2 新たな伝説の日
マイクルレース場の最難関コースで優勝というとんでもない暴挙をボーディがやらかした日、時事情報放送では新たな伝説の日と呼んでいるようだが、様々な事態が動いた一日となった。
ベルタ警備局長は、オレがマイクルレース場の大レース会の難関コースに出場すると報告を受けて、長年の友人であり協力者である祖父さんを気遣い、見舞いのために特別療養所に行って、共に時事情報放送で大レース会の様子を見ることにした。
特別療養所では通信が制限されるが、療養室で時事情報放送を見ることはできる。
マイクルレース場で気にかかる事態が発生していたので、個人活動の時間であっても、警備局長としての職分も忘れてはいなかった。
だが、不幸にも事件はマイクルレース場以外で発生した。
特別療養所は通信が制限されるがゆえに、ベルタ局長はすぐに把握して指示を出すことができない状況だった。
後手に回って、警備局の特別隔離所から脱走者が出て、治療局の更生隔離所からは何人か連れ去られる事態となった。
警備局としても大失態である。だが、それが大きく取り上げられることも、声高に追及されることも無かった。
ベルタ局長は個人活動の時間に、重度の精神障害で特別療養所に入っている友人を見舞っていたのだ。
友人の精神状態に異変が生じたことは特別療養所の治療官にも連絡があり、まずは落ち着かせるためにベルタ局長一人で対応することになっていた最中の、事件の連絡である。
特別療養所は人道的観点から配慮したし、人権とベルタ警備局長の名誉を守るために、証言もした。
逆に追及されているのが治療局である。
治療局の更生隔離所から治療局長の娘のヒミコを連れ去ったのは治療局職員であり、別の更生隔離所も治療局職員が手引きして武装集団を招き入れてリリアを連れ去った。
他にも数人の治療局職員が研究資料を持ち出して姿を消し、治療局長も行方をくらまして失踪した。警備局だけでなく他の局も合同で、治療局を調査中である。
というのが、表向き公表されている流れだ。
内心の思惑や狙いはともかくとして、大筋の流れは実際に起こったこととほとんど変わりない。
ただ、特別療養所は、正確に証言したわけではないだけである。
新たな伝説の日、特別療養所では多くの人が時事情報放送で大レース会を見ていた。
静かな療養生活を送る日々を退屈に感じる療養者は多く、通信が制限された環境なので、外の情報は時事情報放送を見るか見舞客から聞くことになる。
だから、時事情報放送を見る人が多いし、マイクルレース場の大レース会のように、即時放送される情報作品を楽しみにしている人も多かった。
特別療養所としては、興奮しすぎて体調を崩しかねないと心配はしつつも、精神状態が向上したり、良い影響を得ることもできると判断し、治療官を各療養室に巡回させ、時事情報放送で大レース会を見ることを制限することはしなかった。
特別療養所の職員も刺激と娯楽に飢えているので、楽しみにしていたのだ。
そして、大レース会の初級・中級・上級コースの結果放送の後に、難関コースの即時放送が始まった。
ドルフィーを宣伝しに来たとしか思えない世界研究局自然環境課のドルフィー号であったが、特別療養所では歓迎された。
ドルフィーは癒し効果が高いのだ。どこか攻撃的な他のクラフターに比べて、可愛いし和む要素に満ちていると、療養者たちにも治療官たちにも絶賛されていた。
出場者の方は注目されなくていいのだが、祖父さんの担当治療官と長年療養中の療養者の何人かはオレに気づいたらしい。結構長い付き合いだし、祖父さんとか父さんと面識があった人たちもいるからな。
そんなわけで、オレたちが知らないところで、ドルフィー号は特別療養所一同の応援を受けていた。
そして、ドルフィー号がまさかの優勝である。
特別療養所は大いに盛り上がった。
レース・レディの代わりに巨大なドルフィー型人形が出て来たところでは歓声もあがったし、療養者と特別療養所の職員の何人かは、ドルフィー型人形が入手できないか調べ始めたらしい。
