14 英雄
肩の上の黒猫が喉を鳴らしながら丸くなった。
アーデル捜査官がいなくなって、戻ってこないと分かって、ようやく寛ぐ気になったらしい。
実に緊張感が欠ける光景にも関わらず、相変わらずオレに真剣な顔を向けて来るアレク班長の熱意に応じて真面目に解説することにした。
「アレク班長は自分で答えを言っていたようなものだと思う。
いいか、重ね重ね言うが、リリアがいなかったらここまで大規模な事件にもならず、それからアレク班長の出番も無かったはずだ。孤立無援で多くの人質をとられてなお、一人で犯人たちを制圧する英雄は誕生しなかった。
精々いいところで……突然押し入ってきた過激派たちに立ち向かって押し返すか、武器を持った相手に立ち向かって守るべき人たちを庇うか、そういう小さな英雄譚的なことはあったかもしれない。選考委員長が頑張ったように」
ボーディが呆れたのとうんざりしたのが入り混じった複雑な顔をして言った。
「……つまり、それが目的だったということですか。選考委員長は、英雄になりたかったと?」
「人が名声を求めるのって、それなりに理由がある。選考委員長はすでにそれなりに名声を得て、だからこそ、祝花祭の花王の選考委員長をしているわけだから、そういう意味ではいらないはずだ。
とはいえ、危険を冒して誰かを守ることで、誰かの心を得る可能性もある。アレク班長は人質たちを救った英雄として、多くの心を捧げられたのでは?
旧世界の遺物映画の典型的な展開がそれだ。さっそうと人々を救う英雄は、恋の勝者になって、幸せな結末を迎えるという王道の展開だな。復古会過激派も大好きな映画の類だろうし、選考委員長にしても遺物映画を一度も見たことがないとは思えない。
選考会で選りすぐりの美人が集う場で、ちょっとしたものであれ英雄的行動を見せれば、意中の人が落とせるかもしれない。もしくはそうまでしないと落とせないとでも思ったのか。
それ以上は調べないと分からないし、オレの仕事でもない。だが、正当な取引となると、証拠も揃えて差し出す必要があるか?オレとしては、推測によって特定した内通者とその動機と目的について話すくらいの認識で取引と言ったが、そこも決めておくべきだったか。推定であって本当に犯人でない場合は取引成立しないしな」
「私は内通者の可能性が高い方を推測して欲しいと申し出たつもりでしたので、それで十分ですよ」
「わたしもです。それに事件の捜査権は警備局捜査課の捜査官にあるものですから、そちらの仕事ですし、ユレスが捜査したらどこぞの捜査官に越権行為と非難されかねません」
「そうねぇ、でもアタシ、経験上分かってるけど、ユレスが外したことって無いじゃないのよ。アタシも納得しちゃったし。あれね、英雄願望って奴ね。そうまでするなんて誰狙いよって聞きたくなっちゃうくらいだけど、さすがの黒猫さんでもそこは分からないだろうから、無理は言わないわ」
青茶の残りを優雅に飲み干してから、アレク班長が困ったような顔で言った。
「この場のすべては守秘義務をもって扱われると信じて言ってしまいますが、選考委員長は姉のことを以前からずっと口説いていて、姉が結婚した後も執拗でした。つじつまがあってしまって、むしろすっきりしているくらいです」
「お、おおう!?やだ、そんな情報言っちゃっていいのぉ?もちろん守秘義務は守るわ。どこぞの捜査官みたくなりたくないもの。ええ、だから、早くお姉さんのところに行ってあげて。ユレスに話をさせた価値はあったと思うし、早めに手を打った方が安心よ」
「お気遣いに感謝します。ではまた、改めてご連絡します、ユレス捜査官」
オレの代わりに肩の黒猫がにゃあと鳴いて、別れを告げた。
<菩提樹>の転送装置から3つほど移動した先、少し歩いたところにある家にたどり着いたときには、さすがにため息が出た。
本当に、面倒だった。扉で認証して家に入り、ソファに座るというより寝転がる。
もうこのまま寝てしまってもいいかもしれないな。
オレが倒れるようにソファに身を沈めたときに、ひらりと間近のテーブルの上に降り立った黒猫はじっとオレを見ていた。
AI-ASが監視役としての任務を忘れることは無いし、監視以上のことをすることもない。……通常であれば。
『知っているかね、マスター。旧世界において英雄とは大量殺人犯であったのだよ。たかだか、女を手に入れたいがために愚行を働くようなもの、英雄などと口にするのもおこがましい』
黒い子猫の目が金色に輝く。
それが怒りの兆候だと言うことを、オレは知っている。だからあくまでも平然と返した。
「旧世界の英雄とやらを、再現して欲しいのか?矛盾だな、終焉の獣」
瞬く黄金が、とろけるような琥珀に変わった。気まぐれ猫の気分は変わりやすい。
『然り、矛盾であったな、我がマスター。吾輩は英雄が嫌いなのだよ。あれは生贄、祭り上げて殺すための都合のいい道具であるゆえな。
マスターよ、吾輩は英雄になどなってもらいたくないのだよ。英雄に祭り上げられて、殺されるのを見たくはないのだ。都合の良い生贄を欲する世界などいらぬ。
ゆえに、吾輩は、世界を終わらせてやったのだ』
首筋をかき切るかのように、胸元に飛び乗ってきた黒い子猫は甘えるようにそこで丸くなった。
今夜はこのまま寝るしかないか。
手を伸ばして、何とか毛布を引寄せて被ったら、胸元の黒い子猫がにゃあと鳴いた。
第一章完。
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