王女の呪い 3
※蛇が苦手な方はご注意ください。
リスベットはシャーロットの顔を覗き込んだ。顔にはあざは見られなかった。
「ちょっと下がっていてくれる?」
マークを扉の前まで下がらせたリスベットは、ドレスをめくり上げて手足を見分しはじめた。
手足には、青い蛇が巻き付くようにくっきりとあざが浮かんでいた。歯をむき出しにして舌を伸ばした蛇の頭は、心臓目がけて足先からへその上、そして手先から肩まで伸びていた。
一見すると、蛇が使われた呪いのように見える。サイモンが言うように、魔物が呪ったようには見えない。
魔物の呪いというのは単純で、足跡が残りやすい。気配や匂いなどを辿っていけば、サイモンならば呪いを解くことは容易い。
しかし、人が介した呪いは足跡を辿るのは難しい。痕跡を残さないように呪いをかけるからだ。
ということは、やはりこれは人の仕業になる。しかしリスベットは、この呪いは素人が単純な方法を使って行ったものであると推測した。
蛇を用意するのは、魔物を用意するよりも遥かに容易いし、あざも複雑なものではない。問題を複雑にしているのは、誰が呪ったのかという一点だ。そこさえ分かれば、この呪いはすぐに解けるだろう。
リスベットはシャーロットのドレスを直すと、イザベラとエマに向き直った。
「殿下は日記を書いていらっしゃいませんでしたか?」
リスベットが尋ねると、イザベラとエマは首をひねった。
「日記……?どうでしょう。私は見たことがありませんが」
エマが答えると、イザベラも同じように頷いた。リスベットは、ふと寝室の隅にある机に視線を止めた。
机の前にやって来て引き出しを開けようと手をかけたが、鍵がかかっていた。もう一度引いてみると、今度はカチリと音がして引き出しが勝手に開いた。それを見たエマとマークが、声を揃えて言った。
「お待ちください!」
「何を勝手に開けているのですか?!か、鍵はどうしたのです?」
「ご覧の通り開けましたよ」
「開けっ……!?というか引き出しを開けるなんて不敬ですよ!」
「殿下は必ず引き出しには鍵をかけておりました!見られたくないのです!」
マークとエマが必死に止めるが、リスベットは構わずに引き出しの中を覗いた。
「見られたくない物が入っているから、見ないといけないんでしょう?ああ、ほら。殿下の日記がありましたよ」
なんてことない口調で言ってのけたリスベットは、日記を取り出すと掲げて見せた。それを見た一同が目を大きくした。
「殿下に何が起きたのか、ここに書かれているかもしれない。命がかかってるんだから、見ないと」
それでも、一同は躊躇する素振りを見せた。
ここにいる者は皆王族に仕える者ばかり。一国の王女の日記を本人の承諾もなく読むだなんて、そんなことは殿下より低い身分の者には恐れ多くてできないのだ。
「ならば私が読みましょう」
イザベラが察して声を上げたが、リスベットは首を横に振った。
「いえ。私が殿下のお立場ならば、親族に日記を読まれるのは嫌です。殿下の身になって考えるのならば、ここは全く関係のない赤の他人の私が読んだ方がいいでしょう。罰なら後で受けますよ」
リスベットは恐れ多くもイザベラの提案を一蹴すると、誰の返事も待たずに日記に手をかけた。
するとカチリと音がして日記から鍵が外れると、宙に浮いて机の上に落ちた。その瞬間、日記が勢いよく開かれると、自動的にページがまくられた。
一同が呆然としてその光景を眺めていると、あるページでピタリと止まった。リスベットは日記を覗き込むと、ニヤリと口端を上げた。
「ほら、見付けましたよ」
リスベットが人差し指でページを弾くと、文字が日記から剥がれて舞い上がった。ふよふよと浮遊する文字を、サイモンが読み上げた。
「トム・マイルズ……か。確か外務大臣の三男坊だったか?彼が呪った張本人かい?」
