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十五歳の旅立ち 2



リスベットは自室へ戻ったと見せかけてタウンハウスを出た。そしてその足で、王都にある貴族街の近くにあるクーム商会の商店へと向かった。


 そこは一階がガラス張りの店舗になっていて、外からも見えるように、ラザフォード産のガラス細工で出来た工芸品が並べてあった。商店のガラス窓の一部には、色鮮やかなステンドグラスも嵌め込まれている。

 二階は倉庫と事務所で、三階は従業員の休憩室になっていた。


 リスベットが訪れると、案の定放課後に商店の手伝いをしに来ていたジャコビを見つけた。リスベットはジャコビと父親のヒュー・クームに話がある事を告げると、そのまま三階の休憩室へと連れて行かれた。


 ヒューはクーム商会の代表である。クーム商会は、主にラザフォード産のガラス細工を施した小物からステンドグラスまでを取り扱う。

 社交シーズンになると、貴族と同様に王都の商店を拠点に商売をしている。クーム商会の顧客の半分以上は貴族であるために、社交シーズンに集まった貴族に売り込みをかけたり、茶会や夜会、園遊会等に呼ばれることもあるからだ。


 リスベットはヒューとジャコビに、簡単にラザフォード家の事情を説明した。二人共顔を真っ赤にして怒ってくれたが、リスベットが本題を切り出すと、今度は目を丸くした。


「もう家を出るのか?!一ヶ月猶予をもらったんだろう?」


「行く場所はもう決まってるの。そこでおじ様にお願いがあるの」


「なんだい?なんでも言ってごらん。力になるよ」


「親父……あまりそういうことを軽々しく言わないほうが……」


 ジャコビはリスベットの親友である。リスベットがこんな風に切り出したということは、裏に何かあると知っている。なんせジャコビは親友でもあるが子分でもあるのだ。


「もう遅いわよ。言質は取った。おじ様、私を北部の氷鬼山脈の麓の村まで連れて行って欲しいの。いいえ。シュトックマー領の市場まででいいわ」


 ヒューは驚きのあまり椅子から立ち上がった。


「な、なんだって?!氷鬼山脈?!なんでまたそんな辺境に?まさか、婚約者に会いに行くのか?」


「婚約者?ああ……シド様は関係ないわよ。私は平民なのに、シュトックマー家の嫁になれるわけがないんだから。……私はね、大魔導士のダグラス・ノートン卿に会いに行くの」


 隣国と本国の境にある氷鬼山脈の鉾先岳(むせんがく)に、大魔導士ダグラス・ノートンの住まいがある。ダグラスは現在、そこで冷戦状態にある北国ルベライトの動向を見張り、国境の結界を保つ役割を担っている。


「まさか……リスベット……」


「弟子になるの。魔女になるには最高の師匠の元で勉強をしたいから」


「しかし、ノートン卿は弟子を取らない事で有名だ!本人もそう言ってただろ?」


 ジャコビの言う通り、ダグラスが特別講師に魔術学園に授業をしに来た時に、誰かが弟子を取らないのか聞いたことがあった。その時ダグラスは、確かに弟子は取らない主義だと答えていた。

 だが、リスベットにはそんなことはどうでもいいことだった。本人に頼んでみてダメだったらまた考える。行動しないまま諦めたくはなかった。


「私は本人から直接話は聞いてない。本人から断られたら諦めるわ」


「断れる可能性のほうが高いぞ!」


「それでも行くわ。もう決めたの。この決意は覆らないわよ」


 リスベットの射るような眼差しに、ジャコビもヒューも押し黙った。やがて少しの沈黙の後、リスベットは口を開いた。


「おじ様。クーム商会が毎週水曜の朝に、商品をシュトックマー領へと運んでいることは知っているわ。シュトックマー領の街まで護衛として私が同行するので、一緒に乗せていって欲しいの。ついでに、少しばかり楽な旅になるように、馬に魔術をかけて早く到着することも出来るし、魔物に遭遇しないように魔除けの術もかけられる。あ、私の護衛費はいらないわ。途中の宿代もいらない。だけど、ジャコビの古着が欲しいの」


