4 宿泊施設デルシー
デルシー海洋遺跡観光を終えて宿泊施設デルシーに戻ったところで、口々に礼を言われたが、サービスしたのはドルフィーたちであり、呼んだのはワトスンだ。
注意事項の説明も遺跡の解説もすべて支配人がやってくれたので、オレは全く働いていない気もする。
少し反省したので大人しく支配人に連行されて、新人研修が行われる大ラウンジに移動した。無駄な抵抗はしない。デルシーにいるときは、オレの日程は支配人に握られているからな。
オレはデルシーに来るときは、休暇ではなく職務であると割り切っている。
海が見える広々とした大ラウンジで支配人の話を聞きながら、ぼんやり海を眺めた。
不真面目な態度かもしれないが、オレは新人でもないし今は職務外の時間なので、支配人もオレが目の届く場所にいるなら特に注意するつもりも無いようだ。客もいないしな。
昨日の夜からデルシーは休業中で、宿泊施設内には客がいなくて職員だけだ。施設の総点検のために定期的に休業する必要があるし、新人研修もその機会に行うことになっている。
明日から再開なので、かなりの詰込み型研修をしているが、一日でどうにかなるものでもない。
新人の場合、基本的に裏方に回ってデルシーの職務に慣れることが優先されるが、今回はこんなに新人ばかりで大丈夫なのだろうか。
デルシー専属職員がいるとはいえ、交代で入る臨時職員がオレ以外は全員新人という編成は尖り過ぎだ。オレがそう考えているのを察したかのように、支配人がオレに視線を向けつつ、説明を続けた。
「なお、皆さんが勤務する期間中は特別編成でデルシーを運用することにいたしました。新人育成のためにあえて新人ばかりを集めましたが、怯える必要はございません。ここの専属職員とユレスがいれば大体は何とかなりますからな。何かご質問がおありですか、ユレス」
「めんどくさい客が来た場合、無理がある編成だと思うが?」
「この期間はそういうお客様はご遠慮いただいて、礼儀と節度を保ってお気遣いくださる、選りすぐりの常連客の方々で予約を埋めております。
先ほどの遺跡ご案内を体験した皆様には分かっていただけるでしょうが、多くの方にあの体験をご提供するには、職員の勤務日程を限界まで調整する必要がございます。お客様の対応に手が回らないことも想定されますので、多少の失敗や不手際を快く許してくださる方々を優先的にご招待するよう計らいました」
「この期間中はデルシー側がドルフィーに確実に会えるように手配する代わりに、不手際があっても文句つけない優良な常連客のみ受け付けるという取引をしたようなものだな。
宿泊施設デルシーには、宿泊客しか入れないし、宿泊客しか遺跡ご案内に参加できない。どっちの職務にあたるにせよ、めんどうな客はいないから安心して働いて、早いとこ職務に慣れてくれということか」
「お客様の前ではもう少し丁寧な言い回しをしていただきたいものですが、おおむねその通りです。この特別編成を運用するにはユレスが必要ですので、新人の皆様たちの中に混じっていただきました。交流場での振る舞いについても指導が必要と、各方面から言われておりますしな」
成人とはいえ未分化型が交流場に参加するのはいかがなものかという意見もあるのだが。
この大ラウンジは成人限定の交流場だが、オレはカクテルカウンターにいることが多い。
常連客は慣れているからいいのだが、成人には見えない見た目のオレがここにいることに難色を示す客もいるし、成人していると説明しても未分化型のオレがここにいていいのか悩み始める客もいる。
大体は、常連客が上手く言ってくれるし、絡んで来そうなめんどくさい客もオレに近づく前に追い払ってくれたりするので特に困ったことは無い。
そもそもデルシーでは客が職員に絡むこと自体が禁じられているのだが、そのあたりを支配人が説明し始めた。
「本日は閑散としている大ラウンジですが、明日の午後以降、お客様方がいらっしゃったら、この場は交流場としてにぎわうことになります。軽食や飲物をご提供して心地よくご歓談していただける空間を保つようにするのが職務の範疇ですが、お客様方のお相手までは職務の対象外です。
あちらのカウンターで酒や軽食をお出ししたり、それをテーブルまで運ぶことはしても、話し相手になるよう言われてもお断りしてください。少なくとも職員の制服を着て勤務中である限りは。
デルシーにおいては、職員に対して話し相手になるよう求めたり、誘いをかけたり口説いたりという行為は全て禁じられています。他の宿泊施設であればそういう行為も職務の範疇であったり、当然のものとされることもございますが、この宿泊施設はあくまでも海洋遺跡デルシーの付属施設であり、遺跡管理のために維持されている側面が強いものです。
