魔王の教育的指導
「水属性の時限石、かな」
バードに抱きかかえられ、一滴残らず干上がった、人間が到達不可能なはずの深い深い湖底に降り立ち私は辺りを眺める。
数多の水棲生物の屍に囲まれて、湖底中央に白く輝く石の台座が残されていた。
台座に水平に差込まれた金剛石の短剣。
そして、その前で力尽きた旅装束の男の白骨。
私は、白骨の纏う旅装束から、ベルトに通したイニシャル入りの小さな水筒を外した。
「使用済みの石は回収したみたいだね」
辺りを見渡したバードが答える。
台座にあるのは、金剛石の短剣のみ。
聖剣の姿は、其処に無い。
「現れたな、魔王! この、何者よりも美しい、私自ら征伐してくれる!」
剣を手にした何者かが羽ばたきながら降りて来るが、滑稽な台詞を嘲笑う気すら、もう起きない。
「バード。アレと私たち、どっちが悪役に見えるかな」
「どう考えても向こうだと思うよ」
魔物の骨を土台に、柄を魔物の鱗で覆い、飾りのように魔物の牙を放射状に取り付け、悪趣味に様々な魔物の目玉を埋め込んだ、これでもかという禍々しさの魔剣を振りかざす翼の有る男。
「僕を征伐したいのは、天界の末端に属する輩なら考えは分からなくもないけど。リュカも害そうとした理由を聞こうか」
相変わらず妙なポーズだけで近くには来れない変質者にバードが声をかける。
「聖女など天使が女に種付けすればいくらでも代わりが作れる。それに魔王と結ばれた穢れた女など私の聖なる炎で浄化されるべきだ」
末端の天使は知らないんだな。まぁ、こんな調子で私が神の娘だとか地上で触れ回られても困るが。
「あぁ。あんな物では死なないと分かっていたんじゃなくて、本気で殺意があったんだ。なら、神も喜んで後始末をするだろう」
バードは腰のポケットから、城下町で回収した緑の小瓶を一つ取り出す。
「チャンスをやろう。僕は一撃目、一切の抵抗をしない。一撃で僕を屠る自信があるなら来ればいい」
疑うように逡巡する相手に、更にバードは畳み掛けた。
「五つ数えるまでに来なければこちらから行く。僕の攻撃を食らって生き残れるつもりなら、そこで迷っていろ。1、2、3、」
白い翼が滑空する。
魔剣がバードの胸を貫いた。
「やった! やったぞ!」
「本当に?」
痛みすら感じた風もなく、バードがそう言うと、魔剣が砂より小さい粒子となりサラサラ空気に溶けて消える。
バードの肌には、かすり傷一つ残らなかった。
「馬鹿な! 聖剣は魔物に治らぬ傷を付けるはず!」
「魔王は魔物を統べる王だが魔物に非ず。天界に居ながら、そんな初歩すら教えられていないのか」
それ、初歩なのかな。私は知ってたけど。
結構トップシークレットな気がする。
「それじゃあ、僕からは忘れ物を返してあげよう」
バードの手の中の小瓶が徐々に膨らんでいく。ちょうど、元の大きさの十倍くらいまで。
「美味しい天界の秘薬だよ。貴重な物だから、忘れたら駄目だ」
左手で小瓶の本来の持ち主の顎を掴んで強引に口を開けさせて、バードは右手で大きくなった瓶の中身を注ぎ込んだ。
腕っぷしの弱さが評判になるような輩がバードに敵うはずもない。
暴れるも片手でねじ伏せられて、秘薬を吐き出すことは許されず飲み込まされた。
声にならない悲鳴を上げて、ご自慢だった美貌を酷たらしく爛れさせていく天使の翼を無造作に鷲掴み、バードは次の「忘れ物」を懐から取り出す。
「次は火属性の時限石。これも地上にあってはならない貴重品だから、止めておいた時間を動かして返すよ」
眉一筋も動かさず、窓から庭でも眺めるような表情で、バードは石を使い、掴んだ翼を燃やし尽くした。
「翼が無ければ天にはもう帰れないね。じゃあ最期の忘れ物を返すよ」
もう、話すこともできない、かつて天使だったものが、バードの力で宙に浮かぶ。
「土の時限石を弄って、消滅の時限石に創り変えた。消滅は魔王の与える最大の祝福」
バードは目の前に浮かぶ物体に、握った石を埋め込んだ。
静かに、静かに、ゆっくりと、ゆっくりと、欠片も魂も残さずに、存在していたモノは存在していなかったことになる。
「生まれ変わっても、あの神に支配されるよりはマシだと思うんだけど。これが神に創造された全ての存在にとっての最悪の罰らしいんだよね」
くるりと振り返って、いつもの調子でバードが言った。
「アレに支配されるよりマシには同意だけど、アレが創造したモノを消滅させることが出来る魔王って、結局何者なの?」
私が尋ねると、バードは悪戯っぽく笑う。
そして、私の耳許でスペシャルシークレットを囁いた。
「魔王とは天界に属さない神のことだよ」
そうか。私とバードの子供は魔王と神のハーフじゃなくて、普通に神の子が生まれてくるのか。
「なんだ。バードも私と同じ成分でできてるのか」
「うん。そうだよ」
嬉しそうなバードに抱えられて地上に戻る。
「バード。家に帰る途中でダンテ家に寄っていい?」
「もちろん。ケインの遺品を届けるんだね」
「うん」
私は湖底から持って来た古い水筒を荷物の中に入れ、湖の水を元通りにして、バードと二人で帰路に着いた。




