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掌にかかる虹  作者: 繭美
第十一章 帰還の道筋
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「ちょっと待って」

 階段の途中。屋上への入り口が見えた所で、みのりが言った。

「これ」と、抱えた学生服を、亜季に見せる。

「……そうだった」亜季も自分が抱えている、紺色の制服を見た。

「俺はここで着替えていくから」

「わかった」

 みのりが階段の途中で止まった。

 亜季は屋上に出ると、その片隅で、高等学校の制服へと着替えた。


「そんな格好してきたのね」

 魔法陣の前に座ったメジストが、学生服姿の亜季を見て、笑みを浮かべた。

「やっぱり変ですか」

 亜季は着ている制服の、大きなセーラー襟を摘んだ。

「その格好の方が、変わったことをしそうに見える」

 近くに来るようにと、メジストが亜季に手招きをした。

「これに悪戯をされた」と。

 側にある魔法陣を示して、メジストが顔をしかめた。魔法陣の上には血液入りの瓶が二本並んでいる。

「陣の一箇所が消されている。サキの仕業だ」

「さっちゃん、さっきまで一緒にいましたけど」

「私が上がった時、例の友達の小さい竜がいたのよ。……全く知恵の浅い真似を」

 メジストが苛立たしげに、懐から煙管を取り出した。

「よっぽどあんた達と別れたくないのね」

 彼女が煙管に火を灯す。亜季は複雑な気持ちになり、小さく溜息をついた。

「そうだ、これ。メジストさんと、さっちゃん宛です」

 亜季が脱いだ服の中から、手紙を取り出した。

 感謝の一文が綴られた手紙を二通、メジストに手渡した。彼女もロヅと同様に、すぐに手紙を開いた。

 そしてあることを聞いた。

「これは『サキ』って書いているの?」

「あ、はい。さっちゃんの名前は一応、あたしの世界の文字でも書きました」

「『亜季』とは、字面まで似てる名前だったのね。どういう意味の名前なの」

「意味は考えないで付けたんです……子供の頃に、憧れた名前だったから」

 亜季が恥ずかしそうに、頬を掻いた。

「文字が持つ意味は『早い季節』ですけど」

「……そう」メジストが手紙を畳んだ。

 亜季はサキへの宛名を『早季(さき)』と、漢字でも書いていた。


「ところでみのりは」

「階段にいます。着替えの時はこっちが呼ぶまで、外で待っててくれるから」

「なるほど」

「呼んできますね」

「待ちなさい」メジストが亜季の腕を掴んだ。

「契約を結んでいた仲だし、少し二人きりで話をしましょう」

 微笑み、亜季にも座るように促す。亜季が隣に座ると、吸っていた煙管を消した。

「えっと……メジストさんにも、大変お世話になりました」

 正座をした亜季が、緊張した面持ちで言った。

「私はあんたが嫌い。よく世話をやいたものだと、自分ながら思う」

 厳しい言葉が返された。

 すぐさま亜季が言葉に詰まった。メジストは亜季を放って、立ち上がった。

「素直で主体性に欠けている所が、嫌いなのよ。……誰かの為になろうだとか、ある意味、傲慢な考え方だと知りなさいな」

 話しながら塔の端へと歩き、彼女は高みから景色を眺めた。

「今回の騒動も、私は暇つぶしに関わっただけだし」

「メジストさんが命を削ったのは……ルカナーディの為でしょう?」

 隣まで来た亜季が、同じように景色を望んだ――霧で霞んでいた。

「どうでもいい物を捨てて、恩を売ったの。私はあんたとは違うわ」

 亜季は様々な風景を望んだが、メジストはあるものだけを見ていた。

「亜季、時には自分の願いだけで動きなさい」

「あたし、充分にわがままですけど……」

「亜季は迷いが多い。言いたいことすら、飲み込んでばかりでしょう」

「………」

 亜季は返す言葉を失った。思い当たる節は、これまでに沢山あった。

 今だって、サキに言いたかった別れの言葉が、胸につかえている。

「何が重石(おもし)にかかろうと迷わず、願い通りに。……そういう強さも持たないと、いずれは色々と失う。奪われもするわ」

 メジストの声は澄んでいた。

「……わかりました。ありがとうございます」

 亜季は戸惑いつつも、助言を受け取った。

「その素直さは……どうしようもないかもね。大嫌い」

 メジストが穏やかに、意地悪を言った。

 亜季はその横顔を見た後、また塔から風景を眺めた。風景は霧に霞み、取り戻された国はよく見えなかった。


 ぼやけた景色の中、亜季達の世界への扉である雲は、白銀色に輝いていた。