リスベットはいいえと否定すると、日記をめくった。再び開かれたページを指で弾くと、今度は別の名前が浮かび上がった。
「リリー・メーガン?」
「トム・マイルズ卿の婚約者だな。伯爵令嬢で、彼は入り婿として伯爵家の跡継ぎになる予定だったんじゃなかったかな?」
それを聞いたエマが、はっとして言った。
「トム・マイルズ卿!そういえば殿下が訪問した孤児院に視察に来ていらっしゃいました!殿下とも挨拶を交わしていて……殿下はリリー・メーガン嬢とも面識がございました」
「三人共、王立学園に通っているからね。多少の交流はあったのかもしれない」
「ということは、呪ったのはリリー嬢なのですか?」
イザベラが尋ねると、リスベットは頷いた。
「そのようですね。恐らくトム卿を通して殿下を呪ったのでしょう」
「一体なぜ?」
「それはひとまず置いておいて、呪った相手の足跡が辿れましたので、呪いを解きます」
リスベットは日記を置いてシャーロットの元までやってくると、シャーロットの額に手を当てた。
するとシャーロットのドレスの中で、ズルズルと音を立てて何かが蠢きはじめる。うねうねと長い身体をくねらせるような動きを見て、エマが蛇?!と小さな悲鳴を上げた。実際にドレスの裾から蛇が這い出てきて、エマやサラが悲鳴を上げた。
リスベットは素知らぬ顔で、出てきた四匹の蛇を見下ろした。それだけで蛇は石化したように動きを止めると、脱力して宙に浮いた。
リスベットがそのまま蛇を見据えていると、青かった蛇は段々と色をなくしていき、やがて真っ白になってしまった。更に形さえも曖昧になり、ぼやけて煙のように変化したと思ったら、最後は雪のように舞って空気に溶けてなくなってしまった。
「さて」
リスベットはシャーロットの腕を取る。そこにあったはずのあざは綺麗になくなっていた。
「ああ!シャーロット!!解けたのね!!」
「はい。もう大丈夫ですよ」
リスベットの言葉にイザベラは安堵したように息を吐いて、シャーロットの顔を両手で包み込んだ。
「シャーロット」
「う……」
イザベラの呼びかけに応じるように、シャーロットの目がゆっくりと開いた。シャーロットの碧く澄んだ瞳がイザベラを捉えると、イザベラは安堵のあまりシャーロットにしがみついて、声を上げて泣いた。
◇ ◇ ◇
マークとサイモン、リスベットの三人は、東宮にある客室へと移動していた。そこで待機する様に女官長に言われたのだが、一向に誰も来なければ報せも来ない。いつまで待たせるのだろうと思いながらも、リスベットはのんびりと紅茶を飲んでいた。
「リリー嬢は、なぜ殿下を呪ったりしたのでしょうか?」
ふいにマークが尋ねたので、リスベットはカップを置いて答えた。
「色恋、だね」
「色恋?」
「トム卿は慈善活動に力を入れてたんでしょ?それでシャーロット殿下ともよく会う機会があった。トム卿の婚約者であるリリー嬢は、勝手な憶測で二人の仲を疑い、やがて嫉妬の炎は燃え上がって殿下を呪った。そんなところかな」
「日記にそんなことが書いてあったんですか?!」
「書いてないよ。私は日記の中に書かれた名前の中から、呪いの足跡を辿っていっただけ。その中で強い反応を見せたのがあの二人だったんだよ」
「そんなことが可能なんですね……。それにしても、殿下がトム卿と恋仲だったなんて」
「それはリリー嬢の勝手な思い込みだと思うよ。まあ、半分は当たってるとは思うけど」
「どういうことですか?!」
マークが身を乗り出して聞いた。
「殿下は何とも思ってないだろうけど、トム・マイルズ卿の方は殿下を慕ってたんじゃないかな。それに気付いていたから、リリー嬢は殿下を呪うところまで追いつめられてしまったんだと思うよ」
