1 雨の森リゾート
第九章開始。
その獣は、天使には虚偽こそ相応しいと告げた。
◇◇◇遺物管理局遺物管理課捜査官日誌◇◇◇
63510836 1300 ユレス・フォル・エイレ捜査官、捜査官席に待機開始。
63510836 1305 ユレス・フォル・エイレ捜査官、遺物管理課第十二区画倉庫で、遺物鑑定任務開始。
63510836 1700 ユレス・フォル・エイレ捜査官、遺物鑑定任務終了、合同捜査任務開始。
捜査官日誌を登録して入局管理室に行ったら、ミヤリ捜査官が待っていた。さっきまで遺物管理課第十二区画倉庫で一緒に仕事をしていたのだが、行動が早いな。
「さすがユレス捜査官は行動が迅速です」
「オレを待っていたミヤリ捜査官の方が迅速だろ」
「ライルに手本を示さねばならない身ですので」
ミヤリ教官はライルの新人教育を熱心にやっているようだが、オレはその内容に少し意見したい。
「手本はいいんだが……オレの見張り方まで指導しなくていいと思う」
「見張りではなく見守りです。遺物管理課の皆さんは、さすが熟練の技能ですね」
「オレ相手に技能が磨かれたわけではないことを主張しておく。今日はアドニス管理官までいたからだ」
「え。アドニスもいたの?何か壊してない?」
ガンド捜査官がライルと一緒に大荷物抱えて合流してきた。ガンド捜査官と遺物管理課アドニス管理官は同期だし、仲がいいし、だからこそ、よくわかっている。
アドニス管理官は旧世界で言うところの、ドジっ子なのだ。旧世界の遺物を扱うのには割と致命的な特質だが、それを逆手にとった発想で、特定の旧世界遺物の専門家になった。
何もせず一定時間その場から動かずにいることでしか調査も鑑定もできない遺物、旧世界映画が相手であれば、ドジが発動することもない。旧世界映画の上映機器類は、腕輪の機能を介して動かすこともできるし、どうしても人の手が必要な場合は、他の職員がすればいいだけの話だ。
かくして、発見されている旧世界映画のほとんどを網羅した知識を持つ、遺物映画専門官が誕生した。正式にそういう役職があるわけではないが、分かりやすいので、そう呼ばれることが多い。
「課長が側にいたし、監視熊がついているから、大丈夫だ」
「あ、うん、子守熊の機能は詰め込むだけ詰め込んだしね」
「ふわふわの可愛い子熊だったから、ミヤリ先輩が熱く見つめてたっすね」
「旧世界的に言えば、可愛いは正義です。監視役の中で一二を争う可愛さですから。猫派か熊派で分かれますね」
「ミヤリ、新人教育するなら、相棒のAIの危険度が一二を争うと言った方がいいと思う」
可愛く作りこむということは、作り込む余地があるくらいに大きい監視役ということであり、アドニス管理官の監視熊は、補助機能も上乗せしているのでさらに大きく作ってあるが、そうでなくても、最大サイズの監視役が必要である。
つまり、相棒のAIがそれだけ危険視されている。可愛い子熊も可愛い子猫も、危険度の証でもあるのだ。
ガンド捜査官とライルが大きい荷物を持っているので、取りあえず移動することにしたが、何を持ってきたんだ?
「なんでまた、こんなに大荷物になったんだ?」
「ユレス君、せっかく女の子になったんだから、言葉遣いも何とかしようよ」
「ガンド捜査官、それを言うなら、ユレス君と呼ぶのもやめた方がいいと思いますが」
「う、確かにそうだ。長年そう呼んでると、なかなか修正しづらいね」
「誰を呼んでいるか分かればいいと思うが。ところで、ここで打ち合わせしてから移動でいいのか?」
「雨の森に行ってからでいいかな。あちらの状況確認してから相談した方がいいだろうし」
「了解」
可愛い子猫の監視役を肩に乗せて、受付館に出て転送装置に向かったら、警備局の警備が増員されていた。
しかも、こちらに近づいて来るので、ガンド捜査官の背後に隠れた。
「同行させていただきます」
「オレは警備局の特別隔離房に行くほどのことをした覚えはない」
「……あのね、ユレス君。冤罪で二回も入れられているから警戒するのは分かるんだけど、怪しい対応をするのはやめようか。警備局から逃げたり隠れたりする方が不審だよ」
「オレはベルタ警備局長が相手なら、正面から噛みつくつもりでいる」
「うん、そんな真似できるのはユレス君くらいだし、そう考えると清廉潔白っぽいけどね……。彼らは雨の森リゾートの警備の増員として来てくれるわけだから、ちゃんと挨拶しようか」
だったら先にそう言ってくれればいいものを。
警備局の連中の複雑な視線を浴びながら挨拶したが、何となくオレを監視して逃がさないようにしているようでもあるので、警戒は解かない。
だが、移動した先で待っていた警備局職員にまではさすがに警戒はしなかった。
警備局特務課のリマだ。ものすごくお久しぶりです!と挨拶された。