「扉の雲、近づいて来ましたね」その輝きに目を止めて、亜季が言った。

「……あの雲は、時間と空間の流れの、歪みだそうよ」

「え?」

 亜季がメジストの方に振り向く。彼女は亜季と話している間ずっと、輝く雲を凝視していた。

「時間と空間の流れが、ここと亜季達の世界を分けている。流れが歪んだ所が、世界を行き来できる扉となっている。これは私が、サキから聞き出したこと」

「………」

「言っても仕方がないから、皆には伝えなかったの」

 メジストがつまらなそうに言った。

 そして床にあった、亜季が着ていた衣服を抱えた。

「みのりの分も、私が預かっていく。下まで、魔法陣を修復する道具を取りに行くから」

 メジストは屋上の出口へと歩いていった。

 亜季は呆然と、主であった女の背中を見つめていた。


 メジストが去り、少ししてから、みのりが屋上に現れた。

「久しぶりに見る格好だ」と笑顔で言う。

 そんな彼ももう、亜季と同様に学生服を着ていた。


 霧で覆われた風景。

 煉瓦(れんが)造りの塔。足元には、血の瓶が二本、中央に置かれた魔法陣。

「制服、違和感あるね」亜季が、自分の胸元のネクタイに手をやる。

「うん。すぐに着替えたものな」みのりは上着のポケットに手を入れて、塔の端に歩いた。

「せっかくの高い所だから、絶景が楽しめるかと期待したけど」

 そりゃそうだよな、と。霧で霞んだ景色を見たみのりが、苦笑いした。

「聞いた? さっちゃんが、魔法陣に悪戯しちゃったんだって」

 亜季が壊された魔法陣へと近づく。

「ああ。大人しく待とうか」

「うん」亜季は、胸騒ぎを覚えていた。

 壊された魔法陣と、中央に置かれた血液の瓶を見ていると、胸騒ぎは大きくなった。

 塔の屋上は霧で冷えていた。多少の寒さに不満を言わず、亜季はみのりと会話を続けた。

「もうすぐ、久々の登校生活か」

「……こっちで過ごす内に、あんたとは前より親しくなったよね」

「戻っても仲良しでいような」

「そうだね。どこか二人で、遊びに行こう」

 他愛のない会話をしてみても、奇妙な胸騒ぎは治まらない。

 亜季は今、側にいる少年に、聞きたいことがあった。


 ――本当に、元の世界に帰りたい?


(……どうしてそんな変なこと、聞きたくなってるんだろう)

 別れたくない友がいる。暮らそうと思えば、きっと何とか暮らしてゆける。

 それでも今まで培ってきた関係……生きてきた世界、故郷を切り離すことは考えられない。到底、天秤にかけられない。

 けれどどうしてか。相手もその筈だというのに。

 側にいる彼には、聞かなければならない気がする。


「みのり」

「うん」

「……あの車、避けられたんだよね?」

「……大丈夫だって。制服が汚れてるの見ただろう」

「念は押したくなるよ」

 相手の笑みを見ても、言葉を聞いても。亜季の胸騒ぎは治まらなかった。

 いつに帰るか、はっきりとわからない。それにも問題があるのだろうけれど。

 やはり『本当に帰りたいか』を聞いてみたくて、たまらない。夜中に窓辺に佇んでいたのが気になる……。

「どうしたんだよ。黙って」

 無言を続けた亜季に、みのりが声をかけてきた。

「ちょっと、あんたに言い辛いことがあって」

「……何でも聞くよ? 言っていい」

「そう言われても」亜季はみのりと顔を合わせられず、じっと足元の魔法陣を見ていた。

「じゃあ、こうしようか」みのりが明るい口調で言う。

「今から俺が、亜季に言い辛かった話をする。そっちの話は、その後で」

「おあいこってこと?」

「そう」

「……わかった」

 亜季は話を聞く為に、彼のすぐ側に行こうとした。

「ごめん。そこにいてて」みのりがそれを止めて「それから、後ろを向いててほしい」と、言葉を続けた。

「どうして」

「それぐらい言い辛い話なんだ。俺、どんな顔するかわからないから」

 みのりが明るい口調のまま、わずかに顔を伏せた。

「出来ればもう、目もつむっていてほしいな」

「……そんなに?」

「頼むよっ」おどけた調子で、みのりが手を合わせる。

「良いけど。あたしの話も相当に変だから、ちゃんと聞いてよ?」

 亜季は不思議に思いながらも、その頼みを聞き入れることにした。

 数歩離れると、みのりと反対方向を向き、目を閉じた。

 闇の中、後ろから声が聞こえてくる。


「……確かここに来る直前に、話題にしてたよな」

 彼は二年近く前の思い出話を、語り始めた。

第十一章(終)

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