表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
掌にかかる虹  作者: 繭美
番外編
44/47

後日譚:竈の火

 火の精霊を称える言葉を、(かまど)に向かって唱える。小さな炎が竈の中に宿る。炎は薪へと移り、しだいに大きくなってゆく。

 再び火の精霊を称えると、炎は高く燃えあがった。

 女は竈の火で、骨付きの燻製肉をあぶり、鍋を温めた。


 道沿いにある窓からは、行き交う人々が見えていた。誰もかれもが、毛皮や厚い服を着込んでいる。

 宿屋の女将は常連客に、燻製肉と、穀物と豆が入った汁物を出した。熱い燻製肉は油が弾ける音を立てていて、長く煮込まれた汁物は、白い湯気を出している。

 常連客の男は、泥のついた袖をまくり「寒い季節にありがたい」と、喜んだ。


「だけど、酒がついてないぞ」

「朝は出さないよ。お茶で我慢しな」

「仕事終わりには酒がいる」

「あんたは朝の畑仕事が、終わっただけでしょうが」

「畑でやれることが少ないんだ。もう少し暖かくならないと」

 男は手をすり合わせて笑い、頬の皺を深くした。

 女将はかっぷくが良い体を揺らし、男の向かいに座った。

「私は忙しいってのに」

「嘘つけ。前より暇そうじゃねえか」

 男があぶられた燻製肉に噛りついた。肉汁が溢れて木皿に落ちる。

「暇じゃないさ。暖炉の薪が切れているから、小屋まで取りに行かないと……」

 女将は辺りを見回した。すぐ近くに石造りの暖炉がある。

 建物の一階で営んでいる食堂には、男の他に、食事をしている者はいない。奥の席にひとり、昨晩から宿泊していた女がいるが……ただ座っているだけだ。食事はいらないと断られた。

 そして宿屋を営む二階には、誰もいない。

 今朝はそう忙しくない。食堂の暖炉に火をつけるのは、昼からでも良さそうに思えた。

「……まぁ、迷い人や、消えた国を見に来る詩人やらが、いなくなったからね。もともとうちは、昼と夜の食堂が要なんだよ」

「忙しいときは、ここで子供を働かせてたよなぁ」

 男が汁物をすくい、口に運ぶ。豆の出汁が効いた汁を飲み込み、体を中から温めた。


「なんて名前だったっけ。あの、よく厨房にいた子」

「アキ」

「そうそう」

「もうひとりは、ミノリ」

 女将は首を捻った。

「……子供って年齢でもなかったわ」

「俺達から見たら子供だろう。あの子ら、どうしてるかな」

「さあね」

 外では冷たい風の中、年端のいかない子供が歩いている。

「なんの連絡もないから、わからないよ」

 宿屋の女将は、数か月前に滞在していた少年少女の顔を、思い浮かべた。

 金銭もなく、寝泊りする場所にも困っていた、迷い人達を。

 女将は労働を条件に、そのふたりに屋根裏部屋を貸していた。


「便りもなしかい」

「忙しいんだろうさ。あのルカナーディに、帰ったんでしょうし……」

「………」

 男はしみじみとしている女将を見ながら、肉の骨をしゃぶった。

「女将は、あの子らがルカナーディから来たと。そう思っていたのか?」

「ええ」

「俺はそう思わない」

 男は木皿に骨を置いた。

「は? あの子達がルカナーディのほうから来たって、自分で言っていたんだよ?」

「それは嘘かも」

「どうしてそんな」

「とりあえず、そろそろ茶が欲しい」

「ああ忘れていた」

 女将は厨房に戻り、熱い茶を淹れた。常連客の分と、宿泊客の女の分とを。

 香辛料が効いた茶をトレイに乗せると、女将は食堂に戻った。

 食堂の奥では、女が頬杖をついて外の往来を眺めている。男は汁物の底に残った、豆をすくっている。

 女将は女の前に茶を置くと、再び、常連客の向かいに座った。


「どうして、あの子達がルカナーディの人間じゃないって、思うんだい?」

 男は声を低くした。

「いや――アキは厨房にいたけれど。ひとりじゃ、竈の火もつけられなかっただろう?」

「まぁね。火をつける魔法も、火打ち石も、使えない娘だったよ」

 厨房の竈では、女将が魔法でつけた火が燃えている。

 竈の火は、寒い季節には暖房としても役に立つ。

「魔法は全然使えないって、私に言っていた」

「だろう? それに、細っこかったじゃないか」

 アキは髪が短い娘で、いつも細いうなじが見えていた。

 気配りができる働き者だったが、倒れないか心配になるほど、華奢な体型だった。

「そんな非力な娘が、ルカナーディから来ていたと思うのか? ……あそこの民は山から降りてくる獣と、年中戦っているぞ」

「うーん」

 女将は顎に手を当てて、考え込んだ。

「高い身分だったのかも」

「アキは『どうして断食するんですか』って、断食中の神官に聞いていたな」

 男が肩をすくめた。

「……その男は真面目に答えていたよ。神や四大精霊に大切な祈りを捧げる日は、魔力の質を高めるために食事を絶つ。これは小さな子でも知っていることだから、覚えておけと」

