している力だった。


だからこそ、リクは決めた。


「魔物使いとして生きる……俺の手で、この影を――運命を、選び取る」


そして、影が頷くように静かに揺れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