「俺の古着?」


「家を追い出されたとはいえ、私は自分の足跡を残したくないのよ。どこへ行ったのかラザフォード家には知られたくない。若い娘の一人旅だとすぐにバレてしまうし、道中危険な目に合うのも困る。だから、新人商人に扮して、クーム商会の中に紛れ込みたいのよ。安全な旅をするためにも……おじ様どうか私のお願いを聞いてください」


 リスベットは頭を下げた。


「ジャコビもよ。これは私からの最後のお願いになると思うわ。子分なんだから、最後の我儘を聞いてちょうだい」


 ジャコビは顔を歪めた。泣きそうになって慌てて顔を俯ける。涙を必死に堪えて、首を横に振った。


「最後だなんて、言うなよ……もう会えないみたいじゃないか」


「会えないと思うわ」


「死ぬわけじゃあるまいし!そんなこと言うなよ!」


 ジャコビが叫ぶと、涙が零れ落ちた。リスベットは何も言わなかった。


 氷鬼山脈の鉾先岳は死を招く山と言われている。夏以外は雪が降り、何もかも凍らせる。幸いまだ晩夏。降る雪の量は少ないはずだ。それでも、ダグラスの住まいまで辿り着くことが出来るのか分からない。

 過酷な旅になる。だからせめて、シュトックマー領までは安全に誰にもバレずに旅がしたい。


 神妙な顔つきで、ヒューは長い息を吐いた。そして、顔を上げた。


「リスベット……君の覚悟は伝わった。君の言う通りにしよう。水曜は明日だ。日の出前に家を出てここに来れるかい?」


「親父……!」


「ジャコビ。別れが辛くても、友達の背中を押して見送ってやることも、友達であり子分の役目だ。それが出来なくちゃお前はクーム商会の跡取りにはさせられない」


「……でも」


 ジャコビは言葉が続かなくて俯いた。


 思えば、ジャコビはリスベットにとって初めての友達であり子分だった。きっと、リスベットがラザフォード家の正真正銘の令嬢で貴族であり続けたなら、この先もずっと付き合いが続いていただろう。


 だが、それは叶わないのだ。リスベットはそのことをずっと前から知っていた。

 それなのに、ラザフォード領や学園で出来た友人、慕ってくれた後輩のノエルなど、親しかった人達との別れが、こんなに早くやって来ると思ってなかった。

 いいや。分かっていたはずなのに、考えないようにしていたのだ。あまりに毎日が楽しかったから。


「リスベット……行くなとは言わない。だけど……また絶対に会おう。またねって……そう言ってくれよ」


 ジャコビは顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。リスベットは胸がいっぱいになって何も言えなかった。何か言おうものならば、涙が出てしまいそうだった。