「………」

「こう言っちゃなんだが、物知らずだった。大体、料理が好きなのに竈に火がつけられないってのも、おかしな話じゃないか」

「魔法が駄目なら、火打ち石の使い方を覚えるわよね……」

「アキはもっと遠い、よその国から来ていたんじゃないか?」

「それも突飛じゃないかしら。……だってミノリは別に、物知らずじゃなかったし」

 女将と男は額を近づけた。


 そのとき、きぃ、と、戸口から音がした。

 見れば年端のいかない子供が、宿屋の入り口に立っていた。

 子供は薄い服を着て、頭から外套(がいとう)を被っている。外が寒かったのか、硬い表情をしている。

「いらっしゃい」女将は慌てて立ちあがった。

「寒そうだね。今、暖炉に火を……」

「いい」

 途端、食堂の暖炉に火が灯った。

「自分でつけるから」

 子供は女将の側を通り抜け、暖炉の前にしゃがみこんだ。

 あまりにも素早く火をつけるので、女将は唖然としたが、気を落ちつかせて尋ねた。

「食事をしに来たの? それとも、宿泊?」

「どっちでもない」

 子供は外套を被ったままだ。少年の装いだが声は高く、性別ははっきりとわからない。

「……待ち合わせ」

 外套の下では、赤い髪と茶の瞳が、凍えて震えていた。

「その子、結構前から外をうろついていたぞ」

 男が、香辛料が入った茶をすすった。

 女将は温かい茶をすすめたが、子供はそれを断った。


「何もいらないから、さっきの話の続きをして」

 子供が上目で、女将達を見た。

「続きと言われても……」

 女将は考えあぐねて、常連客と目を合わせた。

「どこから来たかわからんで、話が終わったな」

「そうじゃない」

 暖炉の火が、空気を飲み込んで大きくなる。

「……アキとミノリが、どんなことをしていたか、聞きたいの」

 揺らめく火の側で子供が呟く。

 女将はその横顔を見て、ああ、と声を漏らした。

 子供は以前にも、ここへ来たことがある。

「あなた、あの子達の友達ね」

 子供は大きく頷いた。

「友達の話が、聞きたいってことね」

「うん。……もう会えないから」

「わかったわ」

 女将は子供に、思い出せる限りの話をした。


「で……ここを出ていくときに、またおいでって言ったの」

「うん」

 子供は静かに話を聞いていた。

 話をする間に、竈の火は小さくなっていた。しかし暖炉の火は、まだ大きく燃えている。

「これくらいでいい?」

「ありがとう」

 子供が軽やかに笑う。そして立ちあがり、体を上に伸ばした。


「じゃ、行くね」

「え? 待ち合わせって言ってなかったかい」

「相手はもう来ている」

 子供が身を翻して、暖炉に背を向けた。

「……本当は、外で待ち合わせだったの。けれどいつまで経っても、出てきてくれないから」

 子供が顔をしかめて、部屋の奥を睨んだ。

「寒かったよ!」と叫ぶ。

 奥では若い女が、風味豊かな茶を飲み干そうとしている。こちらは見ていない。

「ああ、あの人とか」常連客の男はとうに、茶を飲み終えていた。

「……ひどいよ」

 子供は女を睨んだまま、小さく唸った。

「まぁ、いいじゃないか。暖炉にあたる間、色々と話せた訳だし」

 女将は子供の肩に、大きな手を置いた。

「冷えはおさまった?」

「うん。温まったよ」

 子供は笑顔に戻った。

「……あのね。ルカナーディじゃないよ。アキ達は、もっと遠くから来ていたの」

 奥の女が立ちあがる。それと同時に、暖炉の火が弱まった。

「遠くって――」

「どこよりも遠い所だよ」

 子供が戸口に向かうと、暖炉の火は消えた。

「じゃあね」

 子供は大きく手を振り、女と去っていった。


 急に火が消えたので、女将と男は、暖炉の中を覗いた。

 暖炉はただ煤けているだけで、薪も、炭もなかった。……薪を切らしたままだった。

 子供はここにいる間、ずっと魔法だけで、火を燃やしていたらしい。

 女将は口を開けて驚いたが、常連客の男は「まぁ国が消えるよりは、ましなことだ」と、苦笑いをした。


 竈の火は、まだ薪を燃やしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