4 変化
治療官に挨拶して治療室を出て、再び入局管理室に戻った。
「ユレス・フォル・エイレ捜査官、退出する」
「ローゼス・ヴィラ・ルージュ管理官、退出するわ」
『勤務終了確認しました。お疲れ様です。引き続き遺物管理者責任を適正に執行されるよう期待します。ユレス捜査官は、昏睡を避けるようお願いします』
「……もしかして、それ、毎回言うのか?」
『AIに疲労はありませんので、毎回言わせていただいても問題ありません』
言われるオレが疲労するんだが。
職員用の入局管理室の受付のAIも10年経っても変わりない様子であったが、AIに変化が無いわけでもない。
10年の昏睡から目覚めた後、治療局で精密検査を受けたり、事情聴取されたり、状況説明されたりと忙しく、オレが旧世界管理局での勤務に復帰したのは三日前だった。
オレとしては一月近く休んだくらいの感覚だが、オレ以外にとっては10年不在にしていたわけなので、まずは大会議室で復帰の挨拶をしろと言われて、その後はあちこちに挨拶回りをさせられて終わった。
帰るときに入局管理室の受付AIから昏睡は避けるようにと言われて頷いたが、オレとしては本当に10年経っているのかいまいち実感が無かった。
オレの挨拶回りに同行していたローゼスにそう言ったら、今日は一人で捜査官室でじっくり情報を整理しなさいと言われて、一人静かな時間を過ごしたわけだが、熟考したところで10年経過した実感を持てるわけがない。
いっそ、更衣室に入って着替えたときに、体の変化を容赦なく突きつけられて、それだけの時間が経過したのは間違いないと納得させられる。
それから、監視猫がにゃあにゃあ鳴きながら、オレの着替えを邪魔するくらいにすり寄ってくることでも少し実感する。
監視猫が撫でろと要求しているので、撫でた。
オレが昏睡している間も、監視猫はオレの監視任務を続行していたようだが、オレが反応しないし撫でることもしないのが不満だったのだとローゼスが言っていた。
監視猫に組み込まれたAI-ASは、無駄に猫設定を追求し過ぎだと思う。
遺物管理局の受付館に出ても、変わらない光景に見える。
内装や調度が少し新しくなったとは思うが、基本仕様は変わっていない。
遺物管理局の警備担当もいつもどおりの警備配置で、見覚えのある警備局職員だ。そして、いつも通りオレを見て、転送装置の前に立ちふさがった。
いや、それはいつも通りではない。
立ちふさがるのはどうなんだ。すぐにローゼスが来てオレを捕まえたら、どいた。確実にろくでもない指示が出ているな!?
「んもう、ユレスったら、逃げようとしたわね!?言っても無駄だと分かってるけど、もう少し身支度ちゃんとしなさいよ!」
「素直にこの服着てるだけで十分だ。ローゼスはいつも以上に派手だな」
「だって、ボーディがおしゃれして来なさいって言うんだもの。じゃ、行くわよ、<菩提樹>へ!」
オレは昏睡から目覚めた後、あちこちを転々としていたし、<菩提樹>にも来た。
だが、前回はまだ混乱している最中だったので、転送装置のある部屋の扉に大きく掲載された入場資格をじっくり読んでいる余裕は無かった。
改めて読むと、入場資格は、遺物管理局の職員であること、に変わっていた。旧世界管理局が正式に遺物管理局になったのだなとここでも実感したが、大きな変更点はもう一つの条件の方だった。
<菩提樹>の主人の招待状を持っていることが条件だったはずだが、<菩提樹>の主人が承認した者に変更されている。
オレがじっと見ていることに気づいて、ローゼスが解説した。
「にゃあの歌が世界的名曲になったし、10年前の火宴祭でのアタシたちの尽力を見てた人たちの証言のおかげで、遺物管理局のアタシたちと交流したいって人も増えてるのよね。ボーディは招待状をいちいち出すのがめんどくさくなって、大丈夫そうな人たちは承認して好きに入れるように条件変更したの」
「にゃあの歌って、<私たちは世界だ>の歌だろ。変な名称つけるな」
「だって、分かりやすいんだもの!あれだけ、にゃあにゃあ鳴いてるから、誰にだって、にゃあの歌で通じるのよ!ボーディ前局長の先見の明とまで言われてるわ。
だって、10年前の火宴祭襲撃事件であれだけ大量に人型人工物がやってきて、暴走する馬鹿集団が武力行使しようとしたのよ。会場にいたアタシたちは、これでさらに旧世界の遺物が危険視されて、アタシたちも排除されかねないって青ざめてたけど、終わってみたら親しみを持たれることになって、え!?って思ったわ。
マスターのために、世界中の人が手を取り合うよう訴えたワトスンのおかげよ。もちろん危険視する人たちもいたけど、にゃあを危険視する方が気が狂っているんじゃないかという一般の人たちの声の方が大きかったの。だって、にゃあだもの。あれに敵意とか脅しとか読み取る方が、頭がおかしく思えるのは確かだと思うわ」
