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掌にかかる虹  作者: 繭美
第十二章 願い
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歪み

 亜季は真っ白な闇を走り、瞬間で、交差点から、塔の屋上に戻ってきた。

 元へ還そうとする力に、逆らえたようだった。


 煉瓦造りの床を踏んだ所で、振り返る。背後には光の柱が立っていた。

 魔法陣があった場所から、淡い虹の輝きを持つ光の柱が、空へと伸びている。虹の輝きは縦にゆらめき、あたかも滝のようだった。

 亜季は一人だった。

 体を借りられていた少年は、この光の柱を通って、無事に帰ったようだった。

 そして、彼とは違うあの少年は。

 別世界に来た時から、一緒だった少年は、近くにはいなかった。

 元の世界へと続く眼前の虹からは、亜季は何も、感じなかった。

(だけどまだどこかにいる)

 亜季は空を見回した。

 遠くに、消えかかった虹を見つける。……そこへ行こうと決めた。そこにいると感じた。 

 駆け出した時に、血液が入った小瓶を、知らずに蹴飛ばした。


 塔の長い階段を、足がもつれそうになりながらも、一気に駆け下りる。

 塔から出て、森林を走り始めた頃だった。

「亜季!」誰かが走る亜季の腕を、背後から掴んだ。

 腕を掴んだのはロヅだった。亜季は強い力で引き留められ、体を前に倒しそうになる。

「どうしてこんな所に。あの光なら、もう弱くなってきてる!」

 ロヅが目で示した先は、先ほどの円形の塔の上。

 屋上を包む霧雲と、中に立つ淡い光の柱は、二人がいる場所からでも、はっきりと見えていた。

「帰れなくなるぞ。さっさと戻れ!」

「違う! 大変なの!」

 亜季はロヅの手を振り払おうと、掴まれた腕を大きく振った。手は振り払えなかった。

「みのりの馬鹿がいなくなった。……帰ったんじゃなくて、まだこの世界にいるの! それだけはわかるから……あたし捜しに行かなきゃ!」

「俺が今から捜す。だから亜季は塔に戻っておけ!」間髪入れずの返答だった。

「嫌だ! この世界に残っても、構わないから!」

 もう一度、自分を制止する手を払おうと、亜季は腕を振った。試みはまた失敗した。

「それよりみのりを捜せない方が、みのりがいない方が、後悔するんだ」

「入れ違いになったらどうする気だ」

「あの子は一人じゃ帰らない! ……説明してる時間も無いの。お願いロヅ! あたしを止めないで!」

「……じゃあ勝手にしろ」ロヅが、亜季の腕を放した。

 そして「早く行け!」と命じるように言い、亜季の背中を強く押した。

 二人は離れ、それぞれ別方向に駆け出した。


 ――完全に元へ還る。歪みは、今ある心は、全て消す。

 少年の言った言葉が、亜季の体を急がせていた。


 亜季は、虹が出ている方向へ走っていく。

 霧は塔に上る前より、晴れていた。先ほどよりも確かな景色が、走る亜季の視界に飛び込んでくる。

 消えていた国の景色。

 国が姿を現していった分だけ、別れは近づいていた。

 少年は、己の決意へと向かっていた。

 自分は何も知らずに、手伝っていた。……それを心底悔やみながら、亜季は走り続けた。

 そんな亜季の頭上を、大きな影が横切った。

「さっちゃん!」

 亜季が空を仰ぎ、友の名前を呼ぶ。

 サキは亜季が走る少し前に着地した。国の中心部に建つ、城の前へと。

 突然、空から降りてきた大きな火竜に、近くにいた人々は一斉にどよめいた。城の中からは、兵士が駆けつけようとしていた。

 以前、似たような風景をまのあたりにした亜季は。

 すぐさま彼らに怒鳴った。

「騒がないで! その竜は『サキ』です!」

 場を裂くような声が出た。人々が亜季の方を向く。

 亜季はサキの側まで駆けつけ、両手を広げてかばう姿勢を取った。

 立ち止まった亜季の体に、疲労が襲いかかる。亜季は息も整えず、喉が痛むような声を張り上げた。

「紋様が、今は見えてないだけで、この子はサキなんです。メジスト様の、使いの!」

「しかし」

「何度もこの国に来てるんだから! 紋様が無くたって、わかってくれて良いでしょう!」

