青褪めた月 1
王都には六日間小雨が降り続いた。
その間邪竜が現れることはなかった。
リスベットは一度も山から下りることはなかった。食料はサミュエルに頼んで運んでもらい、帰りに薬品を運んでもらった。
魔道具は急ぎの物だけマットが持ってきてくれて、二日後に仕上がった物を取りに来てくれた。その時に食料も一緒に届てくれたので助かったが、これではまるで籠城犯だとマットに笑われてしまった。
グレアムにもマットにも事情を話してしばらくの間仕事はセーブするので、用事がない時は山に近付かないよう伝えた。すると二人はすんなり了解してくれたので助かった。
ノエルがダグラスと共にやって来たのは、雨が降り出してから三日後の昼前のことだった。
二人は結界を張りに来たという。マークが以前言っていたように、小山に邪竜を封じ込める作戦で準備を進めているらしい。
ちなみにマークは、あの後すぐに上とかけ合ってシャーロットの護衛に付いていくことが決まった。次の日から早速代わりの連絡係を連れて来て、第二騎士団所属の三十代のベテラン衛兵を紹介すると、準備があると言って帰って行った。
新しい連絡係の名前はピート・ブルース。
平民上がりの真面目で寡黙な男で、初日から雨の中薪を割ったり、用土等重い物を持ったりと、率先してリスベットの手伝いをしてくれた。
ピートは上からの命令で、半日はリスベットの家に滞在しなければいけないようだった。
外でただ立っているのも辛そうなので、家の中に入れてリスベットの仕事の手伝いをさせている。ピートもそちらの方が楽なようだ。
今日もピートは午前中にやって来て培養土の精製をしていったが、ダグラス達と入れ違いで帰って行ったところだった。
「新築を見るのは後にして、今は結界を張るのを手伝って欲しい」
ダグラスに言われて、リスベットも雨の中山を登ることになった。
リスベットは大魔導士ヘンリーが作った銀の杭を持たされた。それを山道に打ち込んでいくと、より強力な結界が敷けるらしい。見た目はまるで五寸釘だった。
リスベットは湖側から、ノエルは王宮側から、ダグラスは街の方の山道を登りながら、それぞれ結界を張った。
いくら小山といえど、雨の中杭を打ち込んで結界を張って登るのは、一苦労だった。
頂上に着いて三人集まると、今度はそれぞれ違う山道を下りながら結界を張った。ぬかるんだ山道を下るのは山道に慣れたリスベットでも大変だった。
全員が山を下りて家に戻って来たのは、三時を回った頃だった。最後にダグラスが家に戻って来ると、疲れた顔で腰を擦っていた。
「老人にこんなことをさせるとは……やれやれだの」
「確かに疲れましたね……」
「とりあえず休憩していって下さい。風呂も沸かしましょう。入っている間にお互いの服を乾かしてくださいね。その間に軽食を作りますから」
リスベットもまた濡れていたので、二階で服を着替えると、風呂を沸かして湯を張った。
まずはノエルに入ってもらい、脱いだ服はダグラスが魔術で乾かした。ノエルが出てくるとダグラスが入り、今度はその服をノエルが乾かした。その様子はまるで孫と祖父のようだった。
その間、リスベットはハムとレタスとアボカドを挟んだ白パンと、コーンスープを作っておいた。本当はダグラスに料理をしてもらいたいところだったが、あの様子じゃ無理だろう。
二人は疲れもあってか黙々とそれを平らげると、ソファにもたれた。
魔力を大幅に消費してお腹も満たしたダグラスは、今すぐ寝てしまいそうだった。その隣でノエルも眠そうにしているので、マルコに薬を飲ませる役目を与えた。
するとマルコは、相変わらずヴォエェーとおっさんのように大声で鳴いた。二人はその声に驚いて飛び上がった。これで眠気も飛んだようだ。
気を取り直して、ダグラスが呟いた。
「とりあえず結界は何とかなったかの……後はリスベット。暇であろうから、毎日山を登って結界を強化しておいてくれ」
「暇は余計ですが、分かりました。それで、邪竜はどうやって倒すつもりですか?」
「ここに現れるのならば、方法はいくつか考えてある。騎士団も宮廷魔導士も大勢いるからの。山の麓には攻撃用の武器を隠しておくつもりだからなんとかなるわい」
「では、御用邸に現れた場合はどうするつもりですか?」
「あちらには第三騎士団と宮廷魔導士がおるし、後から第四騎士団とメイソン卿も合流する。邪竜が現れた時にも封じ込めるための方法は考えてある。リスベットが心配することはない」
そういえば、リスベットの影の中にもサイモンの魔物が護衛として潜んでいるのだった。
リスベットは何気なく足元を見たが、もちろんそこには何もいない。自分の使役する魔物ではないから気配も感じないので、本当にいるのかどうか分からない。
「それならいいのですが……」
「嫌な予感がするか?」
「邪竜は必ず現れると思っています」
「私もそう思う。いつ出てもいいように、心積もりを。もしも邪竜が現れたら、使役する魔物を使って山を登れ。リスベットに危険があればこちらにもすぐ分かるようになっておる。心配するでない」
「分かりました」
「下手に攻撃せずに逃げよ。山には邪竜をはめるための罠を張っておく。私達が駆けつけるまでの足止めにもなるであろう」
「はい」
「無茶なことはしないと約束してください」
ノエルに言われて、リスベットは分かったと頷いた。
「ところで神話では、爪で呪いの鎖を断ち切り、髪で邪気を払い、血を飲ませて竜の自我を取り戻し、零した涙で契約をした……とありましたが、その方法で邪竜を倒せると思いますか?」
「三匹の魔物の倒し方は神話に書かれた通りでしたからそう考えるのも分かりますが、邪竜の場合は単純な魔術ではありませんからね」
「解呪し邪気を払い、浄化して使役する。要はそういうことであろう。やって出来ないことはなかろうが、爪や髪、血に涙を使うやり方が普通とは違うからの。普通のやり方でしても邪竜には通用しないかもしれんな。それにこれを一人でやろうと思うと膨大な魔力が必要になる。神話が真実ならば、この魔女はとんでもない魔力の持ち主であるな」
ダグラスでもやり方がいまいち分からないようだ。ではここはやはり物理的に攻撃して倒してしまったほうがいいのだろう。それで倒れてくれればいいが。
「邪竜を倒してしまえば契約して使役する必要はありませんから」
「そうね……」
「ところであと三日もすれば雨は上がる。そうしたらシャーロット殿下は王宮を出る。何か伝えておくことはあるかの?」
「そうですね……時間がかかりそうなので、明日にでも手紙を書いてブルースさんに渡して届けてもらいます」
「ブルースというのは、新しい連絡係の?」
ノエルが眉根を寄せた。リスベットは頷いた。
「衛兵のブルースさんです。二日前から来てくれてます。今のところ午前中に来て昼過ぎに帰って行きます。仕事も手伝ってくれるし、真面目な人ですよ」
「仕事を手伝う……?」
ノエルが目を細めた。なんだか不穏な空気が流れ出した。リスベットはヒヤヒヤしながら、暇そうなので……と短く答えた。
「衛兵を家の中に上げたのですか?」
「雨が降っているのに外にいさせる程私は非道ではないよ」
「ですが相手は男性です。独身女性の家に簡単に男性を上げてはいけません」
「そんなこと言ったって、私のために来てもらってるのに邪険に出来ないでしょう。あの人は遊びに来てるわけじゃないのよ。それにマルコもいるし一人じゃないわ」
「マルコはまだ本調子ではないでしょう」
鋭い声で名前を呼ばれて、マルコがびくりと震えた。怯えた目でノエルとリスベットを見比べている。
「あの人は仕事で来てるんだよ?」
「だからといってこんな時ですから何があるか分かりません」
「こんな時だから来てもらってるんでしょ」
リスベットは困ってダグラスに助けを求めたが、ダグラスはマルコの横腹を撫でてシカトしている。マルコも明後日の方向を向いた。
リスベットは内心舌打ちした。役に立たない一人と一匹だ。
「ともかくこの話は終わりにしましょう。シャーロット殿下には手紙と宿題を出しておきます。避暑地でも遊んで勉強を怠らないようにとね」
リスベットは強引に話を終わらせた。ノエルは納得していない顔をしていたが、とりあえずは引いてくれた。
「そういえば、犯人探しはどう?」
「進展はないの」
ようやくダグラスが口を開いた。
「イアン殿下も大人しくしているので動きはありませんし、シャーロット殿下も出発の準備で忙しくしています」
「殿下は大丈夫?」
「レオポルド殿下に会えるのを楽しみにしております。しかし、リスベット先輩に会いたいとおっしゃてました。出来ないことは分かっていると思いますが」
「そうね……」
シャーロットならば、なぜ御用邸へ行かされるのか理由は分かっているはずだ。いくらレオポルドに会えるからといって、王宮を離れて不安でないはずがない。リスベットは心配せずにはいられなかった。
その後二人は一通り部屋の中を見て回ると、雨の中馬を走らせて王宮へと帰って行った。
――そして三日後、ダグラスの言う通り雨が上がった。
短い梅雨が開けると、いよいよ夏の到来だ。気温が上がり、カラッとした暑さに切り替わる。その熱気を振り切るように、シャーロットの乗った馬車がひっそりと王都を離れた。




