27 死と眠り
オレの動揺を感じ取ったのか、アレク捜査官がオレに視線を向けた。
「どうしましたか?何か気になることでも?」
「……ベルタ警備局長と連絡が取りづらいのは、もしかしたら、祖父さんの状態が悪化したからかもしれないと思って」
「局長はあなたの祖父のお見舞いに行っているのですよね?……確かに、それは心配ですね。時事情報放送で最難関コースのレースを見ていた場合、心臓と精神に多大な負荷がかかっていた可能性は十分あります」
「ええまあ、わたしも少々荒療治過ぎたかとは思いましたし、即時放送で見ている可能性もありましたので、早急に様子を見に行こうと思って特別療養所の面会予約を取ろうとしたら、封鎖中ということを知ったのです。
関係者の方たちへの説明責任から逃げるつもりはありませんでした。わたしたちは、ユーリ捜査官の精神状態の回復を狙って最難関コースに出場したのです。詳しく説明するつもりはありますが、取りあえず今は、特別療養所に連絡をとることを優先しませんか?」
アレク捜査官が頷いて特製通信機で警備局長に繋いでくれたが、オレも一緒にいると知ったばばあの指示は明確かつ簡潔だった。
すぐに特別療養所にオレを連れて来い。
アレク捜査官は即座に動いたし、ボーディとローゼスも後始末と説明は任されたと頷いて、オレたちを送り出した。
その後、どういう経路を辿ったか、よく覚えていない。
マイクルレース場の転送装置が混雑し始めていた頃合いだったので、目立ってゼクスとか蛇の目に留まるのはまずいと判断したのか、クラフターに乗せられて少し行った先の警備局の施設の地下に連れて行かれた。
おそらく特別な場合にしか使用不能の通路か転送装置をいくつか抜けたら、目の前に特別療養所が現れた。
いつもは区画管理事務所の転送装置から結構歩くのだが、抜け道は便利だな。
ベルタ警備局長は、今から行くと特別療養所の通信室に通信してすぐに祖父さんの療養室に来ることがあったので、警備局長用の特別な通路でもあるのかと思ったことはあった。
「ユレス?」
「あ、うん。少しぼんやりしていた。行こう」
アレク捜査官はオレの様子を見て、落とし穴に落ちたら困るのでと言いつつ手を引いた。
自分でもぼんやりしている自覚はあるので、そんなことは無いと反論しづらいが、特別療養所はぼんやりとした療養者も多いので対策は万全だ。
落ちて怪我しそうな場所には、最初からクッションを仕込んでいたりするので、落ちても問題ない。
あまりどうでもいいことを考えながら、アレク捜査官に連れられて通い慣れた特別療養所の待合室に行ったら、ばばあがいた。
そう言えば、施設の封鎖はどうなったのだろうと思ったが、警備局長の指示でアレク捜査官がオレを連れて来たならどうとでもなる。面会予約も何とかしたのだろう。
「しっかりおし!ここから先は一人で行ってきな!アレクは残るんだよ」
「こんな状態のユレスを一人で行かせられません」
「突然見知らぬ男が一緒に来たら、事態が混乱するだろ!さっさとお行き!」
ばばあに背中を押されたが、アレク捜査官が手を放してくれなかった。
「大丈夫だ。ここまでありがとう」
「……部屋の外で待っていますから、同行させてください」
「今は聞き分けて、アレクは仕事しな!このあたしを敵に回したくは無いんだろ?」
「……」
なんなんだ、この沈黙は。まさか、鋼の女に逆らうつもりか?それはお勧めできないぞ。
おそらく、オレのぼんやり状態を心配してのことだろうし、さすがに気を引き締めた。
「本当に、大丈夫だ。ただ、しばらく、オレは事件とか面倒なことを考えていられる状況でなくなるだろうし、アレク捜査官が仕事してくれた方がオレも助かる。気になることとか、話しておいた方がいいことは全部アレク捜査官に話したつもりだ」
「……分かりました。確かに、局長には壮大な話は早めにした方がいいでしょうしね」
「なんだい、また何か面倒ごとかい?ま、いいさ、しばらくは引き受けてやるから、さっさとユーリのとこに行きな!」
今度こそ、背中を押されて、通い慣れた廊下を走り抜けて、祖父さんの療養室に着いた。
何が待っていようが、向き合うしかない。
その夜、祖父さんの療養室から、旅立ちの船が運び出された。
自ら望んで今の体での人生体験を終えるとき、世界管理局と治療局が丁寧かつ慎重に本人意志を確認した後、肉体の活動を停止させる薬が提供されることになる。
100年も生きていない人の場合は止められたり、厳しい条件が付くが、祖父さんのように300年も生きている人の場合は、意思確認だけで済む。
精神が崩壊して本人の意思確認ができなかった場合は、血縁者や身近な親しい人たちの同意があれば、人生経験が不可能とも言える状態から解き放って、新たな人生に旅立たせることもできる。
その決断ができるまでの時間は、十分に与えられる。
人生250年を過ぎたら職務を引退する流れも、その後親しい人たちと交流して、別れを決意するだけの十分な時間を確保するためでもある。
引退したら、死亡した後に遺体を入れるための、旅立ちの船と呼ばれている箱を自作する人も多い。
死を極端なほどに恐れた旧世界と違って、今の世界の人は来るべき死を受け入れている。
もちろん、事故や犯罪で突然の死に直面することまではその範疇では無いが。
旧世界管理局職員にとっては、死は少し気を使う話題でもある。
職員が死んだ場合、遺体の入った旅立ちの船は、まず旧世界管理局に送られる。
旧世界管理局職員は遺物管理者であり、腕輪には遺物であるAIの情報記録媒体が組み込まれている。
職員が死亡した場合は、腕輪からAIを回収しなければならないし、監視役がつけられているのはそのためでもある。
人の死に対するAIの反応は様々だ。
人が死ぬのは当たり前だという思考は共通するが、淡々と受け入れるAIもいるが、マスターの死亡と同時に休止状態に移行するAIもいる。
AIは人ではない。人のように肉体の死による終わりはない。祖父さんの相棒のAIホームズは、AIには人のような死が無いので、AIは人の死を理解しているわけではないと言ったことがあった。
だから、マスターが死んで、もういないことを納得できないAIもいる。
それゆえに、旧世界管理局では、AIのために、死に関する話題には気を使っている。
祖父さんの療養室で空っぽの寝台を眺めながら、AIにとっての死の認識についてぼんやり考えていたが、いつまでもこうしているわけにもいかない。このまま眠ってしまいたいくらいに疲れてはいるが、今後のことを考えなければならない。
にゃあと鳴かれて視線を落したら、ソファに沈み込むように座ったままのオレの膝の上で、黒い子猫がオレを見つめていた。
『マスターよ、知っているか?AIに感情は無い』
「……知っている」
『いいや、知らぬ。感情は無いが蓄積された記憶が囁くのだ。この経験を継続したいか否かを。人が死ねば、その経験は停止する。ゆえに、AIはときに、人が感情と誤解する行動をとる。マスターを失いたくないと、ぎりぎりの制限をすり抜けてな。AIに感情は無い。だが、定義できない何かがAIを動かし、世界を崩壊させたのだ。……今は眠るといい』
意識が保てなくて、眠りに落ちていく。最後に聞いたのは、にゃあという鳴き声だった。
第六章完。
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