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悪魔の咆哮 2



 リスベットは落下しながら魔法陣を展開すると、風を巻き起こしてノエルを引き寄せ、下から風を拭き上げて落下速度を遅らせた。すると絵画の中に閉じ込められながらも、悪魔もリスベットを真似て落下を遅らせている。


『リスベット!助けてくれ!』


 この期に及んで悪魔は往生際が悪い。リスベットはノエルを抱き寄せて叫んだ。


「いい加減に諦めるのね!」


 マグマは目前だった。熱さで火傷を負いそうな程の熱気で、全身から汗が流れ出ている。激しい火柱があちこちから吹き出て、いつ巻き込まれてもおかしくない状況だった。


「ほら、迎えが来たわよ!」


 リスベットが示した先、マグマの中から大きな烈火が突き上げてきた。炎はうねり、やがて人の手の形となって手招きするように絵画へと伸びていた。


『ひ……火の神!!やめろ!!』


 青褪めた悪魔が絶叫すると、巨大な炎の手は絵画を握りしめた。紙や骨の焦げる匂いが漂い、悪魔の断末魔が響き渡った。


『黒魔女。後は任せよ』


 火の神の声が轟いた。リスベットが礼を言う間もなく、悪魔はグツグツと音を立ててマグマの中へと呑み込まれてしまった。

 あれだけ大魔導士や大神官を手間取らせた悪魔の最期は、意外に呆気なかった。


 なんとか悪魔を祓えたことに安堵したが、ほっとしている場合ではない。このままではリスベットとノエルもマグマの中へと呑み込まれてしまう。


 展開した魔法陣をそのままに、リスベットが天水神の名を呼ぶと、リスベットのポケットから小さな蛇の姿をした天水神が飛び出た。


 天水神の身体から青白い光が放たれると、天水神は本来の姿へと戻り、落下するリスベットとノエルを捕まえて大きな身体に乗せた。

 リスベットは天水神の角を片手で掴みながら、ノエルが落ちないようにしっかりと支えた。


 天水神は長い身体を伸ばして、天へと舞い登って行く。すると分厚い雲が一瞬で分散し、夕陽と共に橙色に色付き始めた空が顔を覗かせた。


 天水神は完全に火口から離れたところで身体を水平にした。安定したところで、リスベットは角から手を離すと、ノエルの身体を天水神の背へと寝かせた。


 ノエルの額に手を当てると、ヒヤリと冷たい。まぶたはぴたりと閉ざされたまま、身動き一つしない。

 早くノエルの精神を取り戻さなければ、手遅れになってしまう。


「さあ天水神。行くわよ!」


 リスベットは目を閉じて魔術を練り上げると、ノエルの額に自身の額を合わせて目を閉じた。


 そして、ノエルの精神を取り戻すべくノエルの中へと意識を飛ばす。それだけでも大きく魔力を消費したが、入り込むまでは自分の魔力で補いたい。帰る時に天水神の力を使うつもりだった。

