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助け舟 2



 グラッドストン家のタウンハウスに来るのはこれが初めてであったが、東部に滞在していた時の顔見知りの使用人達は、リスベットに気付くと久しぶりの再会を喜んでくれた。東部の使用人達は陽気な者が多いので、リスベットは彼らを気に入っていた。


 またヴェロニカもグラッドストン家に来るのは久しぶりのようで、こちらはだだっ広い屋敷を歩いて移動するだけで、大汗をかいて文句を言っていた。


「なんだって貴族はこう家を広く作るのかしらね」


「フィンチ卿も貴族ではありませんか」


「私は弱小貴族の出だからね。それに私の家は大きくないから」


 小言を呟きながら、長い廊下の先の客間に通された。

 ベテラン侍女が紅茶を入れている間に、グラッドストン侯爵夫妻とダリアがやって来た。


「久しぶりだね。ヴェロニカ。そしてリスベット」


 満面の笑顔でハグをしたのは、現グラッドストン侯爵のショーンだ。癖のある赤毛に、緑の目をしたダンディな口髭が特徴の、大柄な男である。


 続いて頬にキスしてきたのは、夫人のペトゥラだ。豊かなストレートの赤毛と赤茶色の目をした、浅黒い肌の妖艶な雰囲気の女性である。夫人は先住民族の出であり、ダリアによく似た美人だ。


 数日ぶりに会うダリアも、リスベットを抱きしめて挨拶を交わした。それが終わる頃には紅茶が用意され、東部の名物のマドレーヌがテーブルに並べられた。

 普段ならば喜んで手を伸ばしているところだが、今はそれどころではない。リスベットは真剣な面持ちで口を開いた。


「忙しいところ急に訪ねてきて申し訳ありません」


「急用だというが、どうしたのかね?」


 早速悪魔の絵画について一連の経緯を説明すると、火の神の力を貸して欲しいと率直に頼んだ。

 それを聞いたショーンは、困ったようにペトゥラやダリアと顔を見合わせた。


「リスベット……。君の気持ちは分かるが、火の神の守護は東部の信心深い民にしか与えられないんだ。外部から来た人間がいきなり力を貸せと言ったところで貸してくれるとは思えない」


「では、グラッドストン侯爵が頼んだら聞いてくださると思いますか?」


「リスベット……」


 返答に窮したショーンは、困ったように頬をかいた。先程までの歓迎ムードは消え去り、重苦しい雰囲気が漂いはじめる。そこでダリアが口を開いた。


「あのねリスベット……火の神はそこまで寛大な心の持ち主ではないのよ。悪魔を祓えと言われて、はい分かりましたと素直に聞くような神様ではないわ」


「それでも悪魔を祓って欲しいのよ」


「そもそもどうやって?」


「火の神は枯四山に住んでいるので、火口から悪魔を投げ入れて、マグマで焼き殺してもらうわ」


「あ、あなた……中々残酷なことを思い付くわね」


 ペトゥラはこの提案に引いていたが、リスベットは構わず続けた。


「火の神ならば悪魔を祓えると思うんです」


「……かもしれないわね。だけど、もう一度言うけど火の神は先住民族や信心深い民にしか……」


 分かってるとリスベットはダリアの言葉を遮った。


「分かってるけど、どうしても悪魔を祓いたいのよ」


「私に火の神と交渉しろと言いたいのね?」


「そうよ。お願い出来る?」


 ダリアは黙り込んだ。どうやってリスベットを説得したらいいのか考えているのが分かって、リスベットは奥歯を噛み締めた。


「東部に面倒事を持ち込んで欲しくない?東部の民には悪魔なんて関係ないと思ってる?」


 リスベットは思わず喧嘩腰になってしまった。それを聞いたダリアの目がぴくりと釣り上がった。


「そうではないわ……。リスベットは知らないのよ。火の神が東部の民達に庇護を与えてくれるのは、民達の日頃の信仰があってこそなのよ。そこに何の信仰もしてこなかった魔女が突然現れて悪魔を祓えと要求しても、聞き入れてくれるとは思えない。私が頼んだとしても結果は同じだと思うわ。火の神は私がリスベットに頼まれたから交渉していると、すぐに見抜いてしまうわよ」


「太陽神でも手に負えない悪魔をこちらに押し付けたとて、火の神は応えてくれないだろう」


「……太陽神は下界に干渉しないそうです。火の神も信仰の厚いものでないと助けてくれないのですか?」


「厳しいようだが、そうなるな……」


 ショーンが苦い顔をして言った。それを聞いたリスベットは、今度はダリアを真っ向から見た。


「では、ダリアは?」


「え……?」


「ダリアは友達が困っている時に助けてくれないの?」


 リスベットに問われて、ダリアは驚きのあまり言葉が出てこないようだった。リスベットは一同を見渡した。


「もう一度説明しますと、このまま悪魔を祓わなければ、また同じようなことが起きるかもしれません。無事に封じ込めたとしても、何年後かにルベライトから逃げ出した悪魔が、今度は千楼渓谷から侵入して、信仰心のない東部の民を殺して回るかもしれません」


「そんな脅しのようなことを言われても……」


 ショーンは苦笑混じりに言った。リスベットは首を横に振った。


「脅し?まさか自分達は関係ないとお思いですか?事はすでにルベライトとスピネル両国全体の問題になってるんですよ!もしも、このまま悪魔を祓わずにルベライトへ帰すことになったとして、途中で悪魔に逃げられたら?そのままノエルの肉体が悪魔に乗っ取られてしまったら?!それこそ取り返しがつかないんです!!」


