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掌にかかる虹  作者: 繭美
第二章 見えない家
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四日間

 青年が家を訪れた七日後。

 老婆は死んだ。

 少女は老婆の亡骸の側で、泣き続けていた。


 青年には全てを話して、老婆はこの世を去った。

 海に飲まれて死んだと聞いていた賢者。死産と聞いていた二番目の姫。

 どちらの死もまがい物で、賢者は、忌み子とされた姫の命を助けていた。


『この真実は、私と、四人の弟子だけの秘密でした』

 青年は、病死した老婆の言葉を思い出していた。

『最初は好奇心と研究心から、彼女を生かしました。だけどすぐ私は、情から彼女を育てるようになった』

『魔法の使い方も道徳心も、出生も教え込みました。ただ、この森から出したのは数えられるぐらいで。……あの娘は、世を知らない未熟者です』

『病にかかった時、彼女の行く末を何より心配しました』

『何とか命を保たせてきましたが、いよいよ駄目なようです』

『国が消えて、王家も弟子達も消えたと知ったので、手紙を送りました』

『訪れた人間が従わなければ、口を封じれば良いから』

 青年は老婆の命令を聞くと約束した。

 それから、自分を信頼して魔術を使用しないよう、老婆に願い出た。

 魔術を使用しないことは、少しでも長く老婆が生きる為に、大切なことだった。


「この家を離れたくない」

 少女が泣きながら言った。

「なりません。危険です」

 青年が部屋の隅から、淡々と告げた。

「今まで大丈夫だった!」

「それはこの家が幻の術で包まれていたからです。今は術者が死んだから存在しません。貴女一人の魔法ではどうにもならない。獣達に見つかれば命を狙われます。……そして貴女を良く思わない人間に会えば、なおのこと」