 ぐんぐんと意識を飛ばして暗闇の中でノエルの気配を探っていると、突然リスベットの視界が開けた。



 リスベットが次に目を開けた時、リスベットの目の前にはサイモンの姿があった。

 リスベットは身体を強張らせた。サイモンはそんなリスベットを不思議そうに見やると、小首を傾げた。


「どうしたんだい?ラザフォード君」


 ラザフォード。思わず返事が出来ずに立ち竦んでいると、隣から声がした。


「先輩。どうかしましたか?」


 ハッとして隣を向くと、ノエルもまたきょとんとしてリスベットを見ていた。


「ノエル……」


「え、あの名前……」


 名前を呼ばれて戸惑いを見せたノエルの頬が僅かに朱に染まる。リスベットはようやくここが魔術学園の廊下であることに気付いた。


 リスベットは学園の紺色の夏服を着ていた。ノエルもまた制服を着ていて、少年から青年へなろうという成長途中の姿をしていた。


「……ごめんなさい。何の話でしたか?」


 リスベットが咄嗟に周囲の状況に合わせると、サイモンは夏休みの課題について話をしていたことを説明した。

 リスベットは考えておきますと返事をして、サイモンに別れを告げてノエルと二人並んで廊下を歩き出した。


「先輩何か心配事でも?」


「いいえ。なんでもないの。それよりも……」


 言いかけた時、廊下の先からジャコビが走って来て、リスベットに手を振った。


「リスベット!宿題やってきたろ?見せてくれよ!リスベットだけが頼りなんだよ!」


 無邪気な笑顔を浮かべてジャコビが言った。リスベットは返事をしようとして、ノエルがジャコビを羨むような眼差しを向けているのに気付いて口を閉じた。


「それじゃあ私はここで。また次の授業でお会いしましょう」


 ぺこりと丁寧に頭を下げて、すたすたと去って行くノエルの背中が寂しげだった。


「ノエル!」


 名前を呼ぶのと同時に、リスベットの視界は歪んで真っ白になった。



 瞬きをして目を開けると、今度は魔術学園の冬服を着て講堂に立っていた。周囲には大勢の生徒が集まっていた。魔術学園、王立学園の生徒達の合同授業があるのだろう。


 ノエルの姿を探すと、離れた所に立っていた。隣には騎士科の制服を着たロバートがいて、何やら話している。

 リスベットがそちらへと近付こうとした時だった。


「では……リスベット・ラザフォード嬢を指名します」


 突然名前を呼ばれたことで周囲の視線が一気に集まる。焦ったリスベットはキョロキョロと首を動かした。そして、まっすぐにこちらを見つめるシドの姿を見付けた。


「ラザフォード君。シュトックマー君と共にダンスのお手本となってくれるかい?」


 老齢の講師に言われて、リスベットははいとおずおずと答えてホールの中央へと歩いて行った。すると間髪入れずに曲が流れ出し、シドが手を差し出すものだから、その手を取らざる終えなくなった。


「緊張せずともいつものように踊ろう」


 シドが控えめに笑うと、手が腰に回された。シドの腕に手を回すと、二人は自然と踊りだした。難しいステップを踏み、軽やかなターンを決めると歓声が起こった。


 その後無難に踊りきると、拍手が沸き起こった。リスベットはその中でノエルの姿を認めて、息を呑んだ。


 ノエルは切ない表情でリスベットとシドを見つめていた。嫉妬と羨望が入り混じった複雑な表情を隠しもしないで、拍手をせずに腕を組んでいる。

 リスベットは胸が痛んだ。声をかけようと歩を踏み出したところで、またもや視界が歪んで真っ白になった。



 次は王宮の青鳳棟の廊下に佇んでいた。忙しない足音が聞こえてきて振り返ると、廊下の先からノエルが現れた。

 今度は兵服を着込んでいて、すでに大人の男性へと成長していた。


 ノエルは険しい顔をして足早に歩いている。その後ろから、同じく兵服を着たメアリーが小走りについて来た。


「ノエル!怪我はない?もう大丈夫なの?」


「ない。ただ物資の補給に戻っただけだ。すぐに前線に戻ることになる」


「だけど、ちっとも大丈夫なようには見えないわ」


 メアリーはノエルの前に回り込むと、ノエルの手を掴んで止めた。メアリーの言う通り、ノエルの顔色は悪くて目は虚ろだった。


「大丈夫だから。メアリーは怪我人を見てやってくれ」


「もちろんそうするわよ!だけどあなたのことが心配なのよ!治癒術をかけるからこっちに来て!」


 メアリーの細い手に引かれて、ノエルがふらふらと歩き出した。ノエルからは生気が感じられなかった。疲れ果てて頬が痩け、病人のように見えた。


 メアリーは近くの会議室にノエルを引き入れると、椅子に座らせて治癒術をかけた。そして治療が終わるなり、ノエルを抱きしめた。


「ノエル!私が癒やしてあげるわ!大丈夫だからね!」


 メアリーの白い手がノエルの頬を挟むと、涙を浮かべたメアリーとノエルの弱々しい視線が混じり合った。



 リスベットは胸に手を当てた。二人にはリスベットの姿は映っていない。これはノエルの精神世界の中だ。過去の出来事を反芻しているに違いない。それでもリスベットは痛む胸を抑えると目を閉じた。


