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掌にかかる虹  作者: 繭美
第一章 嘘の話と雲の扉
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明け方

 明け方に亜季は目覚めた。

 静かに寝台から降りると、この国では浮いて見える学生服へと、着替え始めた。

(早く行かないと)焦りながら、制服の金具を上げる。

 亜季は一刻も早く、ベーナ達のもとへ駆けつけたかった。ただ出発前に、どうにも悩むこともあった。

 エルヴァのことだ。


 昨晩遅くまで、彼は懸命に魔法を教えてくれた。

 本を持ったままうとうとしだしたので、亜季は『ここで一緒に眠る?』と聞いてみた。途端にエルヴァは本を閉じて立ち上がり、『俺は一人で眠れるよ』と、眠そうなまま部屋を出て行った。

 そんなエルヴァのもとに行こうか、迷いつつ、亜季は部屋の外に出た。

 そこである人物に出くわした。


「……おはようございます」

「……おはよう、ございます」

 亜季とその人物は、ぎこちない挨拶を交わした。

 夕べ食事の席でだけ一緒だった、エルヴァの兄の少年。背は亜季より高いが、声変わりはまだのよう。

 彼もすでに寝衣から着替えており、手には硝子瓶を持っていた。

「ずいぶん早いお目覚めですね。客人」

「お兄さんこそ」

「私は聖水に使う朝露を取りに行く所です」

 亜季は彼の名前を覚えていなかったので『お兄さん』と呼んだ。食事の前に紹介されたものの、その時しか明確に名前を聞いていない。

『客人』と呼んでくる彼も、同じ状況なのかもしれない。

「あたしはベーナさんの所に、急いで行かなきゃいけないの」

「父の所にですか」

 亜季は真剣な顔で頷いた。

「竜と一緒にいる子は知り合いだから。その子と話せば、状況を治められる」

 少年が眉をひそめた。

「それからもう、帰らなきゃいけなくて」気まずそうに顔を伏せた。


 まだ寝ているエルヴァを起こして、挨拶して行くべきか。亜季は悩んでいた。

 彼に関して、察していることがある。

 最初に出会った時、一人で遠くの森にいた理由。よそ者の自分を慕う理由。

 ……何かがあって、周りが嫌になったからだ。

 亜季はいじめられた経験から、そう察していた。


「貴女の国は遠いのですか?」

「多分、すごく遠いです」

「ではエルヴァには、何も言わずに行った方が良いでしょう」

 少年が静かに言い切った。

「弟は諦めが悪いので。起きれば貴女を引き留めかねません。さて貴女は、弟の手を振りほどけますか?」

「………」

 再会を約束できないなら、黙って行けということらしい。

 亜季は提案に頷き、彼からベーナ達がいる場所を確認した。


「私が森までご案内しましょうか」

「大丈夫。どうもありがとう」

 亜季が申し出を断る。少年もそれを受ける。

 二人は互いの名前を呼ばずに、建物の外まで歩いた。

 別れる手前、亜季は少年に言った。

「ねえお兄さん、エルヴァ君に泣き虫なんて、言っているんだって?」

 少年が、亜季を鋭く睨んだ。

 亜季は怯まなかった。少しでもエルヴァの環境を良くしてやりたかった。

「何があったか知らないけど。もうやめてあげなよ」

「お節介な女だな」彼が丁寧な口調を崩した。

 それから煩わしそうに、エルヴァと同じ黒髪の頭を押さえた。

「父からも似たような注意をされた。よそ者に言われなくたって、やめてやる」

「そう。なら良かった」

 亜季は微笑んだ。

 少年は失礼、と口調を崩したことを詫びた。咳払いをしてこう続けた。

「二度と会わないので教えましょう。私とエルヴァは去年の暮れに、母を亡くしましてね。あいつはひどく塞ぎ込み、それで今も周囲から、腫れ物に触る扱いを受けています」

「……そうだったんだ」

 亜季は昨日の、エルヴァと大人二人のやりとりを思い出した。一人の大人は、エルヴァの名前を聞くなり、叱るのを止めた。

「私は弟を立ち直らせようと、冷やかし始めて。……まあ、度が過ぎました」

 少年は頭を下げた。亜季は、その謝罪はエルヴァにするよう促した。


 亜季はエルヴァとも、エルヴァの兄の少年とも別れて、森に向かった。

(早くさっちゃんに、会いに行かないと)