「リスベット。落ち着きなさい」


 ヴェロニカがやんわりと止めたが、リスベットは止まらなかった。


「落ち着いてなんかいられません!私はノエルを取り戻したいんです!あの強力な悪魔を封じ込めることになったとしても、レーツェンが犠牲にならなくちゃならないんですよ?!どうしてこれで落ち着けるんですか?!」


「リスベット……」


「悪魔を封じ込めるために人が死ぬんです!それを知ってなんの対策もせずにいられますか?!悪魔を祓えたら、誰も死ななくて済むのに!」


 ダリアがリスベットに手を伸ばした。リスベットはその手を静かに見下ろした。リスベットはじわじわと涙が滲み出るのを止められなかった。


「私は……誰も悪魔に奪われたくない。無茶なお願いをしているのかもしれない。だけど、何もしないうちに出来ないなんて……そんなこと、ダリア、あなたが言わないでよ……」


 リスベットが必死で涙を飲み込む様を見て、ダリアは手を降ろした。


「あなたはやってもみないうちに諦めて、投げ出すような魔女だった?千楼渓谷を護るためならば、男にならなくても戦争に参加していたと言ったあなたは、勇敢だったじゃないの!」


「リスベット……」


「お願い……ダリア。力を貸してちょうだい。私はなんとしても、あの悪魔を祓いたいの。私からも火の神にお願いしてみるから、どうか手を貸して……!」


 リスベットは勢いよく頭を下げて頼み込んだ。隣でやれやれとヴェロニカがため息交じりに言った。


「私からもお願いするわ。リスベットの言う通り無茶は承知だけど、あの強力な悪魔は今退治しないと後で何が起きるか分からない。それこそリスベットの言うように、東部に被害が出る可能性はないとは言えないのよ」


「ヴェロニカ……」


 困り果てたショーンがぐしゃぐしゃに頭をかき回した。その隣でダリアは長いため息を吐いた。


「ダメね……」


「ダリア……」


 恐る恐る顔を上げたリスベットに、ダリアは笑ってみせた。


「親友に頭を下げさせるなんて、私はだめな女ね。……リスベットあなたに協力するわ。火の神を説得してみる」


「ダリア!しかし……!」


「お父様。私この歳まで独身を貫いて、男になってまで戦争に参加して領地を守ってきたのよ。信仰心だって誰よりも厚いし、生まれた時から火の神を崇めてきたのよ。こんな真面目な信者の頼みなら、火の神も聞いてくれるんじゃないかしら?」


「し、しかし……」


 狼狽えるショーンを安心させるように、ダリアは微笑んだ。


「私達グラッドストン家はご先祖様含めて火の神に長年尽くしてきたと思うわ。だから、たまの我儘ならば許されると思うのよ。そうでしょ?」


 ショーンとペトゥラは顔を見合わせて、諦めたように苦笑した。


「……娘の親友の頼みだものな。ここで断ったらそれこそ火の神が怒り出すかもしれないわね」


「火の神は曲がったことが大嫌いですものね」


「それじゃあ……」


 リスベットの顔がぱっと明るくなった。


「だけどリスベット、説得するつもりでいるけれど、こればかりはやってみないとどうなるか分からないわ。それだけは覚悟して、もしダメだった時の対処法も考えておいて欲しいのよ」


「分かったわ」


「ダメな時はそのまま北上して千楼渓谷からルベライト入りすればいい。そのつもりの旅の支度を早々に済ませないとね」


「事は早いほうがいいんでしょ?ならばリスベットと私は先に現地に飛んだほうがいいわね。リスベット、今日にでも飛べる?」


「大丈夫よ」


「とはいえ支度が必要でしょ。二時間後にまたここに来て」


 分かったと言うなり、リスベットとダリアは立ち上がった。


「ならば私は王宮に戻って後から追いかけるから、何かあればすぐに鳥を飛ばしなさい」


「分かりました」


 リスベットは早々に退室すると、グラッドストン邸宅の庭を借りてマルコーシスを呼び出すと、急いで自宅へと向かった。



 自宅へと戻って支度をしていると、マルコがくーんと小さく鳴く声が聞こえてきた。いつものワフワフ声でも吠える声でもないので、不思議に思いながら荷物を抱えて出てみると、そこにはメアリーがいた。

 メアリーは尾を振るマルコを困ったように見つめていたが、リスベットに気付くと駆け寄ってきた。


「あの!ノエルはどうなったんですか?!」


「事情は聞いてるの?」


「簡単な説明なら受けましたが……未だ意識はないと聞いていて。心配で、様子が知りたくて来てしまいました」


 リスベットは胸が熱くなった。メアリーもノエルが心配で、いてもたってもいられなくなって来てしまったのだろう。

 リスベットにはそんなメアリーの気持ちが、痛い程よく分かった。メアリーも本気でノエルが好きなのだ。だからこそ分かる。


 リスベットはメアリーの肩に手を置いて頷いてみせた。


「大丈夫。ノエルは必ず取り戻すから」


「本当に大丈夫なんですよね?」


「任せておいて。次に会う時は元のノエルに戻っているから」


 リスベットはマルコを魔物へと変じると、荷物をくくりつけながら言った。


「だからあなたは、ノエルが帰って来た時のために、気持ちをしっかり持って待っていて」


 メアリーはぐっと唇を噛むと頷いた。リスベットはそっとメアリーの背中を叩くと、マルコーシスの背に乗った。


「ノエルをお願いします!」


「任せておいて。ああ、だけど……」


 リスベットはマルコーシスを飛翔させると、いたずらっぽく笑った。


「ノエルはあなたには渡さないわよ」


「なっ……!」


 メアリーの目が丸くなった。リスベットは手を上げて空へと舞い上がると、グラッドストン邸宅へ目指して全速力で空を駆けた。



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