十五年ぶりの再会 2
シャーロットはリスベットを廊下まで見送ると、早速ジャンに言い付けた。
「夢日記を書くのにかわいい手帳が欲しいわ!」
「では見繕ってきましょうか」
「お願いね!」
シャーロットはウキウキするのを止められなかった。
初回の授業は問答だけであったが、リスベットの受け答えや授業の進行の仕方はスムーズで、シャーロットは飽きることなく最後まで集中して授業に取り組めた。それだけでもリスベットがよい教師だと分かる。
自分の目に狂いはなかったと、シャーロットは自信を持った。
「失礼します」
シャーロットが浮かれていると、ジャンと入れ替わるように一人の男が入ってきた。
「あら。キーティング卿。もう交代の時間ですの?」
入ってきたのは大魔導士の一人、ノエル・キーティングだった。
ノエルは一週間前からシャーロットの護衛に就いていた。呪いの一件があったから、魔導士も護衛に付けた方がいいとの案が出たからだった。
しかしノエルは大魔導士の一人であり、多忙を極める。自身の仕事もあるので、常にシャーロットの傍にいるわけにいかない。ノエルに仕事がある時は、彼の部下から選ばれた魔導士がシャーロットの元に派遣されていた。
今日は夕刻から手が空くので、それから来るとノエルが言っていたのを思い出した。
「初めての授業はいかがでしたか?何も問題はありませんでしたか?」
「あるわけがないわ。先生は素晴らしい魔法使いですもの!」
「では次回から護衛は外に待たせておいても大丈夫ですか?」
「もちろんよ!そもそも今日だって必要なかったのよ。以前来てもらった時はいなかったのに、今日突然護衛がいるから先生も変に思ったのじゃないかしら?」
「そうかもしれませんが、それは致し方ないのです」
「もちろんそれも分かっているわ」
自分の立場は弁えている。だから自分の安全を考えてくれる者や護衛してくれるノエルや魔導士達を困らせるつもりはない。ただちょっとだけ愚痴を言いたかったのだ。
「本日の授業はどのようなものだったのですか?」
ノエルに聞かれてシャーロットは笑顔になった。
「問答よ。以前見た予知夢はどういったものだったのか先生が次々と尋ねていくの。それに私も思い出しながらどんどん答えていくの」
「問答……それは以前殿下がおっしゃっていた呪われた時の蛇の夢ですか?」
ノエルはなぜか目を細めると、眉根を寄せた。
「そうよ。色だとか音だとかどのくらいの時間夢を見ていたのかとか、どんどん聞いてくるので、私も一生懸命思い出して答えるの。だけど、全部思い出したと思っていた夢の半分は、私が勝手に想像して捏造したものだとおっしゃったの。そう言われてみると、後から付け足したような部分もあったと思って、驚いてしまったわ!」
シャーロットが興奮して話していると、エマはクスクスと笑った。
「殿下は本当にヨーク殿を慕っていらっしゃるのですね」
「それは当然よ!命の恩人なんですから!」
胸を張るシャーロットが歳相応の子供に見えて、その場にいる大人達はなんだかほっこりして微笑んだ。
――ノエル以外は。
「……次の授業では何をされるのですか?」
ノエルが聞くと、シャーロットは顎に手を当てる。
「まだ何も聞いてないけれど、宿題が出たの。夢の内容と、見た時の自分の体調や感情を書いた日記を毎日付けるように、と。後、読書をしたり絵画の鑑賞をしたり絵を描いたりするのを勧められたわ。想像力と記憶力を養うためにいいって!」
それを聞いたノエルの顔色が変わった。ハッとしたように目を見開いている。シャーロットは不思議に思った。
「どうかして?キーティング卿」
「殿下。その魔法使いというのはもしや魔女なのですか?」
「ええ。魔女ですわ。三十歳前後の……」
