敵わない
刃を潰した剣を持った少年は、草原に来ると、ひとり寝転んだ。
「ああもう、畜生!」と低く変わりはじめた声で、悪態をついた。
「悔しい?」
若い女がやってきて、少年の顔を覗いた。
「また負けた」
「でしょうね」
「剣を当てることも、できなかった!」
「……そんなに悔しい?」
女は目を疑った。少年は悔し涙を堪えている。
「手加減されてるってのに」
「ロヅ」女は呆れ顔で言った。
「あの稽古相手に……本気を出されたら、命が危ないのよ」
「わかってる。だけど剣がかすりもしないのは、俺が未熟だからだ」
「………」
「次は当てるって、伝えてくれ」
少年は目元をこすって起き上がり、足早に去っていった。
女は従者である竜のもとに行き、少年の言葉を伝えた。
「友達ができて良かったわね」
竜は満足げに首を振った。
◇◇◇
そうして竜と少年は交流を深め、月日は過ぎていった。
少年は青年へと成長し、ある日、彼の住む国は一晩で消えた。
それは風もない、穏やかな晩だった。
竜は主人の女と共に、山にいた。獣の血や崖の上に生える香草。そういう魔術に使うものを、主人と探しに、山へおもむいていた。
夜になって主人と休んでいる時に――空が一瞬、白く輝いた。
何事かと思い、竜は白い空に飛びあがった。竜が上空に辿り着いた頃には、空は深い群青色に戻っていた。
地上は何かがおかしかった。明暗に違和感があった。
竜は地上に目を凝らし……山間にあった、小さな王国が。
嘘のように無くなり、そこにただ平地が続いていると、気がついた。
王国が消えて三日後に、国の外にいた国民達が集まった。
そこで竜は友に再会した。
彼は、生まれ育った故郷が消えたことで、言葉と表情を無くしていた。
元々寡黙なところはあるが、それでも竜の記憶の彼と、比べ物にならなかった。
竜は一言二言、声をかけてみたが、彼からの返事はなかった。やがて主人に話しかけるのを止められて、竜は友と別れた。
それから数か月後。
竜は主人の言いつけで、友の青年のもとに、ひとりで向かうことになった。
竜は人間に変身して、待ち合わせた町へと向かった。
◇◇◇
「久しぶり」
赤髪の少女は笑顔で、黒髪の青年を見上げた。
青年は少女を迎えに、町の入り口まで来ていた。視線は少女に向いていない。
「ロヅ、元気にしてた?」
「生きてはいる。いや、そんなことはいい」
青年は用心深く辺りをうかがっていた。
賑わう昼間の町には、こちらを見ている者はいない。少女はひとりでここまで来た――青年はそれを確認すると、少女の手を引いた。
「ふたりで話したいことがある。サキ、来てくれ」
「うん、いいよっ」
竜の少女は、にこやかに青年についていった。
青年は路地裏に入ると、そこで足を止めた。泥やカビなど、影に溜まる匂いが、辺りに漂っている。
青年は黙って、少女の笑顔を見つめた。
「話って、何?」
「お前は主人の命令で、ここに来たよな」
「そうだよ」
「……見張りか?」
ひとことで笑顔が曇る。
「そうだよ」
少女の瞳に、獲物を捕らえる獣の鋭さが宿った。
「ロヅ達をよく見ておけ。守れ。そうメジストに言われている」
「それだけじゃないだろう。俺に打ち明けられない命令も、受けた筈だ」
竜の少女が黙り込んだ。瞳はまだ鋭いまま、青年を見据えている。
青年も少女の瞳の奥を見つめた。探るように。
「剣が当てられるようになっても、俺はお前に勝ったことがない。まだ敵わないんだ」
青年が悔しそうに言った。少女はじっと言葉を待った。
「だから……頼む。どう思っても、あいつの命だけは」
「心配しないで」
少女は青年の手を引いて、彼の懐に飛び込んだ。青年の背に、腕を回した。
「サキを信じてよ。稽古の時もいつだって、ちゃんと手加減してたでしょ? 怪我させないように」
「………」
「サキは、ロヅにひどいことしないよ。もちろんメジストの言うことも聞くけど……」
「……サキ」
青年が声を和らげた。
だが同時に、少女の襟首を掴んだ。少女を強引に、己の体からはがした。
「痛い」少女が言った。
「いや。お前は、手加減を誤ったことがある」
青年はまだ少女の襟首を掴んでいる。
「そうだっけ?」
「俺が優勢だった時、いきなり火を使った」
「あー、あれね。だって痛かったんだもん」
「あの時は怪我したぞ……」
青年は昔話のあと、深く息を吐いた。少女から手を離した。
少女はまた明るく笑った。
「まぁ相手がお前だから、ここまで話せたんだけどな」
「ほらね?」少女が両手を広げる。
「もう抱きつくな。腕までならいい」
「うん!」
少女の形をした竜は無邪気に、青年の腕にしがみついた。
「ねえ、そろそろファウラに会わせてよ」
「そうだな。行くか」
竜は主人の命令で動いていたが、この町に来るのが楽しみでもあった。
国が消滅した直後よりは、前の青年に戻ったと聞いていたからだ。……そのとおりで、竜は青年と話ができて嬉しかった。
竜の楽しみは、もうひとつあった。青年が保護している娘に会うことだ。彼女は自分の、新しい友になるかもしれない。
竜は青年が案内した部屋に着くと、まず。
そこで待っていた髪の長い娘に、勢いよく抱きついた。