襲撃の夜、細い月 3
居間に戻ってエドガーがマルコと男の容態を確認する。どちらも容態は安定していた。リスベットは安堵して改めてお礼を言った。
「今日はもう遅い。私はあの男を連れて帰ることにしよう」
エドガーはソファで眠る男を見て言った。
「意識がないけど運べる?」
「それはノエルがやってくれるさ。元々ノエルの部下なんだしね」
「使役する魔物に運ばせます。それよりも、今日魔物の襲撃にあったばかりで、一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。使役する魔物もいるし」
「しかし、赤鶏が襲ってきてから三日で白狸が現れました。いつ邪竜が現れてもおかしくありません。……心配です」
「そうだね。ならばノエル。泊まっていったらどうだ?」
あまりにさらりとエドガーが言うものだから、リスベットはそうねと答えそうになって、意味を理解して慌てた。
「そんな、そこまでしてもらわなくても大丈夫よ。何かあっても王宮からは近いし!」
「でも襲われてから連絡していたら遅いでしょう」
「シャーロット殿下のことも心配だし、付いていてあげないと!」
「それは、今夜はノートン卿が両陛下とシャーロット殿下のことを見てくれるそうなので、心配ありませんが……」
ノエルは言いつつも、エドガーの提案には少々困惑気味だ。
それにしても泊まるとなると……。
寝室はあるし部屋も綺麗にしてある。寝間着はダグラスが置いていったものがあるので、それで我慢してもらえばいい。風呂もすぐお湯は湧くし、朝食のパンも卵もハムもあるが、それはそれ、これはこれ。
「一人暮らしの女性の家に男がそう簡単に泊まるわけには参りません」
「お前三十間際になって何を言ってるんだ?大体本当に邪竜が襲ってきたらどうするんだ?……やはりここは私が泊まろう。リース殿がリスベット・ラザフォードと知って、色々と聞きたいこともあるし。丁度いい。一緒にお風呂に入って同じベッドで寝よう。今夜は二人だけだ。眠れないね」
にこりと微笑んで、エドガーがこちらに手を伸ばしてきた。それを間髪入れずにノエルが手刀で叩き落とした。エドガーは大袈裟に痛がって見せる。
「ふざけるな」
「ならばノエルが泊まるといい。リース殿も白狸を倒して疲れているだろうし、番犬が怪我をして動揺している。今襲われたらひとたまりもないでしょう」
「しかしそれはそれで先輩にご迷惑が……でもエドガーの言う通りでもあります。……私は外の馬小屋で見張っておりますので、先輩は安心して寝てください」
「そんな訳にはいかないわよ!泊まるなら客室があるから!」
リスベットは結局同意した。
別に同じ部屋で寝るわけでもないし、心配して言ってくれているその好意を受け取らないのも失礼だ。何より、ノエルがいてくれるなら安心出来る。
リスベットはエドガーを見送りに小屋まで行った。その間にノエルは少し離れた位置で魔物を召喚している。
エドガーは馬に跨ると、ウィンクをした。
「ノエルはあなたがなぜリースと呼ばれていたのかずっと気にしていましてね。丁度いい機会ですから、今夜話してやったらどうですか?」
「こんな時にそんなこと話してる場合?」
「ノエルにとっては重要なことです。それに、神話のことばかり考えて心配ばかりしていても、現状何も変わりませんよ。考えても分からないんだから」
「エドガーに言われたくないけど、一理あるわね……」
「それに、私はリース・ヨークとリスベット・ラザフォードが同一人物と知って嬉しいんですよ。ノエルは学園に通っている頃から、ずっとあなたを目標にしていましたから。だから、あなたがなぜ学園を去ってしまったのか詳しく知りたいはずだし、なぜ戦争に参加していたのか、これは国に仕える者としても知っておかなければならないことです。是非話してやってください」
エドガーが生真面目な顔で言うものだから、リスベットは思わず頷いてしまった。エドガーは満足気に微笑んだ。
二人が話している間に、ノエルは魔物を呼び出していた。
魔物は、大きな鷲のようだった。黒い嘴に金色の瞳。瞳孔は黒く、鋭い。首周りは黒と白の縦縞模様。羽根は白と黄色が入り混じり、爪と尾は濁った金色をしていた。とても綺麗な魔物だった。
ノエルは魔導士を魔物の背に乗せて、魔術を使って落ちないように固定した。すると鷲はゆっくりと浮かび上がると、王宮の方へと飛んで行った。
「では、あの魔導士のことは私が引き受けました。君達も気を付けてください。それでは良い夜を共にしてください!」
ウィンクをして、エドガーは去って行った。
