二十五歳、開戦の狼煙 3
敵の不意をつくために、東西分かれ敵陣の横腹に奇襲をかける。その東側の少数精鋭がマシュウ班であった。
敵陣へと突っ込んでいったマットとオリーを筆頭に、班の最後尾から防御魔術を敷いて援護射撃する。その横でシャリゼも覚えたての攻撃魔術を放つ。炎と氷の塊をぶつけながら、前へ前へと無我夢中で進んだ。
少数で敵の不意を付いたのは良かった。しかし、総攻撃の開始が中々かからない。前へと切り込んで行けば行く程、逃げ道は無くなる。完全にとり囲まれたら一人も生き残ることは出来ない。
そして、ついに敵に囲まれた。そこでようやく合図がかかった。しかしすでに後退出来る状態ではない。
ここまで味方が来てくれるまでにどのくらいの時間がかかるだろう。持ちこたえることが出来るだろうか。
敵陣の中から、恰幅のいい男が現れた。背丈程の杖を持ち、赤いローブを着ている。魔導士だ。
リスベットは反射的に結界を張った。直後に魔導士の杖から稲妻が走った。結界がそれを弾いて敵兵へと跳ね返ると、電撃が兵士達を黒こげにした。
味方に当たったにも関わらず、魔導士は気にも止めずに第二撃を放った。しかし、リスベットのほうが早かった。
水の結界を張って稲妻を吸収すると、長剣で水を斬り裂いた。裂けた水は飛沫となって雨のように敵陣に降りかかる。兵士達が感電して動けなくなった隙をついて、一同は撤退した。
リスベットは最後尾を走りながら、追撃してくる敵陣に攻撃を続ける。追いかける兵士の中に魔導士が加わり、雷撃が襲った。すかさず防御魔術をかけたが、走りながらでは皆を逃してやれそうにない。リスベットは歩を止めて敵に向き合った。
「先へ!後から追いかける!」
「リース!」
「必ず追い付く!行け!」
「行くぞ!」
マシュウは苦渋の表情を浮かべて叫んだ。グレアムもオリーも青褪めた顔でリスベットを見ていたが、やがて前を向いて走り出した。
リスベットは向かってくる敵を見据えた。魔導士の杖先がこちらに向けられた。雷撃が走る。
「バカの一つ覚えか……」
リスベットは走る雷撃を指差した。すると、雷撃は一瞬で樹木の枝のような形をした氷塊へと変わった。
パチンと指を鳴らすと、氷塊が裂けて槍に変わり、敵へと降りかかった。それは地面に突き刺さって、氷の檻のように行く手を阻んだ。
それでなんとか兵士の足止めは出来たが、魔導士は杖から吹き出した風を使って、軽々とそれを飛び越えた。そしてまた、雷撃を放つ。
リスベットは息を吐いた。そんなに雷が好きならばくれてやる。
リスベットが指を鳴らすと、魔導士の周囲に鏡が出現して、魔導士と雷撃を閉じ込めた。中でピシャリと雷撃が走る音がした後、魔導士の悲鳴が響き渡った。
リスベットが再び指を鳴らすと、鏡が砕けるのと同時に、魔導士が地面に崩れ落ちた。リスベットはそれを確認すると、全力で走り出した。
新手の敵が岩の影から現れて、襲い掛かってくる。それを長剣で斬り捨て、必死になって逃げるが、走っても走っても追いかけてくる。
リスベットは魔力も体力も尽きかけていた。しかも、無数の岩の塔や岩壁に囲まれて、自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。
「いたぞ!」
敵兵の声がする。バタバタと足音が攻めてくる。
どこへ行けばいいのか分からない。逃げ場はあるのか。ないかもしれない。もう帰れないかもしれない。
諦めかけたその時、頭上から叫び声がした。それは悲鳴のようにも聞こえた。
岩の塔から飛び降りて来たのは、一人の敵兵だった。リスベットの前に着地すると、敵兵は剣を振り上げた。
リスベットは咄嗟に地面に手のひらを突くと、炎を練って爆発させた。すると、地面が揺れて崩れ落ちた。
いつだったか、シャリゼがこの辺りは自然と出来た地下の洞穴があるのだと教えてくれた。一か八か試してみたのが当たった。
リスベットと敵兵は落下した。長いような短いような時間、空中に投げ出された。そして、地面へと叩き付けられて、意識を失った。
――リスベットは痛みと共に目覚めた。
身を起こそうとして、右側の背中から腰にかけて電流が走ったかのように傷んだ。それでもなんとか上体を起こすと、うめき声がしてギクリとした。
周囲を見渡すと、薄暗い洞穴の天井に穴が空いていて、そこから光が刺していた。およそ五メートルかそれ以上の高さから落ちたようだ。
それでこれだけの打撲で済んだのは、地面がふかふかとした砂で覆われていて柔らかかったお陰だろう。
岩壁に囲まれた洞穴は二十畳程の広さで、周辺には一緒に落下してきた岩の塊や土片が散乱していた。
そして、少し先に倒れている一人の兵士の姿があった。うめき声はその兵士のものだった。
どうやら中々立ち上がれないようだ。兵士の近くに武器はなく、今すぐ襲ってくる様子はない。リスベットは腰の剣を探った。鞘にしっかりと納まっている。
兵士がようやく身を起こした。辺りを見渡して、リスベットの存在に気付いて顔を青くした。手近に剣がないことに気付くと、青い顔が白くなり、その顔は一瞬で死を覚悟したものに変わった。
「……殺してくれ」
若い兵士だった。顔は土と血で汚れている。短く刈り込んだ髪は白に近い金髪。目は醒めるような青に、瞳孔は藍色だった。ルベライトの南部の貴族の特徴的な外見だった。
貴族に生まれて騎士になったのか、戦争のせいで戦場へと送り込まれたのかは分からない。だが、目の前にいる一人の兵士は震えていた。
「殺してくれ……私はもう、人を殺したくないんだ。それならば、いっそのこと……死んだほうがマシだ」
リスベットは動けなかった。
殺したくない。それはリスベットも同じだった。本当は誰も殺したくない。それが敵国の兵士だったとしても、誰の命も奪いたくなどない。そんなことのために魔法使いになったのではない。
兵士は涙を流していた。胸に手を当てて、嗚咽を漏らして震えている。
リスベットは立ち上がった。剣を鞘から引き抜いて、兵士の元までギシギシと痛む身体を引きずって行った。
座り込んだ兵士が顔を上げた。そして、祈るように手を合わせた。
「これで、死んでいった者達の所へ逝ける」
兵士の震えが止まった。目を閉じて首をもたげた。リスベットは口を開いた。
「……私だって人殺しになりたかったわけじゃないんだ。戦争に飲み込まれただけなんだよ。……私も、君も。だから……私は君をこの場で殺したくない」
それを聞いた兵士が、驚いた表情でリスベットを見上げた。リスベットは問いかける。
「君は……死にたくないか?」
「本当は……死にたくない。故郷に家族がいるんだ」
「もうこの先誰も殺したくないか?」
「殺したくない……!」
「戦場にいたくないか?」
「今すぐ逃げ出したい……!!」
「ならばその望み、叶えてやろう」
なぜそんなことを言ったのか。多分、リスベットは兵士と同じ気持ちだった。寸分違わず同じようにずっと思っていた。代弁者が現れた今、助けてやりたい気持ちになった。それが敵兵だろうがなんだろうが。
リスベットは剣を鞘に納めると、兵士の額に人差し指を突き付けた。
「今から貴様の利き腕は思うように動かなくなる。武器は使えず魔術を使うことも出来ない。走ることも出来ず、歩くことしか出来ない。誰が見ても戦うことは不可能だと思われる。これは、重い呪いだ。……この呪いを解く方法は、たった一つ……」
兵士の目が見開かれる。曇りない澄み渡るような夏の空と、夜明け前の静かな藍色の空を思い起こさせた。
「戦争が終われば呪いは解ける!さあ行け!家に帰るんだ!」
叫ぶと、リスベットの足元に四角い魔法陣が展開した。中には折り鶴や手鞠、短冊が敷き詰められている。
リスベットの指先から放たれた青い光が、やがて兵士の全身を包み込んだ。
しばらくして光が消え去ると、兵士の右腕がだらりと垂れ下がった。兵士は慌てて左手で右腕に触れたが、ピクリとも動かない。兵士は驚愕して目を見開いた。
「マルコーシス!」
リスベットが叫ぶと、魔法陣が展開してマルコーシスが現れた。最後の魔力を使い果たしたリスベットは、マルコーシスに兵士を敵陣まで連れて行って放り捨ててこいと命令した。
マルコーシスは言われた通りに兵士を背中に乗せると、浮かび上がった。兵士は慌てて言った。
「待ってくれ!あなたの名前を教えてくれ!私はレーツェン・ランドシーアだ!」
上昇していくマルコーシスとレーツェンを見上げて、リスベットは微笑んだ。
「リース……いいや。……リスベット・ヨーク。元気でな。レーツェン」
「リスベット……!リスベット!感謝する!」
レーツェンは涙混じりに叫んだ。洞穴内にその声が響き渡って、やがてレーツェンとマルコーシスの姿は見えなくなった。
リスベットは長い息を吐き出して、砂の上に寝転がった。もう魔力は残っていない。マルコーシスはレーツェンを敵陣に送ったら、影の中へと戻るだろう。
目を閉じた。静かな洞穴にはリスベットただ一人。魔力が尽きて無性に眠い。そうして再び意識を手放した。




