婚約者の心得 1
シャーロットが学園から帰って来ると、馬車を降りた所で制服姿のミカエルが待っていたように姿を現した。ミカエルの傍にはルベライトから同行してきた侍従の姿もあった。
背が高い侍従は、短く刈り込んだ白に近い金髪に、目は青に瞳孔は藍色。優しげな雰囲気を纏った二十代半ばの男だ。侍従はにこりと微笑むと、恭しくシャーロットに頭を下げた。
「ミカエル様。どうなさったのですか?」
「少しお話出来ないかと思ってね。西宮のサロンでお茶でもどうかな?」
「かしこまりました。行きましょうか」
シャーロットはアデラと供にミカエルに連れられてサロンへと向かった。
ミカエルは現在西宮の客室に滞在していた。
連れられて来た小さなサロンは、客人が自由に使用出来るように常に開放されている。ミカエルは慣れたようにベランダに近い席へとシャーロットを案内した。
サロンの大きな窓越しに西の庭園が見えた。西の庭園は低木が迷路のように植えられて綺麗に刈り込まれ、幾何学模様を作っている。
シャーロットは昔ここでよくレオポルド達と一緒に探検したことを思い出した。
「うちの侍従も控えているけどいいかな?」
「大丈夫です。アデラも控えさせて頂きますわね。念のために侍従も呼んでよろしいですか?」
「もちろんだよ」
まだ十四歳といえど、男女が個室で二人きりになることは控えなければならない。お茶は西宮の侍女が入れてくれて、後からジャンも合流した。
「今日は先日の話をしたくてね。婚約者候補が誰だか分かったかな?」
「ええ……その、はい……」
歯切れの悪いシャーロットに、ミカエルは苦笑すると話を切り出した。
「今回の話はそっちじゃなくて、私がスピネルに留学することになったもう一つの理由のほうなんだけど。……この話はまだ他言無用でお願いしたいんだ」
「もちろんですわ。アデラも口が堅いのでご安心を」
「防音魔術を施しましょうか……」
アデラが気を利かせてくれたのでお願いすると、アデラは手を上げて何か小声で呟いた。すると腕にはめた白い皮の腕輪が鈍く光った。それで防音魔術は終わったようだった。
「では本題なのだけど、私がここに来たのはある絵画を追って来たからなんだ」
「絵画……?」
「ルベライトの教会に厳重に保管されていた絵画が賊に盗まれたんだ。賊が国境の月柱渓谷を抜けてスピネルに逃走したことが分かるなり、すぐにこちらに連絡を入れて追ったんだけど……」
「見付かっていないのですか?」
ミカエルは真剣な表情で頷いた。
「月柱渓谷を抜けた先のシュトックマー領の森で、賊の使った荷馬車が見付かったんだが、六人いるとされている賊五人の死亡がそこで確認された」
「魔物に襲われたのですか?シュトックマー領は魔物の出没率はスピネル随一ですし」
「……恐らく違うんだ。死亡した賊は全員、体内の血液を全て抜かれたミイラのような状態で見付かったから」
シャーロットはそれを聞いて鳥肌が立つのが分かった。血を抜かれたとは、普通の死に方ではない。
「盗まれた絵画と逃げた一人の賊の行方は未だに掴めていない。私は逃げた賊を捕まえて絵画を取り戻すためにスピネルに来たんだ。調査に入るにはスピネル側の協力は絶対条件だし、本国とすぐに連絡が取れてスピネルと直接交渉が出来る者となると、王族の誰かが一番だ。そこで丁度私がスピネルに婿入り出来ないかという話も出ていたから、私に決まったんだ」
「そうだったのですか……それにしても、不可解ですわね」
シャーロットは無意識に腕を擦った。
「そう。スピネル側でも絵画の行方を追ってくれているんだけど……実は曰く付きの絵画でね。ルベライトでは悪魔に取り憑かれた絵として教会に封印されていたものなんだ。その封印が解かれて賊が持ち出した後に、あのような不可解な死を遂げてしまった」
「悪魔に取り憑かれた絵……」