 亜季は何か言おうとした者の言葉を遮った。

 サキは亜季の後ろで、首部を地面に付けていた。

 何もしてこない朱い竜と、竜をかばう風変わりな少女に、人々は戸惑った。

「……とにかく今は、この子はあたしを迎えに来ただけですから!」

 亜季は叫び、頭部からサキの背中へと、乗り込んだ。

 サキは軽く唸って、人々を自分から離し、高い空へと飛び上がった。


「ごめん。……本当にごめんね。さっちゃん。あたし、やっと知ったの」

 上空。亜季は全身で竜の背中にしがみつきながら、悲痛な声で話しかけた。

「さっちゃんはきっと、とっくに知っていたんだよね。メジストさんと契約する時にかばったのは、あたしだけじゃ、なかったんだね……」

 サキはルカナーディの町が戻ってきた時、時間と空間の歪みの気配を、少年から感じた。そして、少年から真実を知らされていた。

「あたしや国を戻すと、あいつが還るから……さっちゃんは、板挟みだったんだよね?」

 サキからの返答は無いが、気持ちは通じ合っている。

 亜季もサキも、互いにそれを理解していた。

 亜季が人々からサキをかばい、乗り込んだから。サキは亜季を乗せて、一直線に虹が出ている方向へと向かったから。

「謝ってばかりだけど、本当にごめん。……だから、今からあたしも手伝う」

 ロヅに『別世界に残っても構わない』と、啖呵を切った亜季だが。

 本当は、これから自分がどうなるかなど、頭に無かった。

 この時の亜季には、まさに二の次だった。

「あいつ……とんでもない所に、還るつもりなんだよ」亜季の声が震えた。

 サキは少年が還るのを止める気でいたが――あの少年がどこに還るかは、先ほど明確に知った。

 虹は見る間に、夕闇の空に消えようとしていた。


 サキは亜季を乗せて、ルカナーディの国境を超えた。山岳地帯へと突入した。

 その頃にはもう、とうに日は暮れており、虹も消えていた。

 そんな暗闇の中でも、亜季とサキが向かった場所だけは、薄く様々な色に光っていた。

 その光は、彼女達にしか見えていないかもしれなかった。

 サキは小さな谷の側で着地した。この谷の底が、あの虹の根元だった。


 谷の側に到着した時には、光は色を変えていた。

 上空から見た時には淡い虹色をしていたが、今は白銀色。

 霞のような薄い光が、谷底に瞬いた。谷底に求めるものがいると、亜季とサキは感じた。

 サキは、何とか谷底まで亜季を連れて行けないかと、往生していた。谷底へ行くには、竜の体は大きすぎた。

「あたしが行ってくる!」サキの体を押して、亜季が谷へ足を踏み入れた。

 そして一人、谷底へと向かい始めた。

 急な谷壁を降りたことがない亜季の体に、谷風が吹き付けてくる。来ることを、拒んでいるかのように。

 亜季は少し降りた所で、谷底の光が、より鈍くなっていると気がついた。

(間に合わなくなる!)

 危機を感じた亜季は、谷壁を滑り降りた。途中で細い体を崩した。亜季は体に傷をつけ、地面に強く打ちつける形で、谷底に到着した。口の中が切れた。どこか骨も折ったかもしれないが、それらに構う気はなかった。

 体を起こし、求めるものを捜し始める。

 谷底では、様々な光が失われていっていた。

 ここの岩面には、青以外の色の、輝く石が埋まっていた。だがそれらは全て、岩の色に同化していっていた。


 そうして光が失われている谷底の、一角だけ。

 白銀色の光が、くすぶっていた。


 小さな輝きだった。亜季よりも小さくなっていて、もう雲のように見えない。

 虹色の輝きなど欠片も窺えない。

 しかしそこに彼はいた。亜季はそれを感じた。彼に言いたいことは、はっきりとしていた。

 傷ついた体で、力の限り。

 亜季は白銀色の光に向かって叫んだ。

「嘘つき! あんただけはって、信じてたのに! ……大嘘つきっ!」

 裏切られたことへの腹立たしさ。

 それが亜季の体を、最大限に動かしていた。

「前に言ってくれたじゃない。一緒にいようって、二人で考えようって! あんたが……あたしが、知っていたみのり君じゃなくても。嬉しかったに、決まってるじゃない。……あの時、あたしがどれだけ安心したか、わかってなかっただなんて……本当にひどい本音だよ。馬鹿!」

