王女の契約 4
呪いが解けたシャーロットは、その日は怖くて眠れなかった。眠ればあの悪夢を見るような気がしたからだ。
夜は眠れず、昼間にエマに手を握ってもらいながら、うとうとしては起きてを繰り返す。浅い眠りしか取れないから、当然寝不足で目の下には隈が出来た。
その様子を見て心配した王妃イザベラは、医者や治癒師達を呼んでシャーロットを診てもらったが、シャーロットの不眠は治らなかった。
そこで困ったイザベラは、サイモンに相談した。サイモンは、リスベットにアフターケアを頼んでみてはどうかと提案した。
「ヨーク君には家の修繕の件で話もあるでしょうし、王宮に来てもらうには丁度いいのではないですか?殿下もお礼をしたいでしょう。会ってみて信用が出来ると思ったら、相談に乗ってもらってはいかがでしょうか?」
シャーロットは呪いを解いてくれた魔女に自分の口からお礼を言いたかったので、サイモンの提案に乗った。
その日の丁度お茶の時間に、リスベットはやって来た。
シャーロットは客室に入って来たリスベットを見るなり驚いた。
リスベットは生成り色のシャツを着て、茶色のコルセットにスカートを履き、上から黒いローブを羽織っていた。
しかしシャーロットの目を引いたのは服装ではなく、リスベットの漆黒の髪と瞳だった。シャーロットは純粋な黒い髪と瞳をした人間に会うのは初めてのことだった。まるで童話の中の魔女のようだと思った。
「あなたが私の命の恩人なのね?」
頭を下げていたリスベットが顔を上げた。
まっすぐにこちらを見据える黒い瞳には、意思の強さが伺える。しかし微笑むと目尻に皺が寄り、ぐっと優しげな顔になった。
「お初にお目にかかります。魔法使いのリスベット・ヨークと申します。殿下の解呪に一役買わせて頂きましたこと、誠に光栄に思います」
「とんでもないわ。こちらこそ心からのお礼を申し上げます。私の命を救ってくださりありがとうございました。感謝してもしきれませんわ」
シャーロットが頭を下げると、リスベットはとんでもございませんと明るい声で答えた。その声は、間違いなくあの悪夢の中から救い出してくれた時に聞いた声だった。聞いただけで安心出来る声。シャーロットはリスベットのことをもっと知りたくなった。
「これは公式の場ではありませんので、そう硬くならなくて結構ですわ。それに少しお話ししてみたいの。……二人きりにして頂いてもよろしいかしら?」
侍従達が部屋を後にして二人だけになると、二人は腰を下ろした。シャーロットが紅茶を勧めると、リスベットはカップを手に取って口を付けた。シャーロットもカップを手に取って、さりげなくリスベットの様子を伺った。
魔法使いと聞いたが、リスベットの紅茶を飲む仕草は中々堂に入っている。挨拶もきちんとしていたのを見ると、とても平民とは思えない。
「確か魔法使いと伺いましたが、平民の方なのですか?」
「ええ。そうですよ」
それにしては所作や振る舞いは、一定の教育を受けた貴族のようだ。呪いのせいで忘れていたシャーロットの好奇心が、むくむくと湧き上がってきた。
「ところで、殿下は夜眠れていない様子だとか。眠らないと体調を崩してしまいますよ」
シャーロットは自分の状態を思い出して、少し恥ずかしくなった。
「そうなんですの」
「何か不安なことがおありですか?」
問われると、シャーロットは迷った。
王女である以上、弱みを他者に見せてはいけない。いつも気丈に振る舞わなければならない。そう教えられてきた。だからここで、リスベットに弱音を吐くことに躊躇してしまう。
「不安なことがあれば話してください。ここには私と殿下しかいませんから」
「そうだけど……」
「それに私は赤の他人です。知っている者よりも、何も知らない者に吐き出したほうが、殿下も気が楽ではありませんか?」
確かにリスベットの言う通りかもしれない。それに、シャーロットは直感的に、この魔女なら信用出来ると思った。
「それもそうね……。それでは、今から話すことはここだけの話しにしてちょうだい」
「かしこまりました」
シャーロットは何から話そうか少しの間考え、恐る恐る口を開いた。
「私、眠るとあの日の夢を見るような気がして、怖いんですの。それに、あの二人のことを考えるともう、眠れなくて。私、初めて人に妬まれて殺意を向けられました。リリー様があんな風に私を見ていただなんて、思ってもみなかったんです」
シャーロットは暗闇の中で聞いた、リリーの呪詛のような言葉を思い出して震えた。
「私は王女ですから、表面では綺麗な仮面をかぶり、腹には妬み嫉みを抱えた貴族間のやりとりには慣れていると思っていました。けれど、実際に自分が呪われてみると怖くて仕方がなくて……また同じような事があるんじゃないかと思うと、不安で……」
シャーロットは震える手を握り合わせた。
「けれど、私は王女です。王族として弱い姿は見せられません」
「そうですね」
リスベットは頷いて、まっすぐにシャーロットを見据えた。シャーロットはその眼差しに一瞬怯んだ。
それは、静かで温かい。けれど、視線を外すことが出来ないほど力強いものだった。
「殿下は初めて妬まれたとおっしゃいましたが、本当にそう思われますか?」
「え……?」
シャーロットは目を丸くした。
「殿下は美しく利発で、貴族からも国民からも人気のある誰もが憧れる存在です。……そんな方を羨ましいと妬む者がいないと思われますか?」
「それは……」
