15 アリス・ノート焼失
腕輪には、新規の通信文が届いた場合は、振動するか圧力をかけるかをして腕輪の装着者に教えてくれる機能がある。
腕にぴったりはまっていることを利用して、骨伝導で音声として認識させるよう設定することもできるが、オレはどちらも使っていない。
子守猫がオレに警告するために、尻尾で叩くような感触を伝えて来たりする機能と混じって混乱するからだ。何をどうしているのか分からないが、緊急時には骨伝導でにゃあと伝えて来ることもある。
旧世界管理局から緊急連絡が来たのをお知らせして、にゃあの場合もあるので必要のない機能とは言わないが、あまりどうでもいい通信でにゃあの場合もあるので、判断不能だ。
取りあえず、腕輪の通信文は定期的に自分で確認するのが賢明である。
倉庫区画に行ったアレク捜査官からは、いまだに何の通信文も来ていないが、小さなレディも事情聴取を受けることになるかもしれないので、変装を解くことができない。
仕方ないので、変装したままオレ用の部屋で白うさぎの時計の破損状況を調べることにした。
何があったんだ?白うさぎ。
AIでもAI-ASでも無いから、答えが返ってくることもないし、映像記録を取得しているわけもないと分かっているが、白うさぎがアリス事件について何か教えてくれることを期待してしまうくらいには、アリス事件には不明事項が多すぎる。
白うさぎの懐中時計の交換用の部品のリストを作っているところで扉がノックされて、アレク捜査官の声がした。
「もう戻って来れたのか」
「はい。お話があるのですが、いいですか?」
「分かった。……何故?」
部屋に入れたら、何故か扉を半分開けて固定しているが、この局面で紳士的配慮が必要な理由が分からない。
「いいですか、男を部屋に招き入れるときは、こうやって警戒するものですからね」
「昨日、アレクの部屋に行ったときは閉めただろ」
「あなたが、自ら私の部屋に入ったからです。合意の上となれば、問題ありません。そこは詳しくお話したいところですが、あなたに理解していただくのに時間がかかりそうですので、また今度にしましょう。今は優先することがありますから」
「そうだな。現場はどうだった?」
「結論を言えば、アリス・ノートは完全焼失です。
アリス・ノートの保管倉庫は、世界管理局が所有者となっている倉庫群の一つを私に中身ごと所有権を譲って来たものです。つまり、周囲はすべて世界管理局が所有管理する倉庫でした。
アリス・ノートの保管倉庫の隣の倉庫が内側から爆発して、中に入っていた資材が飛び散って、周囲の倉庫の壁を突き破りました。同時にまき散らされた炎が、壁が破損した周囲の倉庫も内部まで燃やし尽くしました。
倉庫の壁は耐火構造だったのですが、爆発した倉庫からは燃焼性の高い物質もばら撒かれて、一気に燃え上がったようですね。火柱として私たちが目撃するくらいに激しい炎でした。
消火装置がすぐに作動しましたが、アリス・ノートの倉庫に組み込まれていたのは、密閉空間であることを利用した空気制御によるものですので、壁が損壊してしまうと機能しません。アリス・ノートは劣化しやすい紙だったので、水をはじめとした他の消火装置を使えなかったそうです。
燃えやすい紙だったアリス・ノートは一気に燃えつきたでしょうし、現場を見ても黒い消し炭のどれが何だったかすら不明です。現在は警備局が事故の原因を調査しています」
簡潔にまとめてくれて助かるが、ところどころ、あからさまに突っ込んでくれと言わんばかりに怪しい状況だな。
「……事故、で片付けることにしたのか?」
「あの不審者が出て来なかった場合、事件ではなく事故で捜査するしかありませんでした。不審者が、私たちがまだアリス・ノートを見ていないと誤解してくれたのでしたら、暴走する馬鹿を刺激しないようにいらぬことを言わず、事故として厳しく調査する方がいいと思います。火柱が上がったのは隠しようもないので、警備局も原因究明のために全力をあげる必要があります。
事件発生当時、現場周辺に人はいませんでした。倉庫地区への出入りの記録でも、その時間帯は誰も地区内にいなかったことが確認されています。現場検証により、倉庫が内側から吹っ飛んだのは確実で、外から何か仕掛けられたものではないのは確定しています。事件にしろ事故にしろ、倉庫内部で何事かが発生して爆発しました。
事件であったとしても、その倉庫が標的で、アリス・ノートはたまたまその隣の倉庫にあったがために、不幸にも巻き添えになって焼失したと考えるのが自然な状況が作られています」
爆発物の話になると、どうしてもデルソレの水中劇場の通路に使われたものとか、ララが拾って来た旧世界の軍事用爆発物のことを思い出してしまう。うんざりするが、また、蛇が関わっているのかもしれない。
「……知っているかもしれないが、旧世界の軍事用爆発物の中には、旧世界時計と組み合わせて、一定時間後に爆発させることができるものもある。ただ、それを今の世界で使おうとすると、合意時刻と旧世界時刻の整合がとれなくて、狙った時間帯に合わせて使うことは意外に難しい。だが、<知識の蛇>はそういうろくでもない技術開発も喜んでやるし、使用事例がいくつかあったはずだ」