夜を共にするって、もう少し他に言い様はないのか。リスベットとノエルは呆れてその背を見送った。
家の中へと戻ると、リスベットは風呂の湯を沸かして湯船にお湯を張った。
ダグラスの寝間着とバスタオルを用意して、風呂場に置いてから居間に戻ってくると、ノエルはマルコの腹を優しく撫でていた。心無しか、眠っているマルコの顔は気持ち良さそうに見える。
「お待たせ。お風呂どうぞ」
「それではお先に失礼します」
「はいごゆっくり」
リスベットは男にかけていた布団を持って二階の寝室へと戻すと、客室の寝具を用意してシーツを新しく代えた。それから台所へと戻ってくると、明日の朝食用に簡単なサラダを作っておいた。
そうこうしてる間にノエルが風呂から上がってきた。
寝間着は少し小さかったのか第一ボタンは開けてあった。ズボンの裾も短くて踝が丸見えになっている。ジジ臭い灰茶色の寝間着なのに、ノエルが着るとまるでブランド物に見えるから不思議だ。
濡れた髪をタオルで吹きながら、ノエルはリスベットと目が合うと微笑んだ。
「いいお湯でした。さすが最新のお風呂ですね」
「そ、そうよね、すごいよね」
リスベットはどこを見ていいやら、ノエルの色気にやられて動揺のあまり視線を逸らした。
前髪から水滴が垂れて鎖骨を濡らしている。水も滴るいい男が目前にいるのだ。動揺しない方がおかしい。
「先輩もどうぞ入って来て下さい。私はマルコに付いていますから」
「そ、そう?ではお願いします」
リスベットはありがたくお風呂へ入ることにした。
湯船に浸かるとどっと疲れが押し寄せてきたが、身体が芯から温まってくると、気持ちが良くて目を閉じた。
しかし、さっきまでノエルが浸かっていたのだと思うと、なんとも言えない気持ちになった。
何を興奮してるんだ。三十路のくせに。ブスではないが美人でもない凡人で、モテないくせに。と、自分を卑下してなんとか平静を保った。
それにしても、とリスベットは天井を見上げて思う。今日は色々なことがあって疲れた。確かに今邪竜が襲ってきたら死ぬ自信はある。
だけど、今でなくても襲ってきた時はどうしたらいいのだろう。三匹の魔物のように簡単に倒せるとは思えなかった。
「厄介だわ……」
これから何が起こるのか分からない。シャーロットや皆を守りきれるだろうかと、不安が過ぎった。
リスベットが風呂から上がってくると、なんとマルコが目を覚ましていた。腹を見せてはいないが、ノエルに大人しく撫でられたまま横たわっている。
「マルコ!」
リスベットが駆け寄ると、マルコはワフと小さく鳴いて、少しだけパタパタと尻尾を振った。まだ本調子じゃないから起き上がれないのか、横たわったままリスベットを見上げている。
「よかった……」
マルコの頭を撫でてやると、マルコは気持ち良さそうに目を閉じた。そして、そのまま再び眠ってしまったようだった。
「マルコはこのままこちらで寝ますか?」
「私の寝室で一緒に寝るわ」
「二階まで運びます」
「ありがとう」
ノエルは軽々とマルコを抱っこして、二階へと運んでくれた。リスベットは、マルコが敷いて寝ているふかふかのカーペットを持ってくると、ベッド横に敷いた。ノエルはそこにマルコを横たえてくれた。
「助かったわ。マルコは重くて」
「いいえ」
「今日は疲れたでしょう?もう寝る?客室はこっちよ」
リスベットは隣の客室へとノエルを案内した。客室にはベッドが二つ置いてある。もちろん寝具は一台分しか用意してないが。
「明日も早いの?」
「いつも通りで大丈夫でしょう」
「朝起きてこなかったら起こしに来るわね。それじゃあおやすみなさい」
「おやすみなさい」
リスベットは客室を出ようとして、エドガーがノエルに昔のことを話してやって欲しいと言ったことを思い出した。
しかし、リスベットは自分のことを話すのが得意ではないし、好きでもなかった。結局踏ん切りがつかず、お礼だけ言おうと、振り返った。
「今日はありがとう。来てくれて安心したわ」
リスベットが微笑むと、ノエルの顔が一瞬呆けて、ふいに手が伸びてきた。その手がリスベットの手を捕まえた。
強く握り込まれて、手の甲を親指の腹で撫でられた。背筋に何かが駆け抜けていった。握られた手から温度が上昇して全身に広がっていく。
「リスベット先輩……やっぱり、昔何があったのか、今聞かせてくれませんか?知りたいんです。あなたのことが……」
ノエルがあまりに切ない目で見てくるものだから、リスベットは逃れるように視線を窓の外にやった。
客室からは麓の湖が見えた。青い湖面には、細い歪んだ月が浮いていた。