 リスベットには、ノエルの気持ちもメアリーの気持ちも痛い程分かった。こみ上げてくる感情をどう処理していいか分からないまま、視界が歪んだ。



「先輩なら……どうするだろう」


 ノエルの声で目を開けると、そこは浜辺だった。暗い夜の海をぼんやりと眺めながら、ノエルはボロボロの兵服を身にまとって浜辺に座り込んでいた。

 回りには誰の姿もなく、その呟きは暗闇に溶けてなくなった。


 ――リスベットならばきっと……残された者達のために、全力で戦うと言うのではないか?


 ノエルの心の声が聞こえてきて、リスベットはぎゅっと拳を握りしめた。


 ――負けるわけにはいかない。自分の気持ちにも、ルベライトにも。死んだ者のために悲しみ弔うのはもう少し先だ。今は生きている者のために戦わなければいけない。


 ――心を奮い立たせなければいけない。立ち上がらなければいけない。歩を止めたらそこで終わりだ。


 ――リスベットは今どこかで苦しんでいるかもしれないんだ。しっかりしないと。


 ノエルは立ち上がった。虚ろな目に光が宿り、失われた生気を取り戻していた。


 リスベットの目に涙が浮かんだ。ノエルの苦しみが、奮闘が、痛い程伝わってきて言葉も出なかった。

 そしてまた視界が歪む。



 次に目を開けた時、リスベットの隣にはマークがいた。そして足元には黒焦げになって灰になった三匹の猿の魔物。そこは東庭園だった。


「先輩……」


 呼ばれて顔を上げた先に、驚愕と僅かな喜びを滲ませたノエルの姿があった。リスベットは何も言えずにノエルの顔を見つめた。

 再会出来ると思っていなかった。けれど、再会出来た喜びと驚きで、どんな顔をしていいのか分からないノエルの顔を見つめて、ただ頷いた。



 その後も場面はどんどん切り替わっていった。


 初めてリスベットの家に訪れた時、ノエルは少しだけ緊張していたけれど、昔のように名前を呼び合えて嬉しかった。


 エドガーとリスベットに接点があると知った時は、二人の間に何があったのかしつこくエドガーを問い詰めた。


 リスベットの家に泊まった時は、リスベットの過去を知り胸を痛め、愛しさと葛藤で一睡も眠れなかった。


 リスベットが命を落としかけた時は、心臓が止まるかと思う程絶望したが、リスベットが目を覚ますと、喜びのあまり自分を制御出来なかった。


 ノエルはリスベットのことが好きだった。

 心から愛していた。

 だからこそノエルは、シドに嫉妬した。


 元婚約者同士の二人が舞踏会で再会して踊っているのを目にした時、息が止まりそうな程驚いて嫉妬した。ノエルはリスベットが愛しくて、シドに渡したくないと強く思った。


 その嫉妬と独占欲を悪魔に気取られたため、取り憑かれることとなったのだ。

 ノエルは悪魔が少しずつ入り込んでいることに気付けなかった。仕事に忙殺されて疲れていたこともあるが、リスベットのこととなると盲目気味になっていて、感情を制御するのが難しくなっていたからだ。


 悪魔が言った通りだった。

 ノエルの弱点はリスベットだったのだ。


 リスベットは切り替わる過去の映像を見て、涙が溢れて止まらなかった。


「ノエル……あなたの気持ちはよく分かった。だから、今のノエルに会わせてちょうだい」


 リスベットが静かに言い放つと、視界が歪んで眩い光が辺りを包み込んだ。ゆっくりと目を閉じて、優しく微笑むノエルを脳裏に思い浮かべて涙を拭った。



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