「それは美青年が描かれているのだけど、その美青年は数百年前に大神官に絵画の中に封印された悪魔とされている。封印された後に何度か盗まれては、持ち主の魂と血液を吸い取り非業の死を与えてきたと言われている。長い間厳重に封印されてきたのだけど……」
「ということは、賊が死亡していたのは悪魔のせい……?」
「その可能性は高いね……。初めは私も半信半疑だったのだけど、賊の死に方を聞いたらそんな気がしてきた」
「恐ろしいですわ……逃げた賊が早く捕まればいいのですけど」
腕を擦り続けるシャーロットを見て、ミカエルは眉を下げた。
「本当に。このことは一部の者にしか話していないんだけど、シャーロット様に話したのは、後からこういう事情があって留学が決まったと知られるよりも、自分から話したかったからなんだ。でも……怖がらせてしまったならば謝るよ」
「そんな!私なら大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「まあ……半分はそんな理由があってこちらに来たのだけど、私が君との婚約を望んでいることは本心だから。それも知っておいて欲しかったんだ」
照れくさそうに微笑んだミカエルを見て、シャーロットの心臓が跳ねた。顔が熱くなる。
なんて天使のような笑顔。メリッサにも見てもらいたかったわ……。
「承知しました」
なんだか上手い言葉が見当たらなくてそれだけ言ったシャーロットに、ミカエルは良かったと嬉しそうに微笑んだ。その笑顔が眩しくて、シャーロットは目を細めた。
本当ならばいいのにと思う。
疑心暗鬼になっている今、ミカエルが本気で婚姻を望んでいるのか、まだ裏に何かあるのではないかという疑いが消えない。
けれど、もしもミカエルが本気でシャーロットとの婚姻を望んでスピネルに婿入りしてくれて、シャーロットのことを大切にしてくれるというその言葉に嘘がないのならば……こんなに嬉しいことはない。
だけど素直に喜べない。信じて期待した後で、エマのように手のひらを返されたらと思うと怖くて仕方がなかった。
シャーロットは複雑な感情を抱いたままミカエルと別れると、東宮へと戻った。
自室へと戻ってみると、侍女のサラから手紙を渡された。宛名を見るとなんとローワンからだった。シャーロットは読みたくないと思いつつも、手紙の封を切って仕方なく読んだ。
手紙には、まだ残暑が残るが体調を崩していないか。秋に入ると月が綺麗に見える。騎士科の授業内容がきつい。合同授業の日程について。来月の舞踏会を楽しみにしている、で締め括られていた。
「な、何が言いたいのよ……」
散文な手紙を思わずぐしゃりと握りしめる。シャーロットは手紙を燃やしたい衝動に駆られたが、なんとかそれを堪えてサラに渡した。
「これは……どうなさいますか?」
「燃や……いえ。どこかにしまっておいて」
そしてタイミングを見て捨てて。とは言わなかったが、察しのいいサラならばきっとそうしてくれるはずだ。
案の定サラは承知しましたと言って、雑な手付きで手紙をポケットにしまうと、部屋を後にした。
シャーロットは長いため息を吐いた。返事を書く気にはなれなかった。バレるまで受け取ってないふりをして過ごそうと決めた。
「私もリスベット先生みたいに一人で悠々自適な生活をしたいわ……」
もちろん無理なことは分かっているけれど、シャーロットは夕食までの間に、魔女になって一人で生活する自身を想像して過ごした。
夕食の時間になりサラに連れられてホールへとやって来ると、珍しくも両陛下と王子が全員揃っていた。
シャーロットがレオポルドの隣に座ると、料理が次々運ばれてきて食事が始まった。
レオポルドは邪竜の一件で一度は体調を崩したが、半月もしない内に元気を取り戻していた。医者から王宮への帰還を許されたのは一週間前。現在はまだ学園に通うまでに至っていないが、学業復帰する日もそう遠くはない。