「人は自分と誰かを比べてしまうものです。リリー嬢も同様に、あなたを羨みそして憎んだ。恐れながら殿下は人を憎んだことはありますか?」
「そんな……!ないわ!」
「では妬んだことは?」
「ない、と思うわ……」
「そうですか。殿下は素直でいらっしゃる。でも殿下とは反対に、自分よりも綺麗な人を見れば羨み、自分の好きな人が好きになった相手に嫉妬を抱く者もいます。それは悪いことではありません。自然な感情なんです」
シャーロットは黙って頷いた。
「殿下は誰もが憧れると同時に、嫉妬の対象でもあります。それはこの先もずっと変わらないでしょう。人から嫌われることは確かに怖い。ですが、この世に誰からも好かれている人なんて果たしているでしょうか?誰かを嫌い、嫌われ、憎しみ、憎まれる。それを怖いと思うのもまた自然なことです」
「そう、なのかもしれないわ……」
「ですが、恐れることはありません。殿下は堂々としていればいいのです」
「堂々と……?」
「そうです。妬まれ悪口を言われたら、褒めてくださってありがとう!お気遣い嬉しいわ!と笑顔で一蹴してやればいいのです!」
シャーロットはポカンと口を開けた。リスベットはにこりと微笑む。
「殿下。またいつ今回のようなことがあるか分かりません。でも殿下は気高く美しく、そして図太く生きていけばいいのです!女は毒を吸って毒を吐いて生きていくもの!そうして誰よりも強く賢く、ちょっと図々しく、そして優しくなってください。殿下ならば出来ますし、周囲の者が必ず守ってくださいます。安心してください。それでも怖かったら、泣いて怖がって甘えればいいのです。なんせ殿下はまだ十三歳の子供なんですから」
リスベットの飾り気のない突飛なアドバイスは、ただただシャーロットを驚かせた。
この魔女は変だ。礼儀正しいと思っていたら突然言葉遣いは荒っぽくなるし、そもそも王女にするアドバイスではない。泣いて怖がって甘えろだなんて、家庭教師達が知ったらきっと驚くだろう。
それなのにシャーロットは、安心して少し肩の荷が下りた。自分はまだ子供なんだと思い出すことが出来た。
変な魔女。けれど、不思議な安心感を与えてくれる。
「私……そんなに強くなれるかしら?」
「殿下はすでに強い女性です。これからもっともっと強くなりますよ」
「魔法使いだから分かるの?」
「いいえ。女の勘です」
シャーロットは思わず吹き出した。くすくすと笑いが漏れる。シャーロットは、呪われてから初めて笑うことが出来た。
「そうね。こんな事で怖がってる場合ではないわね」
「大丈夫です。皆が助けてくださいますよ。……それから、これをさしあげますね」
リスベットがシャーロットに渡したのは、紫色のラベンダーの花が刺繍された、手の中に収まる程の小さな布袋だった。
「これは?」
「匂い袋ですよ。中にはラベンダーと香木を月の光に照らして干したポプリと、リラックス効果のあるオイルが入っています」
匂い袋を鼻に近付けてみると、ふわりといい香りがした。ラベンダーの優しい香りと、木の芳ばしい落ち着いた香りに、なんだか安心した。
「それには、おまじないをかけておきました」
「どんな魔術を?」
「魔術じゃありません。おまじないです。子供がやるような」
「これは魔道具ではないのね?」
「違いますよ。ただ、殿下がぐっすりと眠って、いい夢を見られますようにと願っておきました。きっと今日はいい夢を見ることが出来ます」
「いい香りね」
シャーロットは笑顔になった。リスベットが言うなら今日はぐっすり眠れる気がした。
「殿下は今、傷付けられて怪我をしているような状態です。しばらく周りの者に甘えてゆっくりしてください。……そうだ。いいおまじないを唱えて差し上げましょう」
「おまじない?それも魔術ではないの?」
「単なるおまじないです」
リスベットはシャーロットの手に自身の手を重ねた。カサついて豆が出来ているけれど、温かい手の温もりが伝わってきた。
「いたいの、いたいのーー!」
シャーロットの手の甲をさらりと撫でたと思うと、リスベットは何かを払うように手のひらを天井に向かって突き上げて、明朗な声を上げた。
「とんでいけー!」
シャーロットは再び目を丸くした。
「それは……何ですの?」
「痛がる子供にするおまじないです。なんだかちょっと治った気がしませんか?」
「よく分からないけれど、少し元気が出た気がするわ。不思議なおまじないね」
「遠い遠い国のおまじないです。誰かが怪我をして痛がっていたら、今度は殿下が唱えてあげてくださいね」
「わかったわ。任せてちょうだい」
二人は顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。明るい笑いで部屋が満たされ、シャーロットはもう自分は大丈夫だと確信した。
その夜、シャーロットは朝まで起きることなくぐっすりと眠れることが出来た。相変わらず夢の内容は覚えていなかったけれど、いい夢を見たという感覚はあった。
それからシャーロットは、少しずつ本来の自分を取り戻していった。好奇心旺盛で少々気が強くて、活発なちょっと生意気な王女に。
そして呪いの事件から五日後には、シャーロットは侍従達を連れて、リスベットの家の下見に行くまでに元気を取り戻していた。
そして、リスベットの家を見て絶句した後、決意するのだ。
「これは一度取り壊して建て直した方が早いわね。一流の職人を今すぐ集めて頂戴!私の命を救ってくださった魔女に、快適な家を作るのよ!」




