第99話 影鎖契の暴走と決別の刻
深夜、フィルメリアの中心部にある術式研究棟。その最奥に封じられた実験場では、影鎖契の応用実験が行われていた。リクは防護結界の内側で、静かに腕を前に掲げていた。彼の周囲には、影が渦を巻き、まるで意思を持つように蠢いている。
「……来るか、ゴルム」
影から現れたのは、以前よりも明らかに巨大化した影狼。だがその目には、かすかな狂気が宿っていた。
「リク、反応が不安定だ! これ以上は危険だぞ!」
防護壁の外で叫ぶのは研究員のラゼル。彼はリクの安全を誰よりも案じている。しかし、リクは首を横に振った。
「今、逃げたら……次は制御できない」
影鎖契の力は、契約者の精神と密接に結びついている。不安、怒り、恐怖……それらが影の波に混ざり合い、形を変えていく。リクの背後では、影が怪物のように広がり、壁面を這い始めていた。
(ダメだ、このままじゃ……)
リクは目を閉じ、自らの心に語りかける。
──恐れるな。影は敵じゃない。
──俺の一部。俺の声に、応える存在。
「……応えろ、ゴルム。お前は俺の影であり、仲間だ」
影狼のうねりが止まり、異形の影はふっと静寂を取り戻した。その瞬間、暴走しかけていたエネルギーの奔流が収束し、結界の中の空気が澄んでいく。
「……制御、成功だ」
リクのつぶやきに、周囲の研究員たちはほっと息をついた。しかし、その平穏は長くは続かなかった。
警報音が研究棟に響き渡った。
『侵入者を確認。第七区画。術式起動制御室、封鎖開始』
「なっ、外部からの侵入者だと……!?」
ラゼルが血相を変えて研究室を飛び出す。リクもすぐさま追いかける。影狼は彼の足元に滑るように従っていた。
廊下の先、炎と煙が立ち込める中に、見知った姿があった。
「……やっぱり、生きてたか」
そこに立っていたのは、かつてリクたちを裏切り、死んだと思われていた冒険者、セイン。
「久しぶりだな、リク。……影を完全に使いこなせるようになったようだな」
その口調は皮肉を含みつつも、どこか羨望すらにじんでいた。だが、セインの背後にいる数人の黒装束が、ただならぬ気配を放っている。
「何の目的だ。フィルメリアに何を仕掛ける気だ?」
「答える義理はないさ。ただ、お前の“影”が欲しいだけだ」
次の瞬間、黒装束たちが奇怪な術式を発動させた。影を吸収するような動き。研究棟の明かりが一斉に消え、空間が沈むように暗くなる。
「リク、気をつけて! 彼らの影術は……契約の力を逆転させる」
ラゼルの叫びが届くと同時に、影が反転した。影狼が苦しげに唸り、足元の影がまるでリクを飲み込もうとするように広がっていく。
「影ごと、俺の意志を奪うつもりか……!」
リクは必死に意識を集中させる。影との絆を、信頼を思い出す。
──お前は俺の影。俺だけの仲間だ。
その強い想いが、逆転しようとする術式に楔を打ち込む。次の瞬間、リクの影から黒い稲妻が弾け、反転術式の核を破壊した。
「なんだと……!?」
セインが叫んだ。
「……俺の影は、誰にも支配できない」
リクは影狼と共に、敵陣へ突き進む。戦いの末、セインは致命傷を負いながらも闇へと消えていく。だが、彼の言葉が最後に響いた。
「お前の影は……もっと深く、もっと恐ろしい存在になる……楽しみにしているぞ」
静寂が戻った研究棟で、リクは天井を見上げた。
「……やっと、決着がついたな」
しかし彼の胸の内には、影が抱える可能性と、これから対峙すべき“更なる脅威”の予感が渦巻いていた。
こうして、フィルメリアの影を巡る事件は幕を閉じた。