「そんな怖いことを、冷静に言わないで。……貴方に私の気持ちはわからない」

 少女はたった一人の身内の亡骸にすがり、泣き叫んだ。

「仕方ない。では言わせていただきます」

 青年が鋭い視線を少女に向けた。

「ここに一人で残る? 危険なのに? ……最後までお前に尽くしたその御方の苦労を、無駄にする気か」

 青年は側面の壁に拳を打ちつけ、激しい音を立てた。

「ふざけるな!」

「……ひ」少女がびくりと身を縮ませた。

「冷静に言うな、と命令しただろう。それとも敬語じゃなきゃ不満か?」

 少女は畏縮し言葉を失いながらも、首を横に振った。

 そんな少女を一瞥し、青年は部屋の外に向かった。

「七日後には出発する。その間に気持ちの整理をつけろ。いいな」


   ◇◇◇

 翌日。少女は前日と同じように、老婆の亡骸の側にいた。

 その次の日の朝、少女は老婆の埋葬を決意した。

 亡骸を埋める穴を掘る作業は、ほとんど青年が行った。その後の作業も二人でしたが、両者の間に会話は無かった。

 そしてさらにその翌日。


 懐かしい気配を感じ、少女は目覚めた。沸いた湯と、茶の匂いがする。

 老婆は朝食の用意をしながら、必ず少女に茶を煎れていた。病にかかった後も、体が動かなくなるまで。

「お婆様?」

 老婆は昨日、少女が土に埋めたのだけれど。

 扉を開けば――実は彼女が生きていて、炊事をしている。そんなことはないだろうか。

 ありえない夢を見ながら、少女は居間の扉を開いた。


 食卓では煎れたての一杯の茶が、湯気を立てている。青年がその傍で、剣の手入れをしていた。

「起きていたんですね」

 少女が話しかけても、青年は無言のままだった。

「昨日は助かりました。埋葬を、手伝って下さって」

「………」

 青年は何も言わず、剣を磨いている。

 少女は入り口に立ったまま、彼と同じ部屋に留まるかどうか、悩んだ。


「この間みたいに、話していいか?」青年が刃面を見たまま、言った。

 老婆が死んだ晩の、怒号を思い出し、少女は怯えた。

「私、怒鳴られるようなことしていません」

 少女は気丈に振舞った。

「違う。言葉づかいだ。あの時はつい崩したけど、元々敬語は苦手なんだよ」

「別に……ロヅ様の、好きにして下さい」

 少女は初めて、青年の名を口にした。

「よせ」青年、ロヅが立ち上がり、食器棚に向かった。そして棚から一つ、茶器を取り出す。

「ロヅでいい。様付けなんて嫌だし、ましてや、お前は王家の生まれだからな。ああ、俺は他の連中の前では、ファウラに敬語を使う」

 老婆からと同じように『ファウラ』と呼ばれたので、少女は親しみを感じた。

 青年は茶器に茶を注ぐと、手元の鞄から果物や乾物を取り出して、食卓に並べた。

 そして煎れたばかりの茶を、少女に手渡した。

「今日は、もう少し食べておけ」

 そう言うと、青年は自分の作業に戻った。


 少女は青年からの施しに戸惑ったが、まず、湯気が出ている茶に口づけた。

 かすかな甘みが喉を通る。老婆が煎れてくれた味には及ばないが、充分に美味しかった。

 老婆の危篤から今日までの数日間、ほとんど何も食べていなかった。……老婆が亡くなってからは、干した果実を二口噛んだだけだ。

 まして人に食事を用意してもらうことなど、本当に久しぶりだった。青年に見透かされていた。

 少女は無言で茶を飲み干し、果物を二つ食べた。

「ありがとうございます。ロヅ様」

 青年が煩わしそうに、己の額を片手で押さえた。

「呼び捨てにしろと」

「目上の方ですし」

「そりゃ皮肉か? 姫」

「そんな呼び方はやめて下さい。……ロヅ」

「そう」

 会話はそれで終わりだった。少女は食後に茶器を片づけて、居間を出た。

 張りつめた気持ちがほどけて、少女は日中から眠った。目覚めた時には、夕食が用意されていた。


 その翌日――老婆の死から四日後。

 少女は用意された朝食を食べた後、ずっと老婆の墓前に座っていた。魔法の鍛錬を日課としていたが、指導してくれる老婆がいないので気力が出なかった。


「何か形見を持ち歩いたらどうだ」と。

 昼頃になって、青年が話しかけてきた。

「俺の友人はそうしていた」

「そうですか」

 青年もしゃがみ込み、老婆に祈りを捧げた。少女は青年の祈りが終わった後で、話しかけた。

「御友人も、大切な方を亡くされたんですね」

「妹を。というか、そいつ自体もう死んでるが」

 青年はこともなげに話した。

「では貴方は、御友人を?」

「あと別の友人が一人。母親は子供の頃に、病死した」

「………」

「テムサ様と同じ病気だったな」


 青年は少女よりも多く、死別を経験していた。

 そして今彼は口にしなかったが、青年は最近、故郷が謎の消滅を遂げた。おそらく現在、彼の知り合いの多くが行方不明だ。生死が定かでない。

 家族も消えているかもしれない。

 少女はそれを察した。そして『貴方に私の気持ちはわからない』と青年に叫んだことを、思い出した。

「すみません。私、勝手ばかり」

 少女が表情を曇らせた。

「なんでそんな顔を?」

 青年は不思議そうに、少女に聞いた。

「貴方の方が辛いのでは」

「……ああ、そう思うのか」

 青年は相変わらず、淡々としていた。

「今のお前ほど辛くなんかない。母親以外は、長くて半日で泣くのはやめた」

「どうして泣くのをやめられたの?」

「……泣いていられないからだ。ファウラだって、駄々こねてここにいれば死ぬだろう」

「………」

「後三日だ」

 七日間で気持ちの整理をつけろと、青年は言っていた。この気持ちをどうにかするには短いと、少女は思っていた。だけどどうしたことか、彼は一つを除いて、半日以下でそれをやっていた。

 今は故郷が消えている己より、親を亡くしたばかりの者が辛いと、思いやった。


「明日で良いです。今日に支度を済ませます」

「できるのか?」

 少女は無言で頷いた。

「外に出たら、ファウラを守るよう務める。テムサ様からの命令だから」

 少女は青年の言葉に、涙を零した。

「私……お婆様に、最後までわがままを言ってしまった。この家から絶対に出ないって」

 涙は次々と零れてくる。

「私は、なんてことを」

 少女は青年の背中に泣きついた。青年は何も言わなかった。

「お婆様、……ロヅ、本当にごめんなさい」

 老婆が死んだ時と同じように。幼子のように号泣した。


 少女はひとしきり泣いた後、自分の衣服や老婆の形見を、鞄へと詰め込んだ。

 青年は、老婆の日記や魔術書を、書庫から取り出した。誰が住んでいたか、特定できないようにした。

 そして二人は翌日の朝、老婆の墓に祈りを捧げ、家を出た。

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