「リスベット……また会えるだろう?」


 リスベットは頷いた。子分の前で涙は見せられない。ジャコビとの思い出が脳裏を過ぎったが、ぐっと飲み込んだ。


「また、会おう……きっと会えるよ」


「……ッうん!絶対だ!」


 リスベットとジャコビは手を取り合って約束した。ジャコビは中々泣き止まなかった。


 商店から出ると、すでに辺りは薄暗く、夕刻は過ぎていた。


 次にリスベットは魔術学園へと向かった。門前の警備に見つからないように裏手の門を越えると、薄暗い校舎へと忍び込んだ。向かった先はサイモンのいる実験準備室だった。


 案の定、サイモンの準備室はまだ明かりが灯っていた。リスベットはそろりとドアを開けて中に入った。

 サイモンは机の上の書類と格闘していたが、リスベットを見るなり、目を丸くした。


「おや。ラザフォード君。どうしたのかな?」


「メイソン先生こんばんは。お話があって参りました」


「あまりいい話じゃなさそうだ。とにかく座りなさい」


 サイモンは応接用のソファにリスベットを座らせて、自身も向かい側に座った。


「私は学園を中途退学することになりました。今日はその手続きの書類をお持ちしました」


 サイモンは目を細めてしばしリスベットを見つめた。


「……ラザフォード家で何かあったのかい?」


「実の父が訪ねてきまして。私はラザフォード家の娘ではないことが判明しました。よって、私は明日にはここを発つつもりです」


「……明日とはまた早い。そしてこの書類もすでに出来上がってる。君はずっと前からこうなることを予想していたんだね。君は用意周到なところがあるから……」


 サイモンはリスベットの担任を一年の時から受け持ってきた。だから、リスベットのことはよく知っている。


「メイソン先生にはお世話になりましたので、直接渡してお知らせしたかったのです」


「そうか……寂しくなるが、ラザフォードを捨てて君は新しい道を行くわけだ」


「捨てたのはラザフォード家のほうです」


「……そうかな?私には君のほうがラザフォード家を捨てていくように見えるよ。ラザフォード家の方々はバカだよ」


「あら。先生にしてはお言葉が過ぎるのでは?」


「そうかな?血が繋がっていなかったとして、こんな有能な娘を養子にしないんだから、彼らはバカだと思うよ。よほど貴族の血は尊いと思っているらしい」


「尊いのでは?」


 サイモンは肩を竦めた。


「とにかく、君がここを去るのは惜しい。どこへ行くつもりだい?」


「ダグラス・ノートン卿の所へ……」


「ここで僕の弟子になることを選ばないのは、君らしい」


「先生は王都にいらっしゃるので、私の存在はすぐに周囲にバレてしまいますから」


「そうだね。君には宮廷魔導士よりも、自由な魔法使いのほうが性に合う。惜しいけどね。……君程の生徒はもう現れないだろう」


「キーティング君がいますよ」


「彼も優秀だが、君とはタイプが違うからね。……さて、では茨の道を行く君に、魔除けの鈴をあげよう」


 サイモンは立ち上がると、机から鈴を取ってきてリスベットに渡した。真鍮で出来た小さな鈴だった。振ると細く繊細な音がした。


「それを持って行くといい。ラザフォード君を守ってくれるよ」


「先生。もう私はラザフォードではありません」


「そうか……では、名前はどうする?」


「まだ決めていませんけど……どうしましょうね」


 リスベットは首を傾げる。そういえば名前については考えていなかった。するとサイモンが言った。


「では、ヨークというのはどうだい?リスベット・ヨーク」


「ヨーク……それは?」


「君はサインをする時、いつもラザフォードと書くのが面倒くさそうだった。長いからね。だから、ヨーク。短くて書きやすい」


 ヨーク。……リスベット・ヨーク。


 心の中で唱えたその名前を、リスベットはとても気に入った。


「先生。リスベット・ヨーク、とても気に入りました。ありがたく頂戴致します」


 満面の笑顔を向けると、サイモンもまた笑顔で応えた。


「では、ヨーク君。君の行末が明るいことを祈っているよ」


 リスベットは頭を下げた。サイモンはリスベットの頭をポンポンと撫でた。


「ありがとうございました」


「いいや。こちらこそありがとう。私も君からは色々なことを学んだ。元気でね」


「先生もお元気で」


 リスベットは部屋を出ると、静かな校舎を抜け出した。途中自分の教室を見ていこうかと思ったが、警備がうろついていたので止めた。


 ――ではまた明日。

 ふとノエルにそう挨拶をしたことを思い出して、リスベットは胸が締め付けられた。


 でも、ノエルなら。

 ノエルならきっと、いい宮廷魔導士になるだろう。そして、いずれ大魔導士になってくれる。


『キーティング君は宮廷魔導士になるのが夢なんですか?ならば是非大魔導士になってくださいね!なれた時はお祝いしましょう!』


 その約束は、きっと守れないとリスベットは思った。




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