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掌にかかる虹  作者: 繭美
第二章 見えない家
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わからないこと

 大樹の下で朝食をとっている時に、ファウラがロヅに尋ねた。

「干し肉って、どうやって作るんですか」

「名前通りというか……そんなことも知らないのか」

 干し肉を手に、ファウラが頷いた。

「お婆様が『それより魔法の勉強を』って、料理はあまり教えてくれなくて」

「粥しかまともに作れない癖に、よく一人で暮らそうとしたよな」

 ロヅが薄く笑った。彼には珍しい表情だと、ファウラは内心で思った。

「笑わないで下さい。身の回りのことなんて、考えが回らなかっただけです」

 ファウラが拗ねた調子で返すと、いや、とロヅが笑顔のまま言った。

「泣かないで話すようになったじゃないか。テムサ様のこと」

「……はい。楽になりました」ファウラが表情を和らげた。

「貴方がいたからです。最初は怖い人だと思っていましたが、誤解でした」

「氷柱で頭を狙ってきた癖に、他人を怖い人呼ばわりか」

「あの件ならお互い様です」ファウラが微笑んだ。

 彼女は、よく表情を変えるようになっていた。


「あまり話してないで早く食べろ」

「あ、はい」慌てて、固い干し肉を口に含んだ。

「干し肉の作り方は今度、見せて教える」

 ファウラは朝食の前に『今日は町まで歩く』と、ロヅから言われていた。ロヅはすでに食事を終えている。

「今夜は宿屋に泊まるようにするから」

 干し肉を噛みながら、ファウラは話を聞いていた。食べ物を飲み込むと、また彼に尋ねた。

「宿屋とは、寝床を貸して下さる所ですよね」

「そう」

 ロヅはこの疑問には躊躇わず応じた。ファウラの境遇を考えれば、彼女が宿を利用したことがないと、想像がついた。

「寝床や炊事場を貸してくれる所。言えば、仮の住まいだな」

「住まい」ファウラは少し考え込んだ。

「家ぐらいの広さを、借りられるのですか?」

「借りるのは一部屋だ」

「一部屋ですか」ファウラはますます考え込んだ。

 ややあって言われたことを理解して、顔をしかめる。そしてこう言った。

「それは絶対に嫌です」

 ……男性の貴方と一緒の部屋は気恥ずかしい。野宿とはまた訳が違う。

 そう、ファウラは懸命に話した。

 野宿が続いても、山道を長く歩いても、ファウラは不満を口にしなかった。

 数日振りの反抗だった。


 二人は予定通り町まで歩き、宿屋で休んだ。ロヅはファウラの意見を聞いて、宿屋では別に部屋を取った。

 だけど望みを聞いたにも関わらず、ファウラは不機嫌になった。

 ファウラは晩から部屋に鍵をかけて、ロヅを自分の部屋に入れなかった。挙げ句には「入って来ないで」と叫んだきり、彼女は口も利かなくなった。

 そうして一晩が過ぎた。朝が来て、旅立つ時間になった頃に、ようやくファウラが部屋から出てきた。

 ロヅは溜息混じりに聞いた。

「なんで閉じ籠ってたんだよ」

「……体調を崩しただけです」目を合わさずに、深く焦茶色のベールを被る。

 ファウラの顔色と機嫌は、朝になっても治らなかった。

 支払いの時に店主が「元気を出しなよ」と、ファウラに親しげに言っていた。


 町での用事が終わり、二人は山道へ入った。

 ファウラは無言で、ロヅの後ろを歩いた。深くベールを被っているせいか、いつもより歩くのが遅い。

「休むか? 具合が悪いのならそう言え」

 道が険しくなる前に、ロヅが足を止めた。ファウラもぴたりと止まる。

「ベールを取れ。山道じゃ危ない」

 ロヅは、ファウラが被っているベールを剥がした。

「勝手に取らないで下さい」反抗的な真紅色の瞳が、あらわになる。

 焦茶色のベールを返しても、ファウラは怒ったままだった。


「何をそんなに怒っているんだ」

「……昨日、宿屋で娼婦の方と一緒でしたよね?」

「娼婦って、どこでそんな言葉」

「答えて」

「どういうものかわかってるのか?」

「はぐらかさないで!」ファウラが感情的に叫んだ。

