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掌にかかる虹  作者: 繭美
番外編
41/47

名無し

 一瞬で、朱い竜が炎に包まれた。

 雄々しい姿は見えなくなり、叫び声もない。

 周囲は木々に囲まれていた。炎の前には若い女がいる。女は怯えることなく、激しい炎を見つめていた。女の外衣が熱気で揺れる。

 燃えさかる炎は次第に小さくなっていった。

 縮みゆく炎から、幼い赤髪の少女が現れる。

 炎から現れた少女の肌には、火傷ひとつなかった。赤い髪も服も焼けていない。

 少女は己の肌で消えていく炎を、虚ろな表情で見つめていた。


 炎が完全に消えたあと、女は少女に近づいた。少女は大きな瞳で女を見た。

「……話せる?」女が聞いた。

 少女はぎこちなく口を開けて、うなり声を出した。

「無理そうね」

 女が少女に背を向ける。木陰に入り、幹の根元に腰を下ろした。

 竜が人間の体に慣れるのを、待つことにした。


 女は森で、朱い竜に出会った。

 その竜は何日間も、国境の森で佇んでいた。女は知り合いの魔術師から、佇む竜の話を聞きつけ、森へ向かった。

 佇む竜は人語を理解している。そう聞いた女は、竜に強く興味を持った。

 話に聞いたとおり、竜は人間の言葉がわかるようだった。だが話すことはできない。女は竜に、人間になりたいかと尋ねた。竜はすぐに頷いた。

 私の命令に従うのなら、人間に変身する能力を授けてやる。

 魔術師の女は竜にそう持ちかけた。


  ◇◇◇

 魔術師の女は、祖国の術を竜に施した。額に紋様を描き、竜が秘めている力を、全て引き出した。

 力のある竜は老年、人間に化けると伝えられている。

 女が見立てたとおり、紋様を描かれた竜は、人間に変身してみせた。

 竜は己を炎で包み、人に姿を変えた。

 変身してすぐは、立っているのがやっとのようだった。だがそれから一日経つと、竜は人の姿で自由自在に動き、話すようにもなった。


「見て。人間」

 竜の少女はそう言うと、体を宙に浮かせた。

「この体でも浮けた」

 少女が大きく手を振って、体を前に回転させる。女は怪訝な表情で、浮かぶ少女を見つめた。

「竜は、翼で飛んでいるものだと……」

「浮くのは魔法。翼は進んだり、向きを変えるときに必要」

 少女は地面に降りると、今度は掌の上に、小さな火を出した。

「火も魔法」

「ああ、それはそうだと思っていた」

 女は外衣の下から煙管を取り出した。短い呪文を唱え、煙管に火をつける。

 白い煙をひとつ吐いたあとで、女は少女に言った。

「私のことを『人間』と、呼ぶのはやめて」

 少女は、女を頭から足の先まで見て、聞いた。

「人間ではないのか」

「そうじゃない。まぁ、この大陸の人間ではないけれど……」

 女は己の髪から出ている、長く伸びた耳に触れた。

「名前で呼びなさい。私はメジスト。出会ったときも、名乗ったでしょう」

「メジスト」

「そう」

 女はふと考えた。従者らしい呼び方を、させるべきかと。

 ……上辺だけかしこまられるのは好きではない。このままでいい。


「メジスト」少女が繰り返し呼んだ。

「何」

「わたしに名前をくれないか」

「………」

 女はすぐに返事をしなかった。煙管が吸い終わるまで少女を待たせた。

「どういうこと。竜は名前を持たないの?」

「持たない」

「人間ほど群れないからか」

 女は少女の正面に行き、その額を見た。少女の額には、女が描いた赤い紋様がある。

 女はそっと、少女の額と頬に触れた。

「名前はその者を支配する。そう言われるだけの力がある――」

 少女は女の手の感触に、気を取られた。見下ろされていると気づかない。

「だから私は名づけない」

 女は紋様を見つめ、祖国の言葉で呪文を唱えた。

 途端に少女は悲鳴をあげ、その場に崩れた。うずくまり、人でないうめき声を漏らす。急に全身を走った痛みに、苦しんだ。

 女はその様子を黙って見ていた。

「……今は呪文の一部だけを唱えた。長く唱えれば命も奪える。忘れるな」

 少女を襲った痛みは、女の呪文によるものだった。

 少女は女を睨み、低く唸った。

「嫌なら紋様を消してもいいわよ。そのかわり、あんたはその姿も失うけれど」

 少女は唸りをひそめた。

「その体が大事?」女が嘲笑う。

 少女はまた、獣の唸り声をあげた。

「……わたしをからかっているのか」

「まさか。あんたの言動が面白いから、笑っただけよ」

 女は目を細めてそう言い、竜が立ち上がるのを待った。

「私はこの近くの王国の手助けをしている。だけど別大陸の人間である私を、良く思わない者もいる。……だから強い下僕が欲しいとは、思っていたの」

 女が人差し指で、少女の額をはじく。

「私はもうその体を支配している。名前くらいは好きにしなさい」

 少女は女を睨むのをやめた。

「言うことを聞けば何もしないか」

「ええ。私もあんたを助けるわ。……名前はどうする?」

「無しでいい」

 名前を持たずに生きてきたから。竜の少女はそう答えた。


 それからしばらく、女は竜と共にいた。

 竜が変身した体により慣れるよう、見守った。時折、立ち振る舞いに注意した。竜は警戒しながらも、女の言うことに従った。

 女は竜の望みが『人間と親しくなりたい』であると知った。


 ある日、女は竜の少女に、自由に行動してくるよう命じた。

 少女は次に落ち合う日と場所を聞くと、己の体を炎で包んだ。大きな竜に戻り、翼をはためかせて、空高く飛び上がった。

 ……人間に憧れている癖に、本性は竜そのものか。

 女は空飛ぶ竜を見上げて、竜はこのまま帰ってこないかもしれないと思った。

 そう考えると気が晴れるような、影が差すような――。どう呼べばいいかわからない感情を、胸に抱いた。


 女は竜を自由にさせた間、手助けしている国のために遠くへ出かけた。 

 用事を済ませて、竜と約束した日に国境の森へ行った。

 落ち合うと決めた場所。そこに竜はいた。しなびて変色した花冠を被り、上機嫌で女を待っていた。

「メジスト!」

 竜は少女の姿で高らかに笑い、女に手を振った。地を蹴るような走りで、女の側に向かう。

「……ずいぶん人真似がうまくなって」

 女は口角をあげた。

 幼子の振る舞いを覚えた竜は、ここ数日の出来事を全て、女に話した。

 竜は、サキという名前も手に入れていた。

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