「そういえば、リリー嬢はトム卿を通じて呪いをかけたと言ってましたが、彼は呪いのことは知らなかったんでしょうか?」
「何も知らないと思うよ。リリー嬢は、トム卿と殿下が接触した時に、呪いが発動するように条件をつけたんでしょう」
「そんな……。なぜそんなことまで分かるんですか?魔術ですか?」
「半分は私の憶測だけどね」
リスベットがにやりと笑ってみせると、マークは唸り声を上げた。
「それにしても遅いね」
「メーガン邸に確認に行ってるんじゃないかな?」
サイモンが窓の外へと視線を向けて答えた。
「そういえばリリー嬢はどうなるんでしょうか?」
「どうもならないんじゃないかな」
「と、いいますと?」
マークが首をひねった。リスベットは淡々と言った。
「どうすることも出来ないと思うよ。呪詛返しにあって、リリー嬢は恐らくもう生きてない」
「えっ?!」
マークは絶句した。リスベットは続ける。
「人を呪うということは、自分の命をかけることと同じ。呪った相手が死ぬか、呪った方が死ぬか……それとも二人共死ぬか。極端な話そういうことなんだよ」
「リリー嬢は、殿下の命を落とすという強い呪いをかけた。リリー嬢は呪術に関しては素人だから、呪いを解かれればかけた呪いはそのまま自分に跳ね返ってくるんだ」
サイモンは静かに言った。
「呪いをかけたのが呪術に秀でた者ならば、呪詛返しにあっても身を守る術を知っているけど、リリー嬢はまだ十四歳の魔術を扱えない素人。結果は見えているよ」
「そんな……!殿下は、それを知ったらきっとショックを受けるのではないでしょうか……」
「そうね」
シャーロットはリリーともトムとも面識があったのだから、それはショックだろう。
そしてトムも、自分が密かに慕っている相手を、自分の婚約者が呪い殺そうとして、逆に死んでしまったのだ。トムはこの先ずっとこのことを引きずって生きていくのかもしれない。
「こんなの……あんまりですよ」
マークは辛そうに顔を歪めた。
お人好しの青年だ。リスベットは一つ息を吐き出すと、呟いた。
「確かに残された者は苦しいわね」
リスベットの言葉に、マークは重々しく頷いた。
それからしばらくして、イザベラは女官長とサラを連れてやって来た。イザベラはまずリスベットに取り乱したことを侘びると、深々と頭を下げて心からの礼を述べた。
「シャーロットの命を救ってくれたこと、この国の王妃として、そして母親として心から感謝申し上げます。ありがとうございました。魔女リスベット・ヨーク殿」
その様子に一同は驚き戸惑ったが、当のリスベットはあっけらかんとした様子で、どういたしましてと、にっこり微笑んだ。
「日記さえ見付けていればメイソン先生が解いていたはずなので、ちょっと大げさかと思いますが……」
「でも誰も日記のことに思い至りませんでした。あなたがいなかったら、どうなっていたかわかりません。何かお礼がしたいのだけど、望みはありませんか?」
「いえ。お礼をもらう程のことはしておりませんので。……あ、日記を読んだ不敬をお許しください」
「まあ、そんなこと!元から不敬罪に問うつもりはありませんのよ!命の恩人なのだから!」
イザベラがくすくす笑うと、皆もつられて笑い出した。リスベットは困ったように頬をかいた。
「他に望みはありませんか?」
リスベットはうーんと唸って考えてみたが、突然望みはなんだと聞かれても、何も出てこない。それを横目で見ていたマークが、呆れた目を向けてきた。そして、ふと閃いたように目を輝かせると、口を開いた。
「陛下、発言をお許しくださいますか?」
イザベラがどうぞと答えた。
「魔女殿。何も思いつかないのでしたら、私に提案がございます」
「え?何よ?」
「ドラム缶風呂はもうやめましょうか」
リスベットは一拍おいてから、眉根を寄せた。
「……はあ?」