 もう記憶はごまかせなかった。会えなかった大好きな友達は今、近くにいる。

 自分を急かす為に、過去が夢に出てきたに違いない。


 緑に囲まれた泉の傍で、一人の少女と多くの大人達が、竜を挟んで騒いでいる。もう朝だというのに、彼らの表情は暗い。

「いいか、お前達。よく覚えておけ。額に紋様のある火竜は特別だ」

 神官のヤハブは、原因の見張り番達に、再三言い聞かせていた。

「あれは主人付きの竜なんだ。手出ししなきゃ、襲ってこない筈だ。今後は見かけてもすぐに騒ぐな。……神と四大の精霊に誓え」

 ヤハブは友人との食事を中断して、徹夜の仕事に出ていたので、機嫌が悪かった。

「主人の奴がいてくれたら、こんな苦労は」と愚痴をこぼしていた。


 対立している紋様のある火竜は、本来は友好的な性質だった。だが兵士に襲いかかられたので、警戒を解こうとしない。爪を立てて構えている。

 そしてどうやら、小さな少女を、守っているらしかった。

「あんた達、どこか行ってよっ! 竜さんに何する気なんだよ!」

 竜の足元にいる少女は、昨日の晩から怒り続けていた。

 竜と対立しているのは、剣を携えた者に、杖を携えた者など。そんな大人達を相手に、その少女は一晩刃向った。丈夫な子供だと、竜と対立している者達は思っていた。

「君は早く竜から離れなさい」杖を地面に置いた者が、座ったまま呼びかけた。

「やだやだ! あたしがこの子から離れたら、あんた達は何するかわかんない。あたしの世界でも、おまわりさんが竜さんをいじめたもん!」

 小さな少女が大きな竜にしがみつく。少女の栗色の髪と、髪に結んだリボンが揺れた。


「おまわりさんって、何者だろうな」

 ヤハブが呟くと、傍らの兵士は首を傾げた。

 暗い面持ちでいる彼らに、頼りない声がかかった。

「あの、これからあの子達と話してくるので……少し下がってもらえますか?」

「……細っこいの。どうしてここに来た?」

「……体型のことは、放っといて下さい」


 現れたのは亜季だった。兵士は学生服を着た亜季を、不思議そうに眺める。

「危ないぞ。城に戻っていろ」

「平気です」

 亜季は一歩、紋様のある火竜へと踏み出した。竜は亜季に気がつくと、大人達を睨むのをやめた。立てていた爪をしまい、ゆったりと尻尾を振っている。

 竜の突然の変化に、周囲はざわめいた。

「あたし、竜にさらわれたんじゃなかったんです。……記憶が混乱しちゃって、皆さんに沢山、ご迷惑をおかけしました。本当にごめんなさい」

 大人達が下がると、亜季は竜と子供に近づいた。竜は穏やかだが、少女の顔はまだ険しい。


 亜季は少女をじっと見た――可憐なワンピースを着ているのに、履くのは汚れた運動靴。髪には桜色のリボンを結び、顔と膝には絆創膏を貼っている――。

 そして黄と赤の花で作った花冠を持った、少女の姿を。


 亜季は少女の名前を呼んだ。

「亜季ちゃん」

 突然名前を呼ばれた少女は、目を丸くして驚いた。

 亜季は幼い自分に、皮の水筒と柔らかいパンを差し出した。

「喉が乾いたでしょう。これも食べていいよ」

 幼い亜季は突然の施しに瞬きをし、パンと、それをくれた亜季を、交互に見た。

「竜さんは亜季ちゃんのおかげで、すっかり元気になったみたい。それからあそこにいる人達には、何もしないで下さいって、あたしがお願いしてきたから」

 亜季は膝を折り、小さな自分と視線を合わせる。

「あとは竜さんからもお願いすれば、もう大丈夫」

「お姉ちゃん、誰」

 亜季は笑った。

「亜季ちゃん達があたしを、ここに連れて来たんでしょ。ほら、竜さんが途中でどこかに、寄り道した筈だよ」

「竜さんに」幼い亜季が傍らの、朱い竜に体を付けた。

「さっちゃんが、途中から掴んでいた人?」

「そうだってば。あたしもさっちゃんと友達なの。だから、亜季ちゃんの名前も知っているんだよ」

「そっか」

 幼い亜季は納得した。朱い竜が、亜季にも親しげに擦り寄ったからだ。

 幼い亜季は持っていた花冠を被り、パンと水筒を受け取った。


「さっちゃん」

 亜季が、竜の茶色の瞳を見つめた。

「さっちゃんから話せば大丈夫だよ。信じて」

 竜は首を縦に振り、了解の合図を出した。少女達から少し離れ――そして瞬間で、己を炎の塊に変えた。


 炎はすぐに消え、そして赤い髪の少女が、姿を現した。

 幼い亜季と十四歳の亜季の、中間ぐらいの年齢の少女。

 肩にかかる髪と大きな茶色の瞳は少女らしく、服装や体型は少年らしさがある。中性的な少女の額には竜と同じ紋様があり、耳の先は、角のように上へ尖っていた。


「もう、何もしないーっ?」

 竜だった少女が、大人達に大声で問いかける。

 多くの者は、何が起こったか理解できずに、うろたえていた。竜の素性を知っていた何人かは、そう驚かなかった。

「何もしない! 約束する。誤解だったんだ!」

 神官のヤハブが、少女の問いかけに大きく応じた。

「じゃあサキも、何もしないよ。帰っていいよー」

 少女は両手を何度も振り、明るく答えた。

 ヤハブと、それから何人かの者が、撤退の指示を出した。

 事態はあっけなく収束した。


 亜季は駆け足で、ベーナのもとに行った。ベーナが優しく目を細めた。

「ありがとう亜季。実に助かりました」

「こちらこそ」亜季は空になった革の水筒を、ベーナに返した。

 ベーナは、泉の淵に立つ赤髪の少女を見て、微笑んだ。

「驚きましたが、あの竜の御友人だったのですね。帰り道は送ってもらえそうですか?」

「はい」

 亜季は穏やかに微笑んだ。

「あたし、もう帰らないといけません。一晩お世話になりました。……エルヴァ君が起きたら、エルヴァ君にも御礼を言っておいて下さい」

「わかりました。お気をつけて」

「さようなら。本当にありがとうございました」

 亜季とベーナは、互いに丁寧に頭を下げた。

「またいつでも、いらして下さいね」

 彼の締めの言葉に、亜季は笑顔のまま、力なく頷いた。

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