「オレはそれを真面目に議論する方が、頭がおかしくなると思う。それ以前に、旧世界人が理想を歌った歌詞を否定するような真似はしないと解釈して欲しい」
「同じことでしょ。世界共通言語のにゃあはそれを訴えていたわけだし」
オレの肩の上で、オレにすり寄りながら、監視猫がにゃあと鳴いた。
<菩提樹>の扉を開けて入ったら、大きくは変わっていないが、調度や区画も変わっているし、何より賑やかだった。
引きこもりの遺物管理局職員だけでなく、それ以外の客も多くなったのであれば当然かもしれない。奥の特別区画に進みながらも、ローゼスはあちこちの宴席から声をかけられている。
オレが誰なのかという質問も当然のごとくあるが、ローゼスはまだ秘密と言って流していた。
引きこもりの中の引きこもりと言っていいオレは、面識がある人の方が少ない。それから、10年眠っている間に容姿も変わった、のだと思う。
成人していても未成年にしか見えないくらいに子どもっぽい未分化型の容姿から、成人までもう少しの頃合いの少女の姿になったと表現するのが一番正確だ。
アリアは何かを見通していたのか、アリアがオレを女装させたときの小さなレディの姿になったと言ってもいい。
小さなレディは鬘で変装していたので髪色は違うが、昏睡している間は髪は伸ばしたままだったし、目覚めた後も切るなと言われたので、結構長い。
そんなわけで、今のオレは変装していないのに、白っぽい髪色の小さなレディの姿であり、それに気づく人たちも当然いる。
もしかして眠り姫?と聞かれたあたり、オレが眠っている間に、その呼び名が定着してしまったことを実感した。
アレク捜査官の小さなレディは、眠り姫になった。
時事情報放送でアレク捜査官が恋人とか結婚相手の話題を持ち出されるたびにそう言っていたので、もはや誰でも知っている常識だそうだ。
ろくでもない常識である。
当然のことながら、眠り姫がどこの誰かを探られることになるが、遺物管理局長とベルタ警備局長は、情報攪乱するよりも事実そのままを言うことにした。
何故ならば、祖父さんが黙っていないだろうし、祖父さんの言動ですぐにばれることになるからだ。となれば、知られてもいいという堂々とした態度の方が賢いという理性的かつ合理的な判断らしい。
そんなわけで、眠り姫は遺物管理局のユレス捜査官で、ユーリ捜査官の孫であることは隠していない。
旧世界管理局の黒猫がユレス捜査官であることも確定しそうな情報であるが、これは大胆な情報攪乱の一手だった。
情報攪乱のために実際に動いたのは現局長たちであるが、発案者はユーリ捜査官をよく知る、というより苦労させられてきたボーディ前局長である。
暴虐覇王に最後の良心を殺されたボーディは、奇策に出たのだ。
祖父さんの記憶の再構成が終わるまで道のりが長そうだったので、祖父さんは死んだことにして旧世界管理局に移動させたわけだが、オレが再び昏睡してしまった。
だが、オレが昏睡した姿を見て、祖父さんの危機感が一気に記憶を再構成して、昏睡した孫のために現役復帰したことまでは思い出したので、祖父さんには派手に動いて貰うことにした。
ベルタ警備局長の長年の協力者である、名探偵の復活である。
<知識の蛇>にとっては宿敵と言ってもいい相手であり、表に出てこない黒猫と違って、拠点に潜入されて暴れ回られたり、数々の重要計画を邪魔されたり、罠にかけられて天使型人工物を破壊されたり、更には挑発されておちょくられているせいで、蛇は名探偵を恨みつつも恐れている。
精神をやられて特別療養所に引っ込んだことは蛇も把握していたはずだが、不気味なくらいに動きが無いので、死んだも同然と思っていただろう。
その代りに目障りな黒猫が動き始めたわけだが。
単にオレが最初の昏睡から目覚めて動き始めただけだったが、ボーディ前局長はそのあたりを誤魔化した情報を流すことによって攪乱することにした。
祖父さんは特別療養所に入って、しばらくして精神が回復したのだ。
そして、潜伏して<知識の蛇>の計画を裏で調べ回り、邪魔するよう陰で手配していた。全く異なる行動様式を取るために使った名称が、黒猫である。
孫のユレス捜査官を隠れ蓑にして暗躍し続けた恐ろしい黒猫は、実は名探偵の仮の姿だったのだ。という、かなり無理のある攪乱情報にも関わらず、<知識の蛇>を含めた新王国自治区の人たちは、何故かそれを納得して受け入れてしまったらしい。
うっかり昏睡してしまうようなオレが実は黒猫だと言われるより、納得できる話だろ!とばばあが言ったが、安易な結論に飛びつくのはよくないと思う。
ここまで読んでくれてありがとうございました。