1 時間概念
第二章開始。更新速度は落していきます。
その獣は、単なるすれ違いが世界を崩壊させたのだと告げた。
◇◇◇旧世界管理局遺物管理課捜査官日誌◇◇◇
63410412 1300 ユレス・フォル・エイレ捜査官、捜査官席に待機開始。
63410412 1305 遺物調査課より応援要請。エレス・フォル・エイレ捜査官、第七番倉庫へ出動。
本日の捜査官日誌の登録は、三行か四行は行きそうだ。
捜査官席を離れる時には必ず日誌登録して、理由と現在地が分かるようにしておくことが旧世界管理局所属の捜査官規定で決まっている。
戻ってきたら、再び捜査官席で待機開始の旨を登録するし、戻りが勤務時間終了時刻となったら、席への帰還と勤務終了を同時に登録するだけだ。
四行になるか三行になるかはただそれだけの誤差に過ぎない。
そもそも時刻、日付といった時間概念自体、幻想だが。
時間は振動する変化の記録であって、絶対的な時間軸というものはない。
これは世界管理機構の公式見解であり、世界研究局に所属する知的な思考に長けた博士たちの共通見解でもある。
世界の基本振動、それを基盤として変化する空間の変化の記録が時間という概念という考え方であるが、時間とは幻想であると言われつつ、時間の定義について語られるあたり、子どもたちが共通基礎教育で学ぶには矛盾に満ちた話だ。
とはいえ、時間と空間概念を基盤として人生体験する以上、基礎部分を説明せずに、他のことを語れるわけもない。
かくして子どもたちは混乱した文言をそのまま覚えることになるし、時間概念はあまりにも当たり前にあちこちにあるので、そのうち、疑問も感じずにそういうものだと受け入れるようになる。
それが合意時刻。
世界管理局の時空管理課が定める世界共通時刻によって、人々は変動する世界での一定基準である合意時刻を得て、日程の調整や、指定された職務につく時刻、期間の合意に至ることができる。
各施設での認証や通信、各種手続きといった大体の機能を担う腕輪の最大にして最重要な機能は、世界共通時刻の表示かもしれない。
旧世界にも当然のごとく時刻表示はあったし、AIは旧世界の厳密なる時間概念の元で機能している。
旧世界では、基準となる物質の振動を基礎として時間単位を設定していたらしく、この世界の基準振動でもって合意時刻を算定する時空管理課の算定方法と類似しているので、擦り合わせをはかることができた。
ただし、日、月、年という旧世界の時間概念については、遺物研究の当初の頃は混乱や認識齟齬が多く発生して大分苦労したらしい。
その原因は世界の基本構造自体にあるので、ある意味当然だ。
この世界は、空間に満ちる大気が光を発して明るく照らす明時間と、天上に観測される数多の光源、別の世界から微かに届く光を大気が吸収する暗時間とを、呼吸するように繰り返す。
世界は別世界である数多の光源から光と情報を吸い込んで、そして自らもまた光と情報を吐き出すことを繰り返すのだと解釈されている。
その一つの単位を一日として、繰り返していくものだというのがこの世界の原初の時間概念だ。
旧世界の一日も、明るい昼の時間と暗い夜の時間があることは合致したし、時刻だけでなく昼と夜の境目を朝と呼んだり、夕と呼ぶなどかなり細かく区切って認識していたことも判明した。
なかなか便利なので、合意時刻の呼び方については旧世界の概念がそのまま流用されているものが多い。
ただし、合致するようでいて完全ではない。
世界が明るいか暗いかの原因について、根本的なところが異なるのだと気づくまでにかなりの合意時間が必要だったらしい。
この世界は、世界自体が光を発しているので、明るい時間帯は世界中のどこであっても明るいし、暗い時間はどこもが暗い。
だが、旧世界では、世界を照らすのは太陽という名の光源だった。
旧世界の概念ではその光源を星と言うが、この世界でも暗時間に空に観測される数多の光源、旧世界の概念でいうところの星と合致すると言われている。
この星のうち、旧世界にかなり近い位置にある星が発する光を浴びている時間帯を昼と認識していたようだ。
旧世界はまんべんなく光を浴びるために回転しており、光が当たらない時間帯を夜と区別していたが、世界の一部では光が当たっているので昼と認識している場所もあるという、実に混沌とした状況だったらしい。
太陽という概念だけでなく月という概念も旧世界では重要で、月は太陽の光源を受けて反射し、夜の暗い時間帯に淡い光を提供していたようだ。
この世界の暗時間と違って、旧世界の夜はかなり暗く、月の灯は助かったようだが、月が光を発する量も周期的に変動したらしい。