「はい、デルシーでクレア捜査官から講義されましたし、水中劇場の通路の残骸を調べているときに、局長からもお聞きしました。
局長には現場の状況の簡易報告がなされていますが、<知識の蛇>が隣の倉庫に時限式の爆発物を仕掛けての犯行かもしれないとのご意見です。時限式の場合、仕掛けた時刻と犯人の特定が難しくなりますが、あの不審者はなかなかいい情報をくれましたよね」
「そうだな。オレたちがあの地区に行ったから、暴走した馬鹿がやったというような言い方だったから、かなり時間帯が絞られる。もしかしたら、オレたちとすれ違ったかもしれない」
「周囲を警戒していましたので、すれ違ったとしても互いに気づかれないようすり抜けたと思います。絞られた時間帯の中で一人、あからさまに怪しい人がいました。
私たちが副館長に呼ばれて遺物資料館の倉庫に白うさぎを受け取りに行っている頃に、世界管理局の職員が保管倉庫区画に入っています。アリス・ノートの引き渡しをあれこれ理由をつけて遅らせた挙句に、世界全体のためと言って最後の閲覧申請をねじ込んでさらに遅らせてきた方です。局長に報告したら、局長自ら事情聴取に向かってくださいました」
あからさまに怪しいから罠かもしれないが、<知識の蛇>の構成員だったら、堂々と犯罪したくらいの気分でいるかもしれないし、分からない。
蛇の相手に慣れているベルタ局長自ら対応してくれるのであれば、お任せするのが最善だ。もし、世界管理局が庇おうとしても、警備局長相手には引き下がるしかないだろうし。
「世界管理局が管理する倉庫で事故が発生したのなら、世界管理局も現場に来たよな?あからさまに怪しい奴は来ないとしても、来た職員の反応はどうだった?」
「駆けつけて来た世界管理局の職員の方は、現場の惨状に茫然としていましたし、事故発生前に保管倉庫区画に入った職員のことを聞いたら真っ青になりました。
怪しい職員は、前々からアリス・ノートにご執心で、自分の所有物のような言動をしていたようで、私に褒賞として渡されることが決まった後の言動は課長からも注意を受けるくらいだったようです。こちらが示唆する前に、世界管理局側から、まさかアリス・ノートを狙っての犯行ではという発言が出て来るくらいに疑わしいですね」
「そこまでだと、そのための人員として<知識の蛇>が配備していたのかもしれないな。蛇はあちこちに潜んでいるから警戒してもきりがない」
どこにでもいると思っておいて、出てきたら返り討ちにするくらいの覚悟でいる方が健全だよ。というのが、蛇の相手に慣れている鋼の女のご意見だ。
代々の警備局長は蛇を警戒し過ぎて、神経をやられて引退することもあったようだが、鋼の女ベルタが長きに渡り警備局に君臨しているのも、その鋼の精神のおかげかもしれない。
アレク捜査官も局長のそういう態度を見習ってもいいと思うのだが、真剣な顔でオレを見て言った。
「警戒は必要です。明らかに怪しい方がいますので、私たちと副館長も保管倉庫区画内にいたということは、局長への報告に留めました。
副館長も了解済みです。事件の可能性もあるとお話して、目撃されたかもしれないと勘繰られて犯人に狙われないためには、余計なことは何も言わない方が最善と同意していただけました。私が運んだ倉庫の物品とうさぎの出どころも上手く誤魔化してくださるそうです。
倉庫区画への出入りの記録は警備局管轄なので局長が原因究明のためにと秘匿指定をかけて押えました。
私たちは、ジェフ博士のお使いに行った後でアリス・ノートも見に行って楽譜を写してくる予定でしたが、遺物資料館で白うさぎをお使いのお礼にいただいたので、うさぎを屋敷に置いてから出直すことにしたことになります。私はその後、保管倉庫で事故が発生したと連絡を受けて現場に急行したのですが、ぎりぎりのところで小さなレディを危険にさらさずに済んで、本当に良かったです」
上手く行けばそういう設定にしたいと思っていたし、そのために副館長に口止めしておいたわけなので、それでいいのだが、念押しするように圧力かけなくともいいと思うんだが。
警戒しろと言いたいのは分かるが、本日出歩いていたのは小さなレディだし、ならば完璧な対応が取れる。
「了解。小さなレディは爆発事故に巻き込まれる寸前だったことに怯えて、引きこもったことにしてくれ。姿を見せなくてもむしろ当り前だ」
「……自然な理由だと思いますが、つくづく不審者どもが余計な真似して邪魔をしてと思います」
「仮面のない不審者の足止め工作のことなら、一応は配慮と受け取ってもいいと思うんだが。ところで、これからまた捜査に行くのか?」
「いえ、私は巻き添えになった倉庫の所有者として立ち合い確認に行ったことにして、捜査自体は警備局に任せてきました。私は当事者になるので、捜査に加われませんから」
ここまで読んでくれてありがとうございました。




