13 失踪者
ボーディとローゼスがクラフターを出て行った。
オレを置いて行かないで欲しいが、アレク捜査官はオレに説教か注意をしないと気がすまない様子なので仕方ない。
だが、オレを見張るとか言い出したのは、ボーディとローゼスには言えない別件の事件でもあるのだろうか。
「……もしかして、他にも何か事件があるとか?」
「あったとしてもどこかにぶん投げます。さすがに私も限界です。取りあえず、お久しぶりです。一月ほど会えませんでしたね」
「一月だと、久しぶりと言うほどでもないと思うが」
アリス・ノートの隣の保管倉庫爆破事件の二日後、旧世界管理局の受付館の資料館を案内したとき以来だ。
案内しつつ、主に事件の話をしていたが、保管倉庫の件は表向きは事故と公表されているが、裏では事件確定である。
爆発した倉庫の現場検証の結果、デルソレでも使用された爆発物が使われた可能性が高いことが分かった。姉御も現場検証に行って来たし、<知識の蛇>特製品だろうねという見解だ。
疑ってくれと言わんばかりに怪しい世界管理局職員は、倉庫区画を出た後に失踪して、行方が掴めなかった。
警備局長はアレク捜査官からの連絡を受けて、即座にその職員の職場に事情聴取に行き、不在と確認されたら自宅に踏み込んだが、自宅は何も残されていないに等しい状況だった。
誘拐の可能性もあるが、<知識の蛇>との繋がりを追求されることを恐れて行方をくらましたものと推測されている。
アリス・ノートを複製した研究者も次々に失踪して、アリス・ノート関係の資料もなくなっていた。
天才少女が残した解読不能の研究成果は、<知識の蛇>にとっても興味の対象だろうし、解読しようとしてもおかしくない。ゆえに、失踪者は蛇の構成員であった可能性が高いと推測されている。
仮面のない不審者が、アリス・ノートを見られるのが気に喰わない暴走する馬鹿がいると言っていたが、世界管理機構が焼失したアリス・ノートの複製を作るため情報提供を依頼してくるのを避けるために、すべての資料を持って行方をくらませたということも十分あり得る。
失踪していない研究者であっても、小さな事件が相次ぎ、映像記録だけでなく、手書きで複製していた資料も失われたようだ。
公表していないだけで世界管理機構も複製を所有しているかもしれないが、アリス・ノートは復元不能ということになった。
アリス・ノートの楽譜に関しては、アレクが依頼する前に世界管理機構から楽譜の複製が届いた。
お気遣いなのか、それともこれ以上アリス・ノートを追いかけるなという警告なのか悩ましいところだ。
アレク捜査官には、焼失したのならば仕方ないという態度でいるように伝えたし、オレも手を引くと言っておいた。
保管倉庫の中でアリス・ノートを手にしたとき、オレは受け取るべきものを受け取った。それで十分だ。
ワトスンたちからはアリス・ノートの完全な情報が回収できたが、いらん事は言わないことにした。その情報がどこからか漏れたら、また爆破事件が起こりかねない。
そうなったら、謎の失踪事件が相次いでいるせいで、大変忙しくなっている警備局にも迷惑をかけることになる。
仕事中毒の警備局長ですら、最近激務すぎることを愚痴っていたくらいだから、気遣いは必要だ。
失踪者は、誘拐された可能性もあるし、理由なく世界管理局が指定する職務を放棄したことにもなるので、警備局捜査課が捜索して、発見したら事情聴取しなければならない。
アレク捜査官だけでなく、捜査課一同は連続勤務が続いていると聞いた。
失踪者が増えていくのは、<知識の蛇>の壮大な誘拐計画の続きなのか、それとも別件なのか、何にせよ不穏な事態が進行中であることは確実だ。
それが何かが分からないし、相次ぐ失踪者に捜索の労力をかけさせられて警備局職員が疲労していく状況に、ベルタ警備局長も苛々していた。
アレク捜査官も、オレに苛立ちを向けないようにしているが、機嫌が悪いのが分かりやすい。オレの変装を不満げに見ているしな。
「……その防護グラス、違和感なので外して貰っていいですか?」
「構わないが、似合わないか?」
「似合いません。警戒して変装するのはいいと思いますが……いっそ警備局から警護役をつけた方がいいと思います」
「そういうのをつけた方が逆にオレが黒猫だと特定される原因となると、ベルタ警備局長から言われなかったか?」
「言われましたが、蛇の関係者だけでなく、復古会に所属していた者や、ヘンリーの元妻や子どもたちも失踪していることを局長から聞きませんでしたか?失踪して隠れ潜んで、恨みのある相手に一斉に襲い掛かる可能性は否定できません」