まったくもって混沌とした状況だが、それがゆえに、日という単位だけでなく月という別の時間認識の単位も発達したのだろう。
旧世界は太陽との距離が周期的に変化していたので、世界に温度の違いも発生し、植物が成長可能な時期も限られていて、季節という概念が発生し、その周期が一巡する区切りでもって一年という単位で区切っていた。
旧世界の年、月、日の概念は、旧世界管理局の職員であっても混乱してくるほどには複雑で、そういうものだったと納得するのが賢明である。
この世界の大半の人々と同じように。
旧世界の概念もある意味遺物であるし、取り扱いに注意を要するものであるのは変わらないが、概念は変化しやすいものであるし、旧世界の概念は区分や区切りをつけるという点においては非常に使いやすいものが多い。
特に合意時刻という曖昧な概念を管理するにあたっては、旧世界の時間概念は有用であると判断がされたときから、この世界は日だけでなく、月や年という概念も取り込んで利用して来た。
今の世界の振動にも周期的な変動はあるし、多少の気候変動も観測される。それは大体が12を基礎とする変動らしく、同じく12を基礎としていた旧世界の時間概念が非常に使いやすいようだ。
崩壊した旧世界を再構成したのがこの世界であるわけなので、当然のことかもしれないが。
ゆえに一日を明時間の12、暗時間の12に区切って合意時刻を設定し、一月は36日で構成され、一年は12月で区切ることになった。
細部調整はしているようだが、大体これで上手くあてはまるらしい。
特に人生計画を立てる上で、年の区分概念は大変便利だと治療局に即座に採用された。
それまでは、この世界に体を持ってから何日という単位で情報表示していたようだが、初期の成長段階について細かく日数で区分していくのがなかなか大変だったらしい。
年単位で管理するようになってから、大体の傾向と平均値も取りやすくなったと言われている。
この世界の人の体は生まれてから12年は人の身体の基礎機能を少しずつ向上させながら、子宮から出たときの大きさから徐々に成長して大きくなっていく。
個人差はあるが、12年ほどすれば基本的な社会生活を送れるほどには成長している。
この成長期の間は、家族生活を送った方が心身が健全に発達するとされており、世界管理局教育課が作成した教育プログラムにそって、各家でこの世界で生活するにあたっての基礎教育を受けることになる。
ときどき集まって他の子どもと交流を図ることもあるようだが、家族と当人の意志次第ともされている。
成長期が終わっても、人として完全に成熟したわけではなく、性別も確定していない未分化の状態だ。
その後、成熟期に入って個々人の精神に合致する生殖機能を発達させつつ、自分の理想とする完成された人の姿にまで成長させていくことになる。
生殖型、旧世界で言うところの男を選んだ人は、成熟期に入るとさらに体が大きく逞しくなっていくし、子宮型を選んだ人も、さらに体を成長させつつ、子どもを生み育てしやすいように機能を発達させていく。
加えて、個々人の才能や技能を伸ばすべく、より高度な教育を受けることも可能となる。積極的に他者と交流をはかって経験を積み重ねていくことが重要な時期とされているので、成熟期には交流が活発になる。
各個人の容貌は精神体の発達を反映すると言われているが、体の成長を優先する成長期ではなく成熟期にその傾向が強く表れる。
成熟期を終えると別人のように美しくなったと言われる人が結構いるそうなので、成熟期は自意識が芽生えて、自分を表現しつつ、磨く時期と言ってもいいだろう。
ただ、ローゼスのように体は男、心は乙女という特殊な自己表現を見出してしまう人もいるが。
成熟期に何らかの事情で、体と心に齟齬が生じる事例も稀にあるし、成熟期を終えて成人となった以後も、精神体の発達によって表現したい性別が変わったり、子どもを作りたいと思った相手と同じ性別だったという事態も発生するが、治療局に申請すれば、性別変更治療も可能である。
治療期間はそれなりにかかるが、成人後は年でいえば300年以上はそのままの姿で生存することが当り前だし、千年を超えて生きている人たちもいるので、治療にかかる12年くらいはさして問題にならないのかもしれない。
旧世界では100年を超えて生きる人は稀だったし、成熟期を終えた以後は、老化という現象が発生して体が徐々に崩壊して、肉体に不具合や機能不全が生じていたようだ。
崩壊した旧世界から世界を新たに再構成するにあたり、この世界の人の体はそういった問題点の多くを発生させないように進化した体になったものと考えられている。
ここまで読んでくれてありがとうございました。