レオポルドは以前は病人食のようなものしか食べられなかったのに、今ではシャーロットと同じくらいの食事量を食べることが出来るようになっていた。削げていた頬もふっくらとしてきて、健康的な肌の色に戻ってきた。
シャーロットはレオポルドが日に日に元気になっていくのを間近で見ることが出来て、嬉しくて仕方がない。
「レオポルドお兄様。今日はサーモンのソテーね。食べられる?」
「大丈夫。食べられるよ」
「レオポルドがこんなにも食べられるようになって、私も嬉しいよ」
レオポルドの向かい側に座るのは、第二王子のアルバート。
アルバートは長い金髪を後ろで一括りにした、イザベラに似た美しくも凛々しい青年だった。歳は十六歳でベリルへの留学を終えて、現在は外交官見習いとしてベリルに駐在しているのだが、来月の舞踏会のために一時帰国していた。
「ご心配をおかけしましたが、今ではすっかり元気になりました」
「これからは私のように強く逞しい男を目指さないとな」
上から目線の物言いをしたのは、第一王子のイアンだ。イアンのこのような言動には皆慣れたもので、さらっと受け流して食事を楽しんでいたのだが、イアンはふと思い出したようにシャーロットに言った。
「そういえばシャーロット。婚約者候補が出来たんだって?」
ピクリとシャーロットの眉が上がった。平静を保つのだと言い聞かせてはいと答えると、イアンは続ける。
「私の婚約者候補もいよいよ決まりそうなんだ。私は婚約者の選定が戦争で遅くなってしまったが、シャーロットは早めに婚約したほうがいい。……ねえ父上?」
「ん?ああ……そう、かな……」
ジェフリーはワインを飲みながら、ちらとシャーロットの顔色を伺った。シャーロットがじとりと見返すと、慌てて隣のイザベラに話しかけている。
イザベラも息を殺したようにサーモンを突付いて、二人がこの話題に触れたくないのが見え見えだった。
しかしイアンは空気が読めないので、そのままの調子で続ける。
「まあ私の婚約が正式に交わされたら、シャーロットもすぐにでも婚約するかもしれないな」
シャーロットは返事をしなかった。リゾットに夢中になっているふりをしてシカトした。イアンはシャーロットから返事がないので、今度はアルバートに話しかけた。
「……そういえばアルバート。お前はどうなんだ?留学先でいい相手はいなかったのか?」
「それなのですが……いました」
「えっ?!」
突然の発言に、一同は驚いて声を上げた。
頬を赤らめて目をキラキラとさせたアルバートは、グラスを置いて明後日の方向を見つめた。
「ベリルの伯爵令嬢なのですが、とても美しくて博識で。三年生の時に合同授業で一緒になってから目を離せなくなりまして……。実は卒業式で交際を申し込みましたら、了承を得ることが出来ました。彼女のご家族にもお会いして、あちらの両親は私を歓迎するとおっしゃってくれています。というわけで、正式に彼女と婚約したいと思っているのですが……」
「ちょっ待て待て……!何だそれは?そんな話は一言も聞いてないぞ?!」
ジェフリーは慌ててグラスを置いた。イザベラも目を剥いて驚いている。
「彼女を愛しているんです……!父上どうか彼女と結婚させてください……!」
そこからはアルバートの独壇場だった。
ベリルの伯爵令嬢についての説明から始まり、いかに自分達が愛し合っているか。そして二人が結婚することで両国の関係がより良くなること。どうせならば自分が彼女の家に婿入りしてもいいこと。もう二度と離れたくないが、舞踏会のために帰国したこと。早く彼女の元に帰りたい、等。
それを聞いたジェフリーは遠い目をして乾いた笑いを浮かべ、イザベラは頭を抱えており、レオポルドとイアンでさえも困惑していた。
第一王子は性格に難あり。
第二王子は恋愛脳。
第三王子は病弱気味。
誰がこの国を継ぐことになっても不安が残る。
シャーロットは呆れ半分心配半分で、この国の行く末を思ってため息を吐いた。