ゆえに職員は全て旧世界管理局職員であり、緊急時には遺跡の管理や対応が、接客業務より上位に位置付けられます。接客はあくまでも礼儀作法を習得し、交流経験を積むためのものであって、それ以上でも以下でもないことをお忘れなく。
ときに勘違いした横暴な方がいらっしゃいますが、宿泊規定に明記されているのにそれを破った場合は罰則対象になりますし、警備局の警備の方々の捕縛対象にもなります。お客様にそういうことをさせぬよう、毅然とした態度をとることも必要ですぞ。
ユレスがめんどくさい客と呼ぶのがそういう方々です。明日からの新人研修も兼ねた期間は、そういう方たちはなるべく排除したつもりでおりますが、くれぐれも注意して振る舞うよう頼みますよ」
支配人の説明に混乱した顔をしている新人が多いので、かみ砕いて言ってやることにした。
「身内とか親しい相手が客として来たら、つい雑談したくなるだろうが、制服着てる間はやめとけということだ。それを見た他の客も話しかけていいのかと思って話しかけて来るときりがない。
親しい相手と話したいなら、職務外の時間に私服に着替えてから話せばいい。オレたちは職員でもあるが、ここでの勤務中は客でもあるという扱いになるからな。他の宿泊施設とは違うデルシーだけの特殊ルールのようだが」
「そうですな。ユレスは他の施設の経験はあまりないですが、デルシー経験はかなりありますので、困ったら相談するとよろしいでしょう。できれば専属職員になって欲しいものです」
「局長に言ってくれ。オレには自分の休暇日程を決める権限すらないのをよく知ってるだろ」
「そうでしたかな?さて、それでは次に」
大ラウンジ関係の説明が終わって他の施設に移動した。一通りの施設を知っているオレが同行する意味はないと思うのだが、これも支配人の指導の一環らしいので、仕方ない。
逃亡した場合、後で呼び出されてお説教つきの個別指導になるだけだし。
「こちらはドレスルームです。大ラウンジのような交流場にいつもの私服で行くのも風情がありません。それぞれ交流用の衣服をお持ちになっておられるかもしれませんし、デルシー内にある衣服製造装置で作ってもよろしいのですが、即座に必要とする場合、もしくは飲食物をこぼして汚れた場合など、不測の事態に備えて用意しておりますので、遠慮なくご利用ください」
宿泊施設デルシーは、世界管理機構の無償提供の範疇では無く、知識や技能や物品などを世界管理機構に提供した報酬や、職務での働きにたいする褒賞のような形で宿泊権利が与えられる。
施設内にある各種設備の利用や道具の貸し出し、飲食物の提供など、デルシー内で快適な休暇を過ごすのに十分なだけの物資やサービスのほとんどは宿泊権利の範疇で賄われるので、追加で対価を出す必要は無い。
支配人がことあるごとに強調するように、この宿泊施設はデルシー海洋遺跡の維持管理のために存在する目的が優先されるので、他の観光や娯楽のための宿泊施設と異なるデルシー独自ルールもあるし、宿泊客の受け入れ日程をある程度調整することも可能だ。
宿泊権利を持っている客を断ることはできないが、公平性を欠くとみなされないだけの理由をつけて宿泊予約が可能な期間を提示すればいいだけだからな。今回の特別編成期間とやらも、支配人がうまく調整したのだろう。
デルシーには取引交渉の材料があるので、割と強気に出ることができる。
デルシー海洋遺跡は海中にあって、海の中を観光できるだけでなくドルフィーにも会えることから人気が高いが、重要な生産拠点でもある。
デルシー海洋遺跡は、安全性だけでなく機能性も高く、周辺の海中環境を調整して浄化する機能に加えて、海水を取り込んで塩を精製する機能も備わっている。
ジェフ博士を始めとした研究者たちが、旧世界人にも正気で良識のある研究者がいたことに感動したと言うくらいに、周囲の環境に良い影響を与えつつ、人の身体を維持するのに必須の塩まで製造できる優良かつ重要な旧世界遺跡だ。
世界研究局と旧世界管理局が合同で調査研究にあたった結果、今の世界の海水からでも塩が精製できることが判明し、高品質のものを大量生産している。
旧世界でも食事に塩は必須であったが、それは今の世界でも同じことで、世界管理機構が提供すべき重要な物資でもある。
デルシー海洋遺跡では、優良な塩を世界全体で必要とされる量の30%以上生産しているので、食材をはじめとした必要な生活物資の生産を担う生産局も、世界管理機構も、デルシー海洋遺跡の重要性はよく分かっている。
旧世界の遺跡は旧世界管理局しか維持管理できないので、宿泊施設の運用を優先して遺跡管理がおろそかになったら、塩が安定供給できないかもしれないとなれば、世界管理機構はデルシー側の要求を無視できない。
ここまで読んでくれてありがとうございました。