 勢いよく、まくしたてていく。亜季はこれまで生きてきた中で、一番怒っていた。

「もう充分に元通りじゃない! せっかく、生まれた心じゃないの。全部消さなくていいよ!」

 亜季はいつかの夢を思い出していた。永い間、何も無い場所で孤独になる夢。

 あれは、少年が体験した記憶が、流れ込んでしまったらしかった。

 永い孤独を感じていた魂が、目の前で消えようとしている。自ら無に還ろうとしている。

 それも自分を助けたことへの償いとして。理に逆らう代償として。

「それに……あんただけが一人でいる必要なんて、無い! ……言ってやる。あんたを仲間外れにする世界なら、そんな世界なんて! 本当に、放っとけば良かったんだ!」

 もう少年は肉眼では見えないけれど、そこにいるとわかる。

 だけど何の返答も無い。

「世界なんて二人で考えようよ。それか……こんな方法で命を助けてもらっても、あたしは喜べない。だから」

 もう、言葉など届いてないのかもしれない。

 叫んでいる内に、亜季は涙が堪えられなくなった。

 亜季は泣きながら、最も言いたかった言葉を、彼に告げた。

「勝手なことはやめて。約束守ってよ。……あたしと」

 今回は還すつもりはない。掴みたい。

 命や世界よりも大事なこの想いが届くようにと、願いながら。

 亜季は白銀色の光に手を差し伸べた。

「一緒にいよう」


 白銀がすっと膨れあがり、白くなった。

 亜季の全身はその中に包まれた。そして、ある方向へと大きくはじかれた。


   ◇◇◇

 亜季は目を開いた。

 青い空の彼方で、一筋の輝く雲が、消えるのを見た。


 亜季は、交差点の横断歩道に倒れていた。交通事故に遭っていた。

 雑音のようなざわめきが聞こえてくる。群衆が視界に飛び込んでくる。

 一人の少女が、亜季の手を強く握っていた。真剣な表情……友人の少女だ。

「根木谷ちゃん動かないで。救急車を呼んだから。……絶対に動かないで!」

 体は痛かった。白い輝きにはじかれる前と同じ所が、亜季は痛かった。

「君の御両親にも連絡したよ。病院で会える筈だ」

 背広を着た男性が、亜季の携帯電話と、別の携帯電話を手にして言った。……亜季が知らない人物。親切な通りすがりの者なのだろう。

 慣れ親しんだ友人の顔。久しぶりに会える両親。自分の命の無事。

 望んでいたものが、嬉しく感じられてこない。……気がかりがあったから。

 亜季はまず周囲に、彼が無事かどうかを聞いた。


 暮林(くればやし)みのりのこと。

 彼の怪我は亜季よりひどかった。亜季をかばって、車に跳ねられたからだ。

 一日は意識が戻らず、緊急治療室にいた。頭も怪我したが、幸い脳の損傷は無かった。

 暮林みのりは目覚めた後も、油断できない状態が続いた。

 それでも彼が意識を戻した時に、口にした言葉は、根木谷亜季の無事を問うものだった。

 そして。彼が事故前に手に握っていた筈の、携帯電話は。

 どうしてか事故現場からも、どこからも、見つからなかった。

 亜季が左腕にはめていた腕時計も、見つからなかった。

 今度になって、別世界の体験は夢じゃないという証拠が、亜季の記憶の他に残った。

 夢であってほしいと、初めて願った時間だったというのに。


 時間と空間の歪みが消滅するのを、青空に見た。

 世界と世界は完全に分かれ、二度と交わらない。


 間接的とは言え、一国を消してしまっていた。あの女性の命も削った。

 大切に想った友達は、存在ごと消えてしまった。消してしまった。

 これならもう、自分も消してしまいたいと。

 亜季は不意に強く思うようになった。

 ……だけど決して、実行はしなかった。

 消したいと願ったその後に必ず。

 最後に感じた、あの少年の返事を思い出していたから。


 償いだから仕方ない。

 だけど最高に楽しかった。

 かけがえのない時を過ごしたから、実は何の不満もない。

 ありがとう。

 一人で帰っても元気でやってくれ。支えになる人も待っている。

 ……せっかくここまでして助けた命なのだから、喜んでほしい。


(……遺言じゃないの)

 本当に無神経に明るい少年で。

 彼を思い出すと、亜季は涙が出た。

第十二章(終)

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