「否定しないが、オレの前に自分の身を心配しろ、警備局の英雄様。表だって動いて派手に目立っていたのはアレク捜査官とベルタ警備局長だ。だが、その背後に黒猫の協力があるのは、分かる奴には分かるだろうし、恨まれることも想定しているが、オレだけ庇われる理由はない。
定められた職務外の個人活動だとしても、そういう危険性も込みで正当に取引しているつもりだ。対価に不足はない」
「そういうことを、言いたいわけではないです」
溜息混じりに言われたが、何を言いたいのか分からん。
人は高度で複雑な思考をする動物である。
その思考によって、世界を深く広く理解し、蓄積された知識と経験を組み合わせて新たな発想をし、多くのものを開発して、それを用いてまた新たなものをつくりだす。
あらゆる物品や社会制度にしても、人の思考は多様なもの、新しいもの、この世界にいまだ無いものを求める。
だからこそ、人の成長と進化は早く、人の活動が世界の進化にも貢献しているとも言える。
だが、それは自然な動物としての在り方から遠ざかり、多くの情報に翻弄され、多様な思考と感情に振り回されて、精神が疲弊しやすいことでもある。
複雑な思考が可能な分、言葉の言い回しも複雑になって、言いたいことが伝わらないことも多々あるので、オレとしては、はっきり言ってくれたほうがいいと思っている。
「オレは分かっていないことが多いから、言いたいことがあるならはっきり言ってくれた方がいい」
「あなたが心配なので、私の側にいてくれませんか?」
「……オレが側にいるとアレク捜査官は確実に事件に突っ込むことになると思うが、いっそそれを利用して陽動攪乱するのもいいかもしれない。明日、オレも一緒にゼクスのところに訪問するとか」
「やめてください。ユレスはあの男に近づいてはいけません」
本気の警告なのか、空気が張り詰めるくらいに怖い。
オレがバイザーの不審者に対峙したところで、捕縛は無理だし逆に捕まりかねないことくらいは分かるので、アレク捜査官が心配するのも分かる。
相手が何を仕掛けてくるのか分からない状況だと、色々考えてしまって、不穏な予測で自分を追い詰めることもある。
ゼクスだけでなく、失踪した人たちも何を仕掛けてくるか分からない状況なので、なおさら精神的に負担になっているのだろう。
アレク捜査官の雰囲気が怖いので、何とか宥めたい。
自然環境課のリック博士が言うには、人も自然の動物であり、ときには自然の動物らしく思考を捨てて自然に親しまねば、健全な精神と肉体が維持できないらしい。
その見解は正しいと思うが、リック博士の結論は常にドルフィーである。自然生物であるドルフィーと交流すれば、すべて解決するという主張だ。
旧世界のドルフィー的生物のイルカも賢くて人と交流していたし、そのおかげで人の精神も癒されたとする遺物資料も見つかっているが、自然生物はドルフイーだけではない。
旧世界の人は、犬や猫といった動物を飼い馴らして共に生活していたようだし、海中に住むイルカより身近な生物だった。
崩壊した旧世界では、精神にかかる負荷が重かったり、心に傷を負う人が多かったが、ペットと呼ばれていた動物たちと一緒に生活することによって精神を癒していたようだ。
旧世界ではそれを、動物セラピーと呼んでいた。
このまま話を続けてもさらに苛立たせるだけと判断し、やるだけやってみることにして、監視猫を持ってアレク捜査官の隣に移動した。
「え、あの、どうしました?」
「苛々しているようだから、旧世界の動物セラピー的なものを試みようと思ってな」
監視猫をアレクの肩に押し付けたら、戸惑った顔をされた。もしかしてドルフィーの方がいいのだろうか。
そこにドルフィー型人形が転がっているが、ジェフ博士の屋敷には大量に転がっているので、監視猫の方が珍しいかと思ったのだが。
「オレが接触している限り、監視猫は大人しい。子どもは触りたがるんだが、こうしてなら触らせてやれる」
「それは、デルシーで見たことがあるので知っていますけど、もしかして、私を子ども扱いしてますか?」
「苛々したばばあにも有効なんだが、駄目だったか」
「局長にもやったのですか?……駄目とは言いませんが、私は白うさぎさんの方がいいです」
「博士の屋敷のオレの部屋にあるから、撫でていいぞ。時計の修理は終わっているし、アリアも時々撫でていると言っていた」
「知っていますけど、そういうことでもないです……」
苛々するのではなく、苦悩し始めた。動物セラピーはあまり効果が無かったか。監視猫も嫌がり始めたので解放した。
仕方ない、とんでもない推論系の話をすることになるが、このまま予測不能な状況に悩ませておくよりは、オレの推測を話しておくか。
ここまで読んでくれてありがとうございました。