オレとしては、この前マイクルレース場で会ったばかりの感覚だが、リマにとっては10年ぶりなんだよな。
ガンド捜査官とライルが運んできた大荷物は、旧世界遺物の通信機だった。フェアリーランドで大量に発見されたので、今回の合同捜査に投入することになったそうだ。
リマが早速識別登録すると言うので、ライルがガンド捜査官が持っていた分も引き取った大荷物を持って姉の後をついていった。
力関係が分かりやすい。
「じゃあ、僕たちは支配人のところに行こうか。ユレス君はくれぐれも言葉遣いに気を付けるようにね」
「気を付けてもどうにもならないから、素直に叱られることにする」
「叱るより、女の子らしくって指導されると思うよ」
雨の森は、遺物管理局の遺跡観光課が管轄する旧世界遺跡の一つだ。
旧世界遺跡のうち、安全が確認されていて、学術的価値が高かったり、美しくて芸術的価値が高い遺跡は一般公開されている。
観光するには遺物管理局職員が同行する必要があるので、遺物管理局の職員は、休暇も兼ねて遺跡観光課が管轄する遺跡のご案内当番を回される。
オレはデルシー海洋遺跡に行くことが多いが、数年に一度は雨の森の当番になる。ローゼスは逆に雨の森当番が多い。
ご案内するのは職員であれば誰でもいいのだが、適性と言うか相性があるので、ご案内当番は各遺跡管理者兼支配人の間で調整している。
オレはデルシー専属職員に誘われるくらいにデルシー向きだし、雨の森の支配人よりはデルシー支配人の方が相性がいい。たぶんミヤリもそうだ。
「はーい、いらっしゃーい!ユレスちゃんは、とーってもお久しぶりね!女の子らしく可愛くなっちゃって、んふふふふ、恋の花が咲き乱れるシーズン到来って感じかしら!」
「……お久しぶりです、支配人」
「んもう、デルシーの堅物の教育のせいで、固くなっちゃって!気さくに、マムって呼んでちょうだいって何度言ったら分かってくれるのかしら。ね、ミヤリちゃん!」
「マムはいつもお元気ですね」
「んもう、ミヤリちゃんはクール系なところがいいけど、もっと弾けてもいいと思うわ!次のご案内当番は雨の森に来なさいね。あたくしがしっかり指導してあげるから!」
「マム、そのためには早く雨の森の安全確保しないとね。取りあえず現状の情報が欲しいな」
「あらあ、確かにガンドの言う通りね。そう言えば、ガンドの奥様も予約入れてくれてるものね。ええ、頑張ってお仕事しましょ!」
ガンド捜査官はマムの扱いが上手い。
雨の森はガンド捜査官とかローゼスのような、社交的な人向きの場所である。思ったより早く戻ってきたライルは、難なくマムに馴染んだので、これも修行と思ってマムの相手を頑張って欲しい。
オレとミヤリはきゃっきゃっと盛り上がっている人たちを余所に、現状の報告書の分析に専念した。
雨の森は、遺物管理局遺跡観光課が管轄する中で、最も安全な遺跡と言われている。
公開されているのが旧世界遺跡の外の庭園部分に限定されているので遺跡とも言いづらいが、旧世界遺跡の影響を受けている庭園であるので、雨の森も遺跡の範疇であると認定されている。
旧世界遺跡は聖堂と呼ばれる小さな建物だけだ。
聖堂は、空間中の水分を集める機能を持つようで、それが周囲に空間中の水分量の多い特殊な環境を作り出した。
再構成された今の世界では、旧世界と違って気候の違いによる自然環境の変化があまり無いので、世界各地の植生の違いもわずかなものだ。
だが、聖堂遺跡を中心とした領域は、水分量が多くどこかしらで細かい雨が降り注いでいる環境であり、固有の植物や独特の進化を遂げた植物が多く繁茂している。
降り続く雨にちなんで雨の森と呼ばれている領域内では、薬効成分の強い薬草が育つだけでなく、他では見られない美しい花々が咲いていることもあって、観光地として公開されることになった。
雨の森の領域をぐるりと囲むように、塀と一体になった雨の森リゾート宿泊施設が建設され、周辺環境との境界を形成しているので、雨の森リゾート内に入ると、別世界に足を踏み込んだような気分になるらしい。
薬草の栽培施設や雨の森中央の聖堂遺跡には、警備局による厳重な警備体制が敷かれているが、立ち入り禁止区域以外は、案内人である遺物管理局職員が同行していれば、好きなところに行って観光していいことになっている。
観光コースを客と相談して決めることになるので、雨の森リゾートは人との交流に長けた職員向きの場所だ。
決められた観光コースを手順通りに回るだけのデルシー海洋遺跡と違って柔軟性が要求されるし、オレはデルシーですらろくに観光案内していない身なので、雨の森リゾートは難易度が高い。
だが、今回オレたちが来たのはご案内当番ではなく捜査協力のためなので、まだ気楽な気分である。捜査なのに気楽と言うのはまずいので、真面目な態度は崩さないが。
ここまで読んでくれてありがとうございました。