こうして、ドルフィーファンが増えていくのだ。マークとデルシー支配人の目的も着実に達成されている。
祖父さんの療養室で時事情報放送を見ていたベルタ警備局長の証言では、祖父さんは少し反応したが、ぼんやり画面を見ているだけだったそうだ。
ドルフィー宣伝が派手過ぎたよと言っていたが、祖父さんが孫が危険なレースに出て際どい状況なのに気づいたら心臓にくるかもしれないと思って、流した。
ベルタ警備局長は、祖父さんが反応するとしても、変装とドルフィー宣伝のせいでいまいち分からないことになっている孫の姿より、在りし日に優勝した最難関コースの方だと予想していた。
最難関コースには、アレク捜査官を挑発してきたゼクスが出場するし、マイクルレース場で<知識の蛇>が何か仕掛けて来る可能性も十分にあるので、ベルタ局長は最難関コースの放送は何一つ見逃さないよう待ち構えていた。
特別療養所の人たちも、最難関コースを前に盛り上がっていた。
ドルフィー号の話を聞いて、時事情報放送を普段見ない人たちも時事情報放送の画面を展開したり、難関コースのレースの再放送を見ていたからである。
最難関コースの出場者紹介も、わーわー騒いで楽しんでいたそうだ。
ゼクスとアレク捜査官の小さなレディに対する発言は、時事情報放送が煽って盛り上げるのにちょうど良かったのだろうが、そういうのが好きな人は好きなのは分かる。小さなレディがオレの変装であることは知られたくないが。
最難関コースの出場者紹介の最後で、飛び入り出場のことを司会が説明し始めたとき、ベルタ警備局長は全身に悪寒が走るくらいに嫌な予感がした。
そして最後の出場者として、隠居と孫が紹介された時には、ばばあは反射的にオレに、何してるんだい!と通信を送った。
だが、特別療養所の療養室なので通信はできない。
通信室に走るかどうか悩んだが、取りあえず事態を見守ることにして、在りし日の祖父さんっぽく変装したオレと在りし日の相棒が、在りし日の特製クラフターに乗っているのをぼんやりと見ている祖父さんの状態を監視することにした。
このときベルタ警備局長は、オレが気づかなかったことにした事態の方はすっきり忘れていた。
特別療養所も更生隔離所も、最難関コース開始に合わせて襲撃を計画していたようだ。
最難関コースの出場者紹介をしている頃には、ヒミコを連れ出そうとした治療局職員が見咎められて武装集団との交戦が始まっていたし、特別療養所の通信室にも警備局長への速報が来ていた。
だが、特別療養所も興奮している療養者たちの様子を見るために治療官は各療養室に分散してつききりになっていて、忙しかった。
祖父さんの療養室に様子を見に行った治療官も、ベルタ警備局長に祖父さんの精神状態に変化があるかもしれないし、何かあったら呼ぶからそれまでは慎重に様子見させておくれと言われていたので、通信は取りつがれなかった。
祖父さんがマイクルレース場の最難関コースで優勝経験があることを知っていた治療官は、確かに精神が回復する可能性はあると頷いて、長年の友人であるベルタ局長にその場を託していた。
これが治療の最後の機会になるかもしれないと、邪魔しないよう配慮したのである。
ベルタ局長の仕込みだと思わなくもないが、ボーディのまさかの不意打ちでの最難関コース出場に動揺したと言われたら頷けなくもない。
ベルタ警備局長は蛇相手の経験値も高いが、祖父さんとオレが、想定外や予想外なことをやらかすことについての経験値も高いので微妙なところだが。
ボーディとオレがレースが始まったのに呑気に観覧席に挨拶回りをしているときも、鋼の女は油断していなかった。
おかしい、大人し過ぎる、こいつら絶対やらかすね!という警備局長の慧眼でその後の暴挙を見通した。
場合によっては祖父さんの心臓と精神が崩壊するかもしれないと思ったそうだが、何もしないでいてもいずれそうなると割り切って見守った結果、予想通りにオレたちはやらかした。
そして、祖父さんの危機感が、その精神を目覚めさせた。
ここまで読んでくれてありがとうございました。