悪魔の囁き 1
見て!シド卿とラザフォード家の長女が踊るみたい!あの二人って元婚約者同士なんでしょう?よりが戻ったのかしら?
ノエルは興味津々の貴族の会話を聞いて、息が止まるかと思った。ホールを見やれば、シドがリスベットに手を差し出していた。
ノエルはその時だけ警備中だということを忘れて、リスベットの姿を凝視した。
シドの手をリスベットが取り、その細い腰にシドが手を回すと身体が密着し、二人は流れるようにダンスを始めた。
まるでブランクを感じさせない軽やかな動きをするリスベットを、シドが上手にリードしている。優雅で華やかで、二人は周囲の視線を独占していた。
あらお似合いの二人ね。シド卿は素敵だし、ラザフォードの長女も平民だったはずなのに、姿勢が綺麗で堂々としてるわね。上手に踊るのね。息ぴったりじゃない?
ノエルは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。ぎりぎりと歯を食いしばって二人の姿を目で追う。
シドとリスベットは踊りながら会話しているようだった。リスベットの表情がころころと変わるのを見ていると、二人は気安い仲だったのではと思わされる。
シドの手で誘導されるように綺麗にターンし、難しいステップを難なくこなす二人を見ていると、ノエルの胸がきりきりと痛んだ。
踊るリスベットは昔も今も綺麗だった。しかし相手はいつでもシドなのだ。今互いの目にはリスベットとシドしか映っていないだろう。その事実がノエルを苦しめた。
ねえ聞いた?シド卿って離婚したそうよ。本当?どうして?理由は知らないけど、あの二人が再婚することも出来るのよね。
それを聞いたノエルは視線をなんとか引き剥がすと、警備に集中するように努めた。やがて演奏が終わると、ホールから拍手喝采が沸き起こった。それがリスベットとシドに送られたものであるのは間違いない。
ノエルも相手がジョージであったなら、間違いなく拍手をしていたことだろう。ノエルはその場から微動だにせず、陛下の後方から周囲を見渡した。
「さすがラザフォード家のご令嬢。とても上手に踊る。シュトックマー家とラザフォード家の仲が良好だと知らしめるには、彼女を招待するのが一番だった。こんな風に噂を払拭してくれたならば、今度から両家を同じ夜会に堂々と招待出来る。周囲の貴族も気を配ることがなくなってよかろう」
なるほどそういうことか。ジェフリーのまるで言い訳めいた独り言を聞いて、内心舌を打った。それが聞こえたかのように、ジェフリーがノエルの方へと振り返った。どうやら今のはノエルに向けたものだったらしい。ノエルは無表情にジェフリーを見返した。
「彼女はラザフォード家を出て魔女として生きております。貴族間の揉め事に彼女を巻き込むような真似は、今後は止めてくださいませんか。彼女は本来このような場所に出席することを苦手としております。会場入りしてからずっと顔色が悪いのにお気づきではありませんか?あまり無理をさせないでください。今後またこのようなことがありましたら、私は今の身分を捨てる所存です」
まさかそんな言葉が返ってくるとは思っていなかったのだろう。ジェフリーは言葉を失い、イザベラも、ノエルの隣に控えていたロバートもひやひやしている。
「言葉が過ぎました。ですが、今の発言を撤回するつもりはございません」
ピシャリと言い放ったノエルに、ジェフリーはトーンを落としてそうかと呟いた。
「それは私達のお節介が過ぎたな……。これはヨーク殿に悪いことをしてしまった。今度会った時にきちんと詫びを入れねばな。キーティング卿にも、悪いことをしてしまった」
「私に謝罪は結構です。さあ、今は舞踏会の最中ですので、そちらに集中してください」
「分かった……」
心なしかしょんぼりしたジェフリーはホールへと向き直ると、王の仮面をきっちりと被って舞踏会が終わるまで演じきった。
ノエルは舞踏会が終わると、激しい疲れを覚えてエドガーの所へ向かった。連日仕事で疲れが溜まっていたので、エドガーに治癒術で疲れを取ってもらおうと思ったのだ。
エドガーはノエルが訪ねてくるなり、明らかに動揺した様子で出迎えた。何かあったのかと追求すると、リスベットが倒れたことを白状した。
どうやらリスベットの顔色が悪かったのも、寝不足で疲れが溜まっていたかららしいのだが、ノエルは心配でいてもたってもいられなくなった。
エドガーは更に、リスベットを運んだのはシドであることを教えてくれた。ノエルは無意識に唇を噛み、拳が白くなるほど握った。それを見たエドガーは慌ててノエルの治療をし始めたが、治療を終えて身体がスッキリしても、ノエルの気分は重たいままだった。
「先輩がもし後妻に入ったら……」
「あの人がそんなタイプに見えるか?一人でのびのびしてる人が貴族の後妻になんかなるかよ。もっと信用したらどうだ?それに、自分の気持ちをきちんと伝えてない奴が、誰と再婚しようが文句は言えないんだぞ」
「行動で示してるつもりなんだが……」
「言わなきゃ分からないことのほうが多いぞ」
「……そうだな。仕事が一段落ついたら、きちんと伝えるつもりだ」
「そうしろ。全く回りくどい。いつまでやってんだか」
呆れたエドガーに部屋を追い出されたノエルは、自室へと戻ると風呂に入って何も食べずに眠りについた。
早朝。朝日が登り始めた頃にリスベットを訪ねた。山を降りてきたリスベットの顔色はよかった。ホッとしたノエルは、その勢いのまま昨夜の舞踏会の出来事を言及した。
リスベットはつらつらと言い訳を並べていたが、そのどれもが真実であることは分かっていた。分かっていたが、胸に抱いた不安を消せなかった。むしろ、シドがリスベットを後妻にするつもりがあることを知り、動揺して何も言えなくなった。
リスベットは否定してくれたが、それでも不安だった。リスベットの気持ちが見えない。だから名前を呼ぶことを強要し、それに従ってくれたリスベットを思い切り抱きしめた。
愛しい。ただリスベットが愛しい。
今の仕事を終えて落ち着いたら、きちんと自分の口から気持ちを伝えよう。
その日、ノエルは西宮の客室へと呼び出された。呼ばれたのはヴェロニカとノエル、ロバート、そして真っ白な制服に身を包んだ、宮内神官長ハリエット・ウィンスレットだった。
ハリエットは女性初の神官長である。
背中まで伸びた豊かな淡色の金髪は波打ち、目は金に近い茶色。鼻筋が通っていて背が高く、中性的な外見をしている。歳の頃は三十代後半で、スピネル随一の悪魔祓いでもある。
ハリエットが呼び出されたということは、悪魔の絵画について進展があったのかもしれない。
最後に客室へとやって来たのは、ミカエルとレーツェンに、東宮でレーツェンの迎えに来た侍女だった。
「待たせて申し訳ありません。皆さん座ってください」
一同が席に着くと、ミカエルが早速話を切り出した。
「悪魔の絵画について、皆さんと情報を共有するためにお呼びしました。グリン団長お願いします」
ロバートはぴしりと敬礼した。
「昨夜の舞踏会で、部下が今週末に闇市が開かれるとの情報を入手してきました。部下によると、会場は中央が五大侯爵ウィルバーホース邸。その夜は仮面舞踏会が開催予定ですが、それと平行して地下の会場にて闇市が開かれるそうです」
中央のウィルバーホースといえば、五大侯爵の中でもトップの権力を有している。常に王族寄りで、何度か王族へ嫁がせている名家である。
ヴェロニカはやっぱりねと吐き捨てた。
「あの家は表向き真っ白だから怪しいと思ってたのよね」
「それでその闇市に悪魔の絵画が出展される予定なのか?」
「まだ裏取りはしておりませんが、ウィルバーホース家が新規の美術商を雇ったという噂を耳にしました。陰気な雰囲気の青白い幽霊みたいな男が、屋敷を出入りしていたそうです」
ノエルは眉根を寄せた。
「それって……絵画を持ち出した賊か?」
「賊だとしたら、絵画の悪魔に取り憑かれてるのかもしれませんね」
冷静に言ったのはハリエットだった。
「悪魔に精神を害された者は、目が虚ろになり顔色が悪くなり、やがては幻覚を見るようになって、まともに話すことも出来なくなります。そして完全に支配された者は、悪魔に精神を乗っ取られてしまう。賊はまだ乗っ取られてはいないのかもしれませんが、このまま放っておいたら危ないですね」
「乗っ取られる前に血を吸われて殺されてしまいます。聴取を取るためにも生きて捕まえたいところです」
レーツェンが考え込むように言った。
「それで、どうするつもりですか?夜会に乗り込むのですか?」
ハリエットが聞くと、ロバートが答えた。
「大量の兵士を連れて行けば気付かれる恐れがあります。ここは仮面舞踏会に出席するふりをして、少数精鋭で潜り込みます。そこで悪魔の絵画と賊を確認次第、抑えます」
「何人必要なの?」
「第一騎士団とキーティング卿、それにウィンスレット卿にもお願いしたいのですが」
「分かりました」
「私も同行致します」
レーツェンが言ったので、一同は思わずミカエルを見やった。ミカエルは微笑んだ。
「レーツェンも連れて行ってください。絵画の悪魔は強力です。念には念を入れたほうがいいでしょう」
「では、ご同行をお願い致します」
「招待客を装って夜会に出るならば、それぞれパートナーが必要じゃないかな?そこは大丈夫なのかな?」
ミカエルが尋ねると、ハリエットが手を上げた。
「私はロバート殿と一緒に会場入りしましょう」
ハリエットはロバートに微笑むと、ロバートはありがたいとにこやかに返した。
「私は侍女のシエナがおりますので、彼女に同行してもらいます」
それを聞いた侍女は、レーツェンを一瞥しただけで何も言わずに視線を逸らした。レーツェンは同行してくれるみたいですと笑っていたが、そうは見えない。
「それで、キーティング卿は?」
「私は……」
「リスベットに頼んでみたらどう?ダグラス卿によると、彼女は北部にいる頃は悪魔祓いをして生計を立てていた時期もあるそうよ。心強いじゃない」
「リスベット・ヨーク殿が?」
レーツェンが目を輝かせたのを見て、ノエルは首を振った。
「彼女を巻き込みたくありません。私は屋敷の使用人として単独で忍び込んでみます」
「あらそう?」
「はい。第一騎士団の騎士達も使用人に扮して潜り込めるか探ってみましょう」
今日の会議はそれでお開きとなった。ノエルはロバートと計画を練りながら赤凰棟へと向かった。
「でも、ヨーク先輩に協力してもらわなくて本当に良かったのか?」
ロバートに聞かれて、ノエルは固く頷いた。
「先輩にはもう二度と邪竜の時のような目にはあって欲しくない。危険なことには巻き込みたくないんだ」
「そうか……」
それに、ノエルはレーツェンとリスベットを会わせたくない気持ちもあった。レーツェンにとってはリスベットはただの恩人だとしても、リスベットがレーツェンの背を撫でていた姿を思い出しただけで、胸がざわついてしまうのだ。
ノエルは知らなかった。
こんなにも自分が独占欲が強いことを。そして、こんな風にリスベットを想って不安になることも。そして、それが嫉妬という感情だということも。この時はまだ知らなかった。