「……まあ、少し一緒にいたな」

 ファウラは肩で息をしながら、平然としているロヅを睨んだ。

「ロヅ、あの人と結婚していたんですね」

「してない」

「嘘。性行為って、夫婦間でするものでしょう」

 ファウラの言葉を聞いたロヅが、眉をひそめた。……会話に間が空く。

 突飛な言葉の意味を汲み取るには、それなりに時間がかかった。


「やっぱり娼婦がどういうものか……わかってない」

「昨日きちんと人に教えてもらいました。娼婦は性行為を行う女性だと! ……どうして、大事な方がいることを黙っていたんですか!」

「わめくな。とにかく結婚なんて話じゃない。あれは夫婦以外でもやるんだ」

「子を成す行為を、夫婦以外でするものですか」

 ファウラの声は、怒りで上擦っている。

「いい加減にしろ!」ロヅが、ファウラの頭を平手で叩いた。

「子作りが目的じゃない。教えには背くが、そういう性行為もある。……何より、俺は酒場で誘われただけだ!」

「意味がわかりません」

「黙れ」再び彼女の頭部を軽く叩く。

「こんな話は早すぎるだろ。もうやめだ」

 ロヅは早く歩き出したいのか、二度つま先で地面を蹴った。

 ファウラは叩かれた頭部を押さえ、なおも不満そうに彼を見上げていた。


「娼婦の方と……結婚はしていないんですね」

「しつこいな。俺が結婚してないのが、何か不満か」

「そうではなくて――」

 結婚していたら嫌なのだ。とファウラは言いかけたが、やめた。代わりにこう続ける。

「わからないことがあるのが不満なんです」

「今の説明で納得しろ。子供には過ぎた説明なんだ」

 ロヅは吐き捨てるように言い、足早に歩き出した。

 ファウラが立ち止まっていたので、ロヅは踵を返し、その腕を引っ張った。

「ほらさっさと歩く!」

「子供扱いは、嫌ですっ」

「お前は子供か、手のかかる動物だ! ……待て。昨日娼婦について教わったのか?」

「……はい」

「誰に」

「あの宿屋で、お酒を飲んでいた男性に」

 途端にロヅが息を呑み、足を止めた。ファウラと正面から向かい合い、彼女の両肩を掴む。


「何かされたか」

「え」

「その酔った男に、触られたりとか。それで、様子が変だったのかな、と」

 ロヅは歯切れが悪かったが、ファウラにはその理由がわからなかった。

「いいえ。どうしてそんなことを聞くんですか?」瞬きをして返す。

 そんな様子に安堵し、ロヅは深く息をついた。そして、懇願した。

「今後一切、そういうことは男に聞くな」

「そういうことって何……」

「娼婦に性行為に子作り。とにかくお前がわからないこと、全部だ! ……大体なんで、そんな質問だけで外に! ああもう! 次から絶対に、部屋は一つだ!」

「そんなの困ります」

「ファウラが危なっかしいのが悪い。妙な疑いはかけてくるし……目を離したからこうなったんだ。どうせ『誘いは断った』って言っても、理解できないんだろ」

 ロヅが舌打ちをし、再び早く歩き出した。ファウラは慌ててロヅを追う。

 ファウラは困惑していた。

 彼は未婚のようだし、一緒の部屋になるのも実は嬉しい。一人でいると不安だった。

 わからないことに答えてくれなかったけれど、もう喧嘩を続けたくない。

 おずおずと、前を歩く背中に話しかけた。

「すみませんでした……。あの、とにかく、私が誤解していたのですよね?」

「そう」ロヅが足を止めた。

「そんなに怒ってないから、早く歩けよ」

 ファウラが、はい、と返事をして、彼の側に追いついた。


   ◇◇◇

『貴方には先ほどの娘を、守っていただきたい』

 それが、ロヅが賢者テムサ・デクタブルから聞いた命令だった。

 そして数日を共に過ごした後、彼を心から信頼した賢者は、もう一つ頼みごとをしていた。

『ロヅ。出来れば、あの娘の友達になってあげて』

 良い娘なのよ。お茶も満足に煎れられない娘に育ててしまったけど――と。老婆は寝台に寝ながら、可笑しそうに言葉を続けていた。

 その姿は、子供を心配する母親のものだった。

第二章(終)

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