「殿下。私はまだ魔法使いのお名前を聞いたことがありませんでした。その方のお名前は?」
「リスベット・ヨークですわ。でもそれが何か……」
「殿下。失礼ですが少々離れます。悪いがまだ交代しないでくれ」
ノエルは護衛に言って身を翻すと、部屋を出て行ってしまった。それをシャーロットやエマはポカンとして見送った。
「一体どうしたのかしら……?」
◇ ◇ ◇
客室を出たノエルは、周囲の目も気にせずに廊下を疾走すると、東宮の門を潜り抜け、門前の警護をしていた近衛騎士を捕まえて聞いた。
「ここを魔女殿が通ったのはいつだ?」
「つい先程、近衛騎士のマーク・スミスと一緒に庭園の方へ向かいましたよ」
ノエルはそれを最後まで聞かないで、走り出した。
走りながらノエルは鼓動が急速に速まるのを感じていた。
ノエルはシャーロットの呪いを解いた魔法使いを、ヨークという名の男だと思い込んでいた。しかし、それは三十歳前後の魔女で名前をリスベット・ヨークという。
ノエルはヨークという名の魔女のことは知らない。しかし、リスベットという名には覚えがあった。
東宮を抜けて東の庭園を抜けると王宮の本館があり、そこから正門へと向かうのだが、ノエルは庭園に入るとすぐにゆっくりと並んで歩く二人の男女の背中を見付けた。
男の方は近衛騎士で、女は黒いローブを着て、艷やかな漆黒の髪を後ろでまとめている。格好からして魔女だ。
ふいに魔女が立ち止まり、池の方へ目を向けた。すると横顔が見えて、ノエルは思わず息を止めた。
黒い髪に黒い瞳。まっすぐ見据える強い眼差し。
『ではキーティング君。見た夢を忘れてしまうならば、日記をつけるといいよ』
ノエルの脳裏で昔の記憶が再生される。遠い昔の記憶は、切なくなるほど懐かしく、あまりに美しかった。
ノエルは立ち止まり、その横顔に昔の面影を見た。
声をかけようとした時だった。
池の方から何かが爆ぜる音がした。ハッとしてそちらを見ると、池から水飛沫と共に何かが飛び出して来た。黒い塊のそれは、空中で動きを止めた。
それは魔物だった。黒い猿の顔と身体に、コウモリのような羽根を持っている。それが全部で三匹。
魔物は近衛騎士と魔女の方を見下ろしていたかと思うと、急降下して二人の方へ向かって行く。
近衛騎士が剣を抜き、魔女を庇うように身構える。その後ろで魔女はただ魔物を見上げていた。
「先輩!」
ノエルは思わず叫び声を上げた。ふいに魔女がこちらに目を向ける。その目がノエルを捉えた時、ノエルはローブから短剣を抜いて魔物に向けた。
剣先から電光が走る。それは樹木のように枝分かれして、魔物三匹をあっという間に捕まえると、一瞬で黒焦げにしてしまった。
地面に落ちると同時に魔物は黒い炭の塊となり、はらはらと灰になって土に還った。
「どうしてこんな所に魔物が……?!キーティング卿。ありがとうございました!助かりました!」
近衛騎士がノエルに言ったが、ノエルは返事が出来ずにいた。
魔女が灰になった魔物を見下ろして、再びノエルの方へと視線を上げる。二人の視線がかち合った。
「腕を上げたね。キーティング君」
「……ラザフォード先輩」
リスベットは名を呼ばれて、目を細めて微笑んだ。
「今はリスベット・ヨークといいます。魔法使いをしています」
懐かしい声だった。
この声を最後に聞いたのは、魔術学園で一つ上の学年にいたリスベットと組んで、占術の授業を受けた後の帰り道のことだ。
『では。また明日』
そう言ったのに、次の日からリスベットは二度と姿を現さなかった。学園を辞めたと聞いたのは、その二日後のことだった。
そして、今。目の前にリスベットがいる。
それは、十五年ぶりの再会だった。




