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十五歳の旅立ち 3



 こっそりとタウンハウスの自室へと戻ったリスベットは、ジャコビからもらった古着を布団の中に隠した。そしてクローゼットの天井板を引き剥がすと、そこに隠しておいたお金や旅に必要な品が入った鞄を取り出した。


 準備は万端だ。後は夜明け前にここを出発するだけ。


 リスベットは自室の机の引き出しを開けた。そこから、小さな匂い袋とスノードームを取り出した。

 匂い袋の中にはポプリが入っている。薄い水色の布にラベンダーの刺繍が入ったそれは、リスベットの手作りだ。ラベンダーの仄かな香りが心を落ち着かせてくれる。


 スノードームの中には、両手を広げた黒髪黒目の女の子の人形が入っていて、大小様々な星が足元に散らばっている。

 振ってみると、白い雪のようにも星屑のようにも見える、キラキラとしたスノーパウダーが舞い上がった。


 リスベットはスノードームを机の上に置いて、匂い袋は両手で包み込んだ。そして、目を閉じると魔術をかけた。


 病気にかからないように。魔物に襲われないように。邪に触れないように。呪を払い除けるように。どうかお守り下さい。


 真夜中。リスベットは匂い袋を持ってこっそりと部屋を抜け出した。人気のない廊下を気配を消して進むと、父の寝室の前で立ち止まった。


 そして、ドアノブに音を立てないように匂い袋をかけた。

 匂い袋には藍色のリボンをかけてある。それはいつだったか、ジョージと父と廊下ですれ違った時に、父が藍色が好きだとジョージに言っているのを耳にしたからだった。


 リスベットは自室へ戻ると、ベッドの上に寝転がって、スノードームを振ってしばしの間眺めていた。


 これは父が特注で作ってくれた誕生日プレゼントだった。スノードームの中の女の子はリスベットで、大小様々な星はラザフォード産のステンドグラスによく使われる星柄を象徴している。


 リスベットの十歳の誕生日に父がくれたそれは、リスベットの宝物だった。何より大切な一番の宝物だった。

 たまらなくなって、スノードームを両手で包み込んだ。


 血が繋がっていないのに、リスベットにも母にも、恨み言一つ言わなかった。

 涙が溢れてきた。この十五年間のこと、父のことを思うと涙が止まらなかった。


 リスベットは知っていた。

 父がこうなることを予見してリスベットに英才教育を施して、わざと距離を置いてきたことを。


 父はリスベットに強くなって欲しかったのだ。いつ家を出てもいいように。一人でも生きていけるように。

 どれだけ祖父に冷たくされようと、母に目を背けられようと、どんな道に進んでもいいように。力強く生きて欲しいと、父がそう願ってくれたことを理解している。


 だから、涙は出ない。そう思っていたはずなのに……。


 父は少しでもリスベットを娘のように想ってくれていただろうか。実の父親とリスベットを見比べた時、何を思っただろうか。

 あんな父親の娘を育ててきたことを、後悔していないだろうか。


 だけど、感謝している。

 父にどう思われようと、リスベットだけは。


 リスベットは真夜中の間中、泣き続けた。もうこの先涙を流さないためにも。涙が枯れて干上がるまで泣いて泣いて、そして覚悟を固めた。


 もうラザフォード家には二度と戻らない。

 この先一人で生きていく。


 夜明け前。リスベットはこっそりとタウンハウスを抜け出した。

 スノードームだけは持っていったが、その他の物は全てそのままにしてきた。手紙も何も残してこなかった。


 クーム商店へとやってきたリスベットは、馬を一頭借りて馬車の護衛として後をついていくことになった。運送にはクーム商会の商人が三人。交代で馬車を操っていく。


 ジャコビとシューは、リスベットに着替えを持たせてくれた。それは全てジャコビの古着だった。真新しいものを着ていたらそれだけで賊に襲われる可能性があるからだ。他にも食べ物や薬なども持たせてくれた。


 リスベットは感謝して、二人に別れを告げた。ジャコビはまた泣いていたが、リスベットは笑って別れを告げた。


 王都を出発した一行は、中央の北田舎にある街で一泊して、商店へ積荷を降ろした。リスベットは積極的にそれを手伝った。

 翌日は中央と北部の州境で一泊し、翌日に北部へと入った。北部に入ってからシュトックマー領まで更に一日かかった。


 道中一度だけ州境に魔物が出たが、リスベットが馬上から指を差しただけで、魔物は逃げていった。商人達は目を丸くし、こんなに魔物が出ない旅は初めてだと口を揃えて言った。


 王都を出発して三日目。シュトックマー領へと入った。シュトックマー領は王都よりもぐっと温度が下がって、肌寒かった。

 リスベットはジャコビにもらった上着を着込み、帽子を被って暖かくした。途中商品を降ろした大きな市場で、手袋やマフラーなど登山に必要な物を揃えた。


 そこで一泊したリスベットは、翌朝クーム商会の商人達と別れた。馬は返したので、相乗り馬車で氷鬼山脈の麓の村を目指した。


 まる一日かけて到着した麓の村で、ダグラスの住まいについて尋ねた。

 すると、日の出前に出て明るい昼の内に家を見つけられなかったら、魔物の餌食になる可能性があると止められた。それでなくとも鉾先岳(むせんがく)は寒いし険しい。道と言えない道が続く。しかもダグラスの家は見つけにくい場所にあるそうだ。


 村人達の助言に感謝して、リスベットは頭を下げた。しかし、覚悟は決まっている。

 地図に家の場所を記入してもらうと、村でも防寒装備を強化して、その日は宿屋で一泊した。そして、日の出前に出発した。


 スピネル国一の険しい山脈。それが氷鬼山脈である。数々の山岳が緩やかなV字型に連なり、東側に右傾連峰(うけいれんぽう)、西側に左傾連峰(さけいれんぽう)が連なり、その中心を月柱渓谷(げっちゅうけいこく)が流れている。


 ダグラスの家は、左傾連峰の峡谷沿いの鉾先岳にある。

 麓の村から鉾先岳頂上までは約半日かかる。ダグラスの家は山頂よりやや下、八合目辺りにある。


 リスベットは自分の位置を見失わないように、方位磁石と地図を使って慎重に山を登って行った。

 山の中腹までは雪は溶けていて道が分かりやすく登れたが、その先はまだ雪が残っていた。道なき道を歩き続けると、次第に雪は深くなっていく。

 雪がある部分は返って登りやすかったが、岩肌の見える場所になると、滑落の危険があった。


 登るスピードが遅くなり、粉雪が降り出した。晩夏といえど頂上に近付くにつれて、雪はボタン雪へと変わっていく。

 もはや地図は役立たなかった。岩肌を抜けると、方位磁石も狂い出した。

 厚い雲の向こう側にぼんやりとした太陽が見える。正午を迎えた。まだダグラスの家は見付けられない。


 そして魔物が出現した。

 首から上は白い雪兎だが、雪の中に埋もれた身体は、白い毛の生えたワニのようだった。それが全部で三体。


 リスベットは手の平から火の粉を吹き出し、持っていた短刀で首を斬り裂いた。鮮血を散らして二体仕留め、三体目は氷漬けにした。


 魔力はまだある。しかし、体力が持たない。魔術で身体を温めながら進むが、リスベットは治療術は使えないので、どうしても体温は奪われ、疲労は溜まっていく。


 身体を休ませながら無理をしないように着実に進んでいるつもりだったが、時間がかかり過ぎていた。日はゆっくりと傾いている。

 魔物との遭遇率も増えてきた。しかも、頂上に近付けば近付く程、魔物は手強くなっていく。


 手足の感覚がなくなってきた。視界は真っ白で、登っていることは確かだが、いまどこにいるのか分からない。

 遭難しているのかもしれなかった。だが、足を止めるわけにはいかなかった。このまま死ぬかもしれない。そう思った時だった。


 ――こっちだぞ。


 一瞬魔物かと思った。言葉を話す人妖が現れて、喰らうために騙しているのだと。

 しかし、リスベットの目の前が急に開けた。雪は止み、雲の切れ間から太陽が覗いている。光が差し込んで、道を照らしていた。


 リスベットは吸い込まれるように足を動かした。そして、急に目の前に一軒家が現れた。


「見付けた……」


 いや、見付けられたのは、リスベットのほうか。


 リスベットは家の前まで来ると、雪を払ってドアノブを回した。温かい室内に入ると、奥の方からいい匂いが漂ってきた。リスベットは誘われるようにふらふらとそちらへ向かった。


「やあやあ。リスベット。よく来たの」


 長い白髪に豊かな髭。青いゆったりとしたローブを着て、鍋を持ったダグラスがニコニコと微笑んだ。


「寒かったろう。リスベットの好きなグラタンとカボチャのスープ。そして鹿肉のサイコロステーキを用意してある。それにデザートはプディングだ」


 リスベットは言葉が出なかった。

 ……なぜ、知っている?名前も、好きな食べ物も。


「私はこの山を管理しておるからの。お見通しだの」


「ダグラス・ノートン卿で、ございますね?」


 声が震えた。凍えて固まった口は上手く動かせているか自信がない。


「そうだの」


「お初にお目にかかります。リスベット・ラザフォード……いいえ。リスベット・ヨークと申します」


 ゆっくりと、慌てずに。リスベットは自身に言い聞かせた。


「ダグラス・ノートン卿の弟子になりたくて、参りました。どうか私を弟子にしてください。私は魔法使いになりたいのです」


 ダグラスは目を細めた後、鍋をテーブルの上に置いて、リスベットに手招きをした。


「まずは美味しいものを食べて身体を温めて。その後で弟子になればよかろう」


 リスベットはポカンと口を開けて目を見開いた。


「これほどの覚悟を持って来た若い魔女は久方ぶりだの。追い返せば氷鬼山脈の鬼が暴れだしそうだ」


 フォッフォッフォッとダグラスは笑った。

 リスベットは放心して、その場にへたり込んだ。


「さて、とにかく食事にしよう」


 ダグラスが手を差し出した。リスベットは恐る恐る、しかし迷いなくその手を取った。

 しわしわで、けれど厚みがあり温かい手だった。リスベットは凍えて感覚の鈍った手で、その手を強く握り返した。




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