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境界線 2



 ノエルは王宮の門を潜ると、真っすぐに黒麒棟(こっきとう)へと向かった。


 黒麒棟は治癒師達の詰所である。治癒師はそこで日々病気や怪我の治療の研究や、魔術の訓練等を行っている。

 治療院も併設されていて、怪我や病気になった騎士や魔導士から、王宮に勤める者までが診察を受けて入院することも出来る。


 ノエルは受付でエドガーを呼び出すと、二人で治療院へと向かった。


「白狸に操られていたあの宮廷魔導士、名はなんといったかな?」


「ポール・ガイラー。歳はガイラーのほうが上だが、俺の直属の部下だ。彼は意識は戻ったのか?」


「今朝早くに目覚めてね。話を聞いたら、ここ一ヶ月程のことを覚えていないそうだ」


「幻術にかけられていたのか?」


「だろうな。まだ記憶が混乱しているのもあるが、いつどこで誰にかけられたのか全く分からないそうだ。最後の記憶は、東宮に警護へ向かったところで途切れている」


「やはり誰かに操られていただけなのか……。ガイラーの部屋からは何も見つからないだろうな」


 実際にその後、ノエルの部下がポールの部屋を調べてみたが、事件と関連しそうな物は何も見つけ出せなかった。


「ガイラーは伯爵家の三男で、魔術学園を主席で入学。勲章を貰ったこともある、宮廷魔導士の中ではエリートなんだ。幻術や呪術、戦闘術とバランス良く魔術を扱えるし、身元もしっかりしている。本人の気質も真面目。新人の教育係を任されている。信頼出来ると思ってシャーロット殿下の護衛を任せていたんだが……まさかこうなるとはな」


「殿下の周囲を洗ったほうがいいかもな」


「そうだな……」


 ノエルは重いため息を吐き出した。信頼していた部下が操られていたとなると、この先誰を警護につかせたらいいのか判断に迷う。


 それからノエルとエドガーはポールと会って話をしたが、エドガーから聞いたこと以上のことは聞き出せなかった。

 ポールは昨夜の出来事を聞くと、顔を真っ青にして謝った。


「私は大変なことをしてしまった……魔女殿になんと詫びればいいのでしょう。会わす顔もありません」


「ヨーク殿の魔物は私が治療したし、ヨーク殿もピンピンしているから大丈夫だ。あなたのせいではない」


「しかし……私は宮廷魔導士失格です!」


 泣いて詫びるものだから、ノエルもエドガーも宥めるのに必死だった。

 本人の様子からして、ポールが嘘をついているようには見えない。


 二人は治療院を出て黒麒棟の廊下を歩いていると、何気なくエドガーが聞いた。


「ところで昨夜はどうした?」


「……どうとは?お前が考えているようなことは何もない」


 エドガーは呆れたように額に手をやった。その仕草があまりにオーバーで、ノエルは苛立ちを覚えた。


「お前はバカなのか?あれだけお膳立てしてやったのに、なぜ手を出さない?」


「私はお前とは違う」


「大切な人程手を出せないってやつか?お前はバカだ。ああいう一人で生きていこうとしている三十過ぎの女性には、強引に攻めるほうがいい。中途半端なことをしてると、ガードが硬くなる一方だぞ」


 ノエルは黙り込んだ。確かに一理ある。


 昨日、話を聞いてリスベットのことを考えたら、気持ちが抑えられなくなって、頭で考える前に抱きしめてしまった。


 ラザフォード家を出て一人氷鬼山脈を登ってダグラスの弟子になり、なりたくもないのに男になってまで戦争に参加させられて、たくさん辛い思いをしてきたと知ってしまったら、我慢出来なかった。護ってあげたい。護りたいとそう強く思った。


 リスベットは抱きしめ返してノエルのことを思いやってくれたが、その目を見ても上手く感情を読み取れなかった。拒絶されるか受け入れてくれるか、一か八か頬に手を添えた時、どこか線を引かれたように思った。


 だけどそれは、ノエルに興味がないだとか、好意がないからという理由ではないように思う。それは自分の願望からそう感じただけかもしれない。

 だけどエドガーの言うように、きっとリスベットはこの先も一人で生きていこうと決意している気がした。だからリスベットは、境界線をうっすらと引いたのだ。


 昨夜のノエルには、リスベットを気遣い、拒絶されるのを恐れるあまり、境界線を飛び越えていく勇気は出なかった。だから引いたのだ。

 けれど本当は、あのまま口付けて押し倒して、自分のものにしてしまいたかった。そうしなかったのは、葛藤の末理性が勝ったからなのか、ただ意気地がなかったからなのか。

 エドガーに言ったら間違いなく意気地なしだと言われるだろう。何にせよ、ノエルは昨日一睡も出来なかった。


「あの人は強い人だ。戦場でも絶対に逃げなかった。神官以外に弱音を吐いたこともないだろう。ものすごい覚悟を持って生きてる。……そんなリース殿が好きなんだろ?」


 エドガーの問いに、ノエルは迷わずにああと答えた。


「好きだよ……」


「なら、あの人の覚悟を崩して飛び込んでいかないと、手に入らないね。ああいうタイプは想定外の出来事に弱い。お前がちんたらしている間に、元カレとかがぽっと出てきて焼け棒杭に火がついて横からかっ攫って行っても、文句は言えないぞ」


 あまりに偉そうに言うものだから、ノエルはなんだか腹が立ってきて、エドガーを睨み付けた。それに自分の知らないリスベットを知るエドガーが、憎かった。


「分かってる」


 お前に言われなくても。お前に言われたくない。お前にだけはリスベットと仲良くして欲しくない。お前は二度とリスベットに近付くな。


 等と考えていた時、バタバタと伝書鳩が飛んできた。鳩の足には金色の王印の入った魔道具が付けられていた。それは、王族専用の伝書鳩だった。


 ノエルとエドガーは顔を見合わせた。ノエルは伝書鳩を腕に止まらせると、喉を撫でた。


『ノエル・キーティング卿。至急玉座の間へ。会合を開く』


 人の声で鳴いて、伝書鳩はノエルの肩に止まった。


「昨夜のことだろう。今後について両陛下と話し合うのかな」


「だろう。悪いが、ガイラーのことは任せた」


ノエルはエドガーと別れると、急いで玉